昨日は「らくご道」へ。
以前から気になっていた会ではあるが、行くのは初めて。
珍しい「浮かれの尼買い」がかかるので、ワッハ4階「上方亭」へ。
「浮かれの尼買い」(生喬):△+
学校寄席や女性の入門者などのマクラから、ネタへ。
普通の「三人旅」から入り、
「馬を同社にけしかける」ところをやる。
その後「宿屋町」風の「袖を引かせる」場面から上がり、
比丘尼と分かって下げまで。
「対談」の中でも言っていたが、
やはりこれを全てやると長いな。
宿屋の後半では会話のリズムが悪くなり、
ウケが単発になって、次第に尻すぼみになってしまった。
「まだやるのか」と演者自身が思ってしまったためだと思う。
「三人旅」は、まあ普通。
「同社にけしかける」ところは初めて見た(松鶴の音から持ってきたそうな)が、
光景としては楽しい。
ただ、何となく馬が止まって、
3人が宿屋町に入っていくのが、少し突拍子のない感じ。
「宿屋町」は、どうも2人で歩いている印象を受けた。
「三人旅」から続ける場合でも、
特に「袖を引かせる」などなしで、何となく宿屋に上がった方が良いと思う。
上がってからの場面、私は五郎のイメージしかない
(それも漠然としか憶えていない)のだが、
やりとりがごちゃごちゃしている、と感じた。
個人的には、侍を出してその侍の真似をする必要はないと思う。
侍を出す(後で覗く)ために、
喜六がふんどし姿のまま誤っていろいろ開ける場面が必要になるのだろうが、
ここも少し回りくどく感じた。
どうせ下品なネタなのだから、
「真っ暗な中で探り、比丘尼に当たってしまって一晩を過ごす」
メインで良いのではないかな。
それこそ「とっつるがん」が入るような。
途中で「コスプレみたいなもので、比丘尼を好む人もいる」説明を入れていた。
事実、そうだと思うのだが、
このネタでその説明を入れたことにより、
「比丘尼=外れ」の構図が分かりにくくなったように感じた。
サゲに至るまでの言い直しも、少しやりとりが多くなっていた。
3人で、先の2人が「髪に付けてくれ」とか言って、
外れを引いた(本当にヨボヨボのお婆さんで良いと思う)喜六が
「お灯明を上げてくれ」とか「香典にしてくれ」と言う、くらいの方が
すっきり片付くと思う。
あまり「浮かれ」でもなかった。
「へっつい幽霊」(こごろう):○-
雀松から習ったらしい。
なるほど、確かに科白が流れている。
それはリズム・調子が良い、とも言えるのだが、
少し走り過ぎかな、と感じることもあった。
脳天の熊五郎にしても若旦那にしても、
表情付けや間の取り方、発声など、良かったと思う。
ノロケの本当に入り込んでいる雰囲気など、非常に楽しめた。
現在の上方の「へっつい幽霊」って、遡ると全て松之助に行き着くと思うのだが、
松之助よりも6代目の方が好きな私としては、
もっと濃い「遊び」の空気が欲しい、と感じた。
ウケを考えると、確かに松之助ラインになるのだろうが。
「対談」(生喬・こごろう)
「浮かれの尼買い」「へっつい幽霊」の話、
池田での「旅ネタ」特集の話、
弟子が(師匠も演るのに)師匠ではなく、
「面白いから」と他の人に稽古を付けて貰うのは良いのか、という話。
松喬の「へっつい幽霊」話は面白いなあ。
(「らくご松竹梅」で、松喬本人が喋っていたのも聞いたことがあるが)
三喬の「ふぐ鍋」は吉朝から習ったものらしい。
こごろうの「自分やったら、何で俺やないねん、と思う」という怒りも想像できる。
まあこのあたり、
一門も何も(師弟ですら)踏み越えてネタのやりとりをしているのが、
上方の一つの良いところでもある、と思う。
上方の噺家は元々人数が少なく、
「一門で固まる」「他の一門と競争する」意識があまりないのだろう。
# むしろ一門内で、誰と誰は仲が悪い、という話の方が多い気がする。
あまりプロが見せない楽屋内の話だと思うが、
非常に興味深かった。
来月は「竹の水仙」らしい。
個人的に関心のあるネタなので、また行こうかな。
以前から気になっていた会ではあるが、行くのは初めて。
珍しい「浮かれの尼買い」がかかるので、ワッハ4階「上方亭」へ。
「浮かれの尼買い」(生喬):△+
学校寄席や女性の入門者などのマクラから、ネタへ。
普通の「三人旅」から入り、
「馬を同社にけしかける」ところをやる。
その後「宿屋町」風の「袖を引かせる」場面から上がり、
比丘尼と分かって下げまで。
「対談」の中でも言っていたが、
やはりこれを全てやると長いな。
宿屋の後半では会話のリズムが悪くなり、
ウケが単発になって、次第に尻すぼみになってしまった。
「まだやるのか」と演者自身が思ってしまったためだと思う。
「三人旅」は、まあ普通。
「同社にけしかける」ところは初めて見た(松鶴の音から持ってきたそうな)が、
光景としては楽しい。
ただ、何となく馬が止まって、
3人が宿屋町に入っていくのが、少し突拍子のない感じ。
「宿屋町」は、どうも2人で歩いている印象を受けた。
「三人旅」から続ける場合でも、
特に「袖を引かせる」などなしで、何となく宿屋に上がった方が良いと思う。
上がってからの場面、私は五郎のイメージしかない
(それも漠然としか憶えていない)のだが、
やりとりがごちゃごちゃしている、と感じた。
個人的には、侍を出してその侍の真似をする必要はないと思う。
侍を出す(後で覗く)ために、
喜六がふんどし姿のまま誤っていろいろ開ける場面が必要になるのだろうが、
ここも少し回りくどく感じた。
どうせ下品なネタなのだから、
「真っ暗な中で探り、比丘尼に当たってしまって一晩を過ごす」
メインで良いのではないかな。
それこそ「とっつるがん」が入るような。
途中で「コスプレみたいなもので、比丘尼を好む人もいる」説明を入れていた。
事実、そうだと思うのだが、
このネタでその説明を入れたことにより、
「比丘尼=外れ」の構図が分かりにくくなったように感じた。
サゲに至るまでの言い直しも、少しやりとりが多くなっていた。
3人で、先の2人が「髪に付けてくれ」とか言って、
外れを引いた(本当にヨボヨボのお婆さんで良いと思う)喜六が
「お灯明を上げてくれ」とか「香典にしてくれ」と言う、くらいの方が
すっきり片付くと思う。
あまり「浮かれ」でもなかった。
「へっつい幽霊」(こごろう):○-
雀松から習ったらしい。
なるほど、確かに科白が流れている。
それはリズム・調子が良い、とも言えるのだが、
少し走り過ぎかな、と感じることもあった。
脳天の熊五郎にしても若旦那にしても、
表情付けや間の取り方、発声など、良かったと思う。
ノロケの本当に入り込んでいる雰囲気など、非常に楽しめた。
現在の上方の「へっつい幽霊」って、遡ると全て松之助に行き着くと思うのだが、
松之助よりも6代目の方が好きな私としては、
もっと濃い「遊び」の空気が欲しい、と感じた。
ウケを考えると、確かに松之助ラインになるのだろうが。
「対談」(生喬・こごろう)
「浮かれの尼買い」「へっつい幽霊」の話、
池田での「旅ネタ」特集の話、
弟子が(師匠も演るのに)師匠ではなく、
「面白いから」と他の人に稽古を付けて貰うのは良いのか、という話。
松喬の「へっつい幽霊」話は面白いなあ。
(「らくご松竹梅」で、松喬本人が喋っていたのも聞いたことがあるが)
三喬の「ふぐ鍋」は吉朝から習ったものらしい。
こごろうの「自分やったら、何で俺やないねん、と思う」という怒りも想像できる。
まあこのあたり、
一門も何も(師弟ですら)踏み越えてネタのやりとりをしているのが、
上方の一つの良いところでもある、と思う。
上方の噺家は元々人数が少なく、
「一門で固まる」「他の一門と競争する」意識があまりないのだろう。
# むしろ一門内で、誰と誰は仲が悪い、という話の方が多い気がする。
あまりプロが見せない楽屋内の話だと思うが、
非常に興味深かった。
来月は「竹の水仙」らしい。
個人的に関心のあるネタなので、また行こうかな。