土曜は雨の中、動物園前の「動楽亭」へ。
平日行った先月よりはさすがに混んでいたが、
それでも50人くらいの入り。ざこばも出てるってのに。
まあ、天気も悪かったし、仕方ないか。
「煮売屋」(弥生):△
初めて見た。女の子。
きっちり丁寧に喋っている。
大学の落研上がりかな、と思ったが、そうでもないようだ。
# 東住吉みたいやね。吉坊の後輩?
全体に柔和な感じ。
茶店の主など、ツッコミはまだ弱いが、
きっちりやろうとしているようなので、今後良くなっていきそう。
「道具屋」(ひろば):△
普通の「道具屋」。
個人的には、二つ目で上がってこんなド前座ネタをやるのは、如何なものか、と思う。
翌日以降の前座がネタがなくて困らないか、と心配。
まあその辺り、考えてやっているのだろうが。
違和感を持った覚えもないが、
印象にも残っていないなあ。
「鷺とり」(雀喜):△+
やはりマクラの口調の妙な緩急は気になる。
ネタは、今まで見た彼のものの中では良かった。
「こぼれ梅」と「さーぎー」だけで鷺を捕まえに行く。
このあたりの会話、アホがけっこう弾けており、
おさえる甚兵衛さんも悪くなかった。
ニワカなし。
サゲはトランポリン。
何か少しごちゃついた印象がある。
「餅屋問答」(雀松):○-
やり慣れているネタなのだろう。
ちょっとした小ギャグもほぼハマる。
特にクサくなく、
餅屋のおやっさん、ニセ和尚、権助を程良く描いており、
田舎の村ののんびりした雰囲気を作っていた。
若干、カミ多し。
永平寺の雲水の「頼もう」はあまり尤もらしくない。
この人はある程度真面目な、堅い、きっちりとした人として描いておかないと、
それが適当なことを言われて逃げ帰る転換が効かないだろう。
最後に雲水が仕草の説明をするところ(仕込み)は、
もう少し丁寧に言う方が好み。
今日の言い方だと、初めて聞いたお客さんは分からなかったのでは、と思う。
「天狗裁き」(宗助):△-
米朝がよく演る「夢」の小咄などのマクラ。
ネタも、まあ、米朝の科白のまま。
この人の存在意義はどこにあるのだろう。
米朝がもはや落語をしない今、
その面影を偲ぶための縮小コピーなのかな。
「次第に話が大きくなっていく」感じも弱い。
形だけなぞっても表現できないと思うのだが。
天狗は声を変えて作っているが、当然、「人外」の存在感などない。
下げていた声の調子を上げて、緩和しているかのように見せるのは、
個人的には邪道でしかないと思う。
「首提灯」(ざこば):○
身辺雑事みたいなマクラ。
「へいへいへいと逆らわず」もなしに
「上燗屋」、さらに「首提灯」に入っていく。
技術的には飲み方や熱がり方など、拙い所はいくらもあるのだろうが、
この人の登場人物に入り込んでいるところ、
酔っ払いの気持ちでやっているところなど、
素直に出ていて快く見ていられる。
例えば毛を抜きながらうだうだ言っているところなど、
特にウケさせようとか、ギャグを言おう、などと思っているようには見えないのだが、
それでも面白い。存在感か。
首がぶちっと切れるのはちょっとグロかなあ。
あと、提灯の説明で「首と同じ大きさ」とか言っていた気がするが、
それは説明し過ぎで野暮ったいと思う。
仕草で大きさを表しておけば充分だろう。
平日行った先月よりはさすがに混んでいたが、
それでも50人くらいの入り。ざこばも出てるってのに。
まあ、天気も悪かったし、仕方ないか。
「煮売屋」(弥生):△
初めて見た。女の子。
きっちり丁寧に喋っている。
大学の落研上がりかな、と思ったが、そうでもないようだ。
# 東住吉みたいやね。吉坊の後輩?
全体に柔和な感じ。
茶店の主など、ツッコミはまだ弱いが、
きっちりやろうとしているようなので、今後良くなっていきそう。
「道具屋」(ひろば):△
普通の「道具屋」。
個人的には、二つ目で上がってこんなド前座ネタをやるのは、如何なものか、と思う。
翌日以降の前座がネタがなくて困らないか、と心配。
まあその辺り、考えてやっているのだろうが。
違和感を持った覚えもないが、
印象にも残っていないなあ。
「鷺とり」(雀喜):△+
やはりマクラの口調の妙な緩急は気になる。
ネタは、今まで見た彼のものの中では良かった。
「こぼれ梅」と「さーぎー」だけで鷺を捕まえに行く。
このあたりの会話、アホがけっこう弾けており、
おさえる甚兵衛さんも悪くなかった。
ニワカなし。
サゲはトランポリン。
何か少しごちゃついた印象がある。
「餅屋問答」(雀松):○-
やり慣れているネタなのだろう。
ちょっとした小ギャグもほぼハマる。
特にクサくなく、
餅屋のおやっさん、ニセ和尚、権助を程良く描いており、
田舎の村ののんびりした雰囲気を作っていた。
若干、カミ多し。
永平寺の雲水の「頼もう」はあまり尤もらしくない。
この人はある程度真面目な、堅い、きっちりとした人として描いておかないと、
それが適当なことを言われて逃げ帰る転換が効かないだろう。
最後に雲水が仕草の説明をするところ(仕込み)は、
もう少し丁寧に言う方が好み。
今日の言い方だと、初めて聞いたお客さんは分からなかったのでは、と思う。
「天狗裁き」(宗助):△-
米朝がよく演る「夢」の小咄などのマクラ。
ネタも、まあ、米朝の科白のまま。
この人の存在意義はどこにあるのだろう。
米朝がもはや落語をしない今、
その面影を偲ぶための縮小コピーなのかな。
「次第に話が大きくなっていく」感じも弱い。
形だけなぞっても表現できないと思うのだが。
天狗は声を変えて作っているが、当然、「人外」の存在感などない。
下げていた声の調子を上げて、緩和しているかのように見せるのは、
個人的には邪道でしかないと思う。
「首提灯」(ざこば):○
身辺雑事みたいなマクラ。
「へいへいへいと逆らわず」もなしに
「上燗屋」、さらに「首提灯」に入っていく。
技術的には飲み方や熱がり方など、拙い所はいくらもあるのだろうが、
この人の登場人物に入り込んでいるところ、
酔っ払いの気持ちでやっているところなど、
素直に出ていて快く見ていられる。
例えば毛を抜きながらうだうだ言っているところなど、
特にウケさせようとか、ギャグを言おう、などと思っているようには見えないのだが、
それでも面白い。存在感か。
首がぶちっと切れるのはちょっとグロかなあ。
あと、提灯の説明で「首と同じ大きさ」とか言っていた気がするが、
それは説明し過ぎで野暮ったいと思う。
仕草で大きさを表しておけば充分だろう。