先週土曜夜は、繁昌亭の「笑福亭福笑一門会」へ。
ちょっと早めに天満に着いた。
一応受験生なので天神さんにお詣りし、
18時過ぎに繁昌亭に入場。
チケットを発売日に買ったので、1階の3列目だった。
いつもは早く着いても2階で見ることが多いので、1階は久し振り。
「青菜」(たま):○-
マクラで心療内科に行った話をしたのだが、若干客が引いた感じがする。
オチでも緩和し切らず。
やはり客として枝雀などを思い浮かべてしまうからなあ。
植木屋さんがこの旦那の家は初めて、という設定だが、これは良し悪し。
後半の「お前さんはうちへ来るのは初めてかいなあ」とか、
オウムの材料にはなるのだが、
初対面でここまで植木屋さんと旦那が打ち解けるものかな、とも思う。
それならば、植木屋のハラとして
もう少し「不慣れな職人がお世辞を言う」感じがあっても良いのかも知れない。
「大名魚」「大名菜」を言わないのならば、
「大名酒」も要らんと思う。
語呂として楽しかったから入れたのかな。
「躾が良い」「教育」は旦那が言って、
植木屋さんがその場で間違うんやね。
これはこれで良いと思う。
焼酎に醤油を入れるのは面白い。
アテを蛙にするのは、ちょっと行き過ぎかな、と感じる。
「青菜は要らん」と言わないのは、
おかみさんから焦点が逸れないので
今日のやり方ならばその方が良いと思った。
おかみさんが怒って「義経」まで言ってしまうのだが、
その後の植木屋の気がもう一つ分からない。
あまり「それはわしが言うねや」という感じでもないが、
妙に間があって「弁慶」と言っていた。
落語を終わるための符号、と考えれば
特に間を空けずに言ってしまっても良いと思う。
「代書屋」(福笑):○
マクラは冬季オリンピックなど。
いつも通りと言えばそうだが、期待通り。
ネタも流石。
個人的には、代書屋と客の人物像や感覚を口で説明するのは
野暮ったいと思ってしまうところはあるが。
昔より声が弱くなっており、
そのあたりを意識しているのか、
声を出さない方向のバリエーションが増えていた感じ。
(表情や口を動かすだけ、とか。)
これはこれで一つのやり方だと思うが、少し淋しいなあ。
「あんたの声は頭に響く」の繰り返しがあまり効かなかったように思う。
以前はけっこう決め台詞のようになっていたと思うのだが。
「愛宕山」(たま):△-
うーん。今まで見た彼のネタの中で一番良くないかも。
妙に間が空いたり、リズムが狂うところがあって
聞いていて不安になる。
一八が旦那とやり取りして「荷物を持つ」と言うのだが、
実際には繁八に持たせる。(後で自分が持つ)
最初から一八が持たない意義がよく分からない。
煩雑になるだけなので、そのまま一八が持てばいいと思う。
上がって土器投げ。(ぐちゃぐちゃの弁当は食べていなかったな)
「当てたら祝儀やる」と言われて「土器1000枚」の流れは自然だな。
私のイメージでは、あの的は「当てる」形のものではなく、
紐か何かで枠になっており、「通す」ものなのだが。
旦那が小判を投げるきっかけがよく分からない。
投げるつもりで持ってきたのではない前提だが、
一八に「大阪の旦那は」とか言われてカチンとする仕込が要ると思うのだが
そこがあまり見えなかった。
飛ぶ傘はそこらに置いてあったもの。
一八は下に落ちるのではなく、的に当たる。
それだったらさっきの流れで
「祝儀おくんなはれ」という科白を入れてしまうだろうな、と思った。
それどころではないので、自然な流れでは無理な科白ではあるのだが。
戻ってくるところは、まあ普通に。
竹を撓わせるところを、かなり丁寧にやっていた。
「瀞満峡」(福笑):○-
よく出来ているし、人物描写やらネタ全体の流れやらが丁寧に作られている。
ただやはり、以前に比べて激しさ、客全体を振り回すパワーが
弱くなっている気がする。
そのためにこのネタの骨格や細かい工夫が明確に見えてしまうのかな。
全体に、何か弾けなかった感じ。
もちろん満足できるもの、佳品ではあったのだが、
私が期待していたものが違ったのだろう。
ちょっと早めに天満に着いた。
一応受験生なので天神さんにお詣りし、
18時過ぎに繁昌亭に入場。
チケットを発売日に買ったので、1階の3列目だった。
いつもは早く着いても2階で見ることが多いので、1階は久し振り。
「青菜」(たま):○-
マクラで心療内科に行った話をしたのだが、若干客が引いた感じがする。
オチでも緩和し切らず。
やはり客として枝雀などを思い浮かべてしまうからなあ。
植木屋さんがこの旦那の家は初めて、という設定だが、これは良し悪し。
後半の「お前さんはうちへ来るのは初めてかいなあ」とか、
オウムの材料にはなるのだが、
初対面でここまで植木屋さんと旦那が打ち解けるものかな、とも思う。
それならば、植木屋のハラとして
もう少し「不慣れな職人がお世辞を言う」感じがあっても良いのかも知れない。
「大名魚」「大名菜」を言わないのならば、
「大名酒」も要らんと思う。
語呂として楽しかったから入れたのかな。
「躾が良い」「教育」は旦那が言って、
植木屋さんがその場で間違うんやね。
これはこれで良いと思う。
焼酎に醤油を入れるのは面白い。
アテを蛙にするのは、ちょっと行き過ぎかな、と感じる。
「青菜は要らん」と言わないのは、
おかみさんから焦点が逸れないので
今日のやり方ならばその方が良いと思った。
おかみさんが怒って「義経」まで言ってしまうのだが、
その後の植木屋の気がもう一つ分からない。
あまり「それはわしが言うねや」という感じでもないが、
妙に間があって「弁慶」と言っていた。
落語を終わるための符号、と考えれば
特に間を空けずに言ってしまっても良いと思う。
「代書屋」(福笑):○
マクラは冬季オリンピックなど。
いつも通りと言えばそうだが、期待通り。
ネタも流石。
個人的には、代書屋と客の人物像や感覚を口で説明するのは
野暮ったいと思ってしまうところはあるが。
昔より声が弱くなっており、
そのあたりを意識しているのか、
声を出さない方向のバリエーションが増えていた感じ。
(表情や口を動かすだけ、とか。)
これはこれで一つのやり方だと思うが、少し淋しいなあ。
「あんたの声は頭に響く」の繰り返しがあまり効かなかったように思う。
以前はけっこう決め台詞のようになっていたと思うのだが。
「愛宕山」(たま):△-
うーん。今まで見た彼のネタの中で一番良くないかも。
妙に間が空いたり、リズムが狂うところがあって
聞いていて不安になる。
一八が旦那とやり取りして「荷物を持つ」と言うのだが、
実際には繁八に持たせる。(後で自分が持つ)
最初から一八が持たない意義がよく分からない。
煩雑になるだけなので、そのまま一八が持てばいいと思う。
上がって土器投げ。(ぐちゃぐちゃの弁当は食べていなかったな)
「当てたら祝儀やる」と言われて「土器1000枚」の流れは自然だな。
私のイメージでは、あの的は「当てる」形のものではなく、
紐か何かで枠になっており、「通す」ものなのだが。
旦那が小判を投げるきっかけがよく分からない。
投げるつもりで持ってきたのではない前提だが、
一八に「大阪の旦那は」とか言われてカチンとする仕込が要ると思うのだが
そこがあまり見えなかった。
飛ぶ傘はそこらに置いてあったもの。
一八は下に落ちるのではなく、的に当たる。
それだったらさっきの流れで
「祝儀おくんなはれ」という科白を入れてしまうだろうな、と思った。
それどころではないので、自然な流れでは無理な科白ではあるのだが。
戻ってくるところは、まあ普通に。
竹を撓わせるところを、かなり丁寧にやっていた。
「瀞満峡」(福笑):○-
よく出来ているし、人物描写やらネタ全体の流れやらが丁寧に作られている。
ただやはり、以前に比べて激しさ、客全体を振り回すパワーが
弱くなっている気がする。
そのためにこのネタの骨格や細かい工夫が明確に見えてしまうのかな。
全体に、何か弾けなかった感じ。
もちろん満足できるもの、佳品ではあったのだが、
私が期待していたものが違ったのだろう。