このメンバー、このネタで前売2000円は安いと思うのだが、
結局150人程度の入り。
「やかん」(小鯛):△+
羽織を着て出てくる前座。
「画家の名前」「道を教えていると思ったら交番を教える」小噺を振ってネタへ。
「魚根問」のあたりなどいろいろ手を入れており
(あんこで釣る、車海老とシャコなど)
調子もトントンと運んでおり良くウケていた。
個人的には若干クサいと感じるところが散見された。
例えば「画家の名前」の小噺にしても
「分かっています、知っています」と女性に言わせたり、
同じ台詞を一度でなく二度言って
その繰り返した際に濃い目に描写して見せたり。
また、「魚根問」から「茶碗」の話に移る箇所は
少し唐突に感じた。
「魚根問」の部分に比べて「やかん」に関わる部分は
ギャグは特に追加せず、講釈の語り方をクサ目にやっている程度。
アンバランスとも感じるが、
「やかん」の部分までギャグを足していくとクドくなるので、
これはこれで良いのかも。
「圧巻やったやろ」「あかんと思いますわ」といったサゲを付けていた。
サゲを付けたのは良いし、まあ悪くないサゲだけど、
もう少ししっかり言った方が良いと思う。
「住吉駕籠」(出丸):△+
マクラで「車輪の発明」の話、落語会での旅の話。
少し長くなった印象。
「車輪」の話はそれはそれで面白かったので、
そのまま旅の話をせずに「車輪が発明される前に人を運ぶのが大変だった」
程度でネタに入っても良いのでは、と思う。
茶店の主、侍、酔っ払い、堂島の旦那。
全体に噛むことが多く、聞いていてしんどい。
色々工夫はしていた。
例えば茶店の主に罵倒されたアホの駕籠屋が
「青竹で貫かれる」ところを再現する場面を丁寧になぞって見せる、など。
噛むのが多いのでその世界に入りきれず、楽しめなかった。
酔っ払いはもう少し喜怒哀楽が大きい方が良いと思う。
特に「喜」や「楽」の描写が少ないように感じた。
感情の箍が酔っ払って外れている印象が弱い。
堂島の旦那二人は、思ったより落ち着いていた。
最初に「降りようか」と言うのは、
強気も強気の旦那の台詞としては齟齬があるのかも知れないが、
「途中で」降りるのが嫌だから、良いのかも知れない。
「天神山」(雀三郎):◎-
マクラは「変人」の話で春輔の話。
変なエピソードをきちんと客の目線で構成して、
きちんとウケを取っている。
このあたりが雀三郎の上手さ。
個人的にはあまり好きなネタではないのだが、
まあ、楽しめた。
「へんちきの源助」を道に立っている二人が紹介するが、
その描写が非常に詳細で、
また活き活きと(如何にも見ながらのように)表現されているので
リアルに伝わってくる。
源助の最初の発声は如何にも気違いじみているが、
後は少し緩めている。
それでも変人というのは伝わってくる。
源助は人前と独りの際の差があり、
人前ではサービス精神で激しくやっているキライがある。
その差が大きいのが、源助のニンがあまり好きになれず
このネタが好きでない一つの理由なのだが、
この日はかなりきっちりと狂いを描写しており、
その部分の違和感はなかった。
帰宅して幽霊の嫁さんがやってくるのはあっさりと。
隣の安兵衛がやってくる。
これが、源助と同じくらい変な人間と描写されていたように思う。
最初の源助との絡み、天神さんにお参りするところ、
その後の狐を獲る男との会話など。
独り気違い→嫁が見つかる、という流れは繰り返しなんだな。
この独り気違いの気の入り方、
その後の狐を獲る男との会話のテンポや間、
言葉の強弱や調子の作り方が良い。
特に猟師の如何にも身を持ち崩した、やや拗ねた佇まいが素晴らしく、
安兵衛との掛け合いでのリズムや感覚の違いが明確に出ていた。
両方に嫁が来てからの地の部分は、
やはり好きになれないなあ。
人情噺風に感じられるのだが、そんなネタでもないだろう。
このあたり、このネタの限界なのかも知れない。
「蔵丁稚」(出丸):○-
「住吉駕籠」に比べて噛むところは少なく(皆無ではない)、
比較的安心して聞けた。
丁稚はニンに合っていて良かった。
旦那もそう悪くはない。
猪は前足を坂田藤十郎、後足を片岡仁左衛門。
時代を考えると「坂田藤十郎」を出しにくい感覚もあるのだが、
そこは然程気にしなくて良いのかも知れない。
芝居の場面はまあまあ。
もっとそれっぽくやっても良いが、
これはこれで良いかな。
「帯久」(雀三郎):○+
あまり生で見る機会のないネタ。
これもあまり好きなネタではない。
最初、和泉屋に帯屋が訪ねてくる。
この帯屋は、それほどひねくれた感じが出ていなかった。
帯屋が金を借りに来るという弱い立場であることを考えると
この場面では直接明確に描写するものではないが、
その後成功してから性格が悪くなったのではなく
元々そんな性格だ、と印象付けるためにも、
もう少し人間性の悪さが滲み出た方が良いのでは、と思う。
和泉屋は鷹揚な感じ。
ただ微妙に、単に鷹揚でない実は「上から目線」の台詞が散見された。
これはテキストの問題だと思うが、
ここは「上から目線」ではない設定にした方が
帯屋との差が出て良いと思う。
全体に商人らしい様々な含蓄のある言葉や設定が紡がれており
(直接丁稚からではなく、番頭経由で「会う」旨を伝えさせる、など)
このあたりは興味深いネタ。
帯屋の番頭が旦那を抑えて、
和泉屋に合わせるように計らう辺りも良い。
ところどころに細かいギャグが逃げ場として入っており、
このあたりは江戸の人情噺と同じような作りなのかな。
和泉屋が没落し、帯屋に尋ねていくまでを地で運んでいく。
ここはダレそうなものだが、
トントンと運んでいた。
帯屋での会話。
個人的には、帯屋の人間性の悪さを表情混みで濃く描写し過ぎている気がする。
もう少し「底意地」の悪さ、冷たさが漂ってくる方が好み。
特に和泉屋が「金を貸した」と言い出した辺りから
徐々に不快感、怒りが増してくるような感情の変化があった方が
自然なのでは、と思う。
奉行が「思い出すまで」と帯屋の指を紙縒りで縛るのは、無茶ではあるのだが、
その前の「金に厳しい」と言った帯屋の台詞を逆にとって
「金に厳しいのだから金を持ち帰ったのだろう」
「親切から」を強調して「帯屋が悪いことをした、と責めている訳ではない」と
押しているのに対し、
帯屋がそれでも「覚えていません」と言い続ける、という前段が
濃い目に描写されているので、
「思い出すためのまじない」として良いかな、と思えた。
奉行の作り方は米朝の「自ずからなる威厳」ではなく、
低目の声と表情で作っていた。
まあ、仕方ないところだろう。
全体に「帯久」の出来としては素晴らしかったと思うのだが、
「帯久」というネタ自体、
帯屋の人間性が好きになれないこと、
奉行のお裁きも根本的には無理筋だろう、と感じてしまうので
そこまで満足はできないなあ。
このネタが「和泉屋」ではなく「帯久」というタイトルである以上
(ネタのタイトルなんて符牒に過ぎない、と言えばそうなのだが)
帯屋にも、聞き手が感情移入するような人間の弱さ、
或いは「人間なんてそんなもんでしょう」と思える点が欲しい、と
個人的には思う。
例えば、
成功するまでは特に嫌な人間だった訳ではない、
それが100両を「気の迷い」から持ち帰り、
「なくて元々」とその100両でセールを行ったら成功してしまい、
そこから性格の歪みが酷くなり、皆に嫌われるようになった、といった
人物設定にするなど。
# 20両、30両、50両と借りる高を徐々に増やしていったことと、
多忙な年末にわざわざ返しに行っていることから、
「100両を借りて持ち帰る」のが多少計画的なのでは、
と感じてしまう節もあるのだが。
ネタとして、分かりやすくなる代わりに薄くなるから、
良いとばかりも言えないだろうが。
21時終演。
雀三郎の好調を再確認できた。
# 繁昌亭の物故者の写真に松喬が追加されていた。
ダイエットする前、90年代の写真か。
嗚呼…。