人事において「適材適所」は常に「難しい」が「目指さなければならないもの」だと思う。
「ヒト」という経営資源は限られているので、
「うーん、ピッタリではないけど、成長するだろうから、この人を当てはめよう」
或いは
「現時点では、この人では難しいけど、とりあえず少し職務を減らしたうえで当てはめよう、
成長したらまた職務を与えよう」
といった形で、人事を行っていく。
しかし見込み違いは常にあり得るから、
その場合は再度異動して、次のチャンスを狙ってもらう。
その繰り返しだと思う。
この「見込み違い」は人事権者の責任だし、
問題があった時は「適材適所だと思ったが、間違いだった」と言うことになる。
ここで「適材適所だ」と言い続けると、
その人事権者自身が「本当に、人事権者として適所にあるのか?」という疑問を抱かせることになるし、
さらに上位の人事権者から「見込み違いだった」と異動を命じられることになる。
首相が(もし本気で)国税庁長官や暴言を吐いた内閣府副大臣を
「適材適所だ」と思っているのだとしたら、
首相自身が「人事権者として、適所にいるのか?」疑わしいのでは?
さらに上位の人事権者、主権者として、
国民が「見込み違い」である、と考えて辞職を命じるべきでは?
そう考えると、
「適材適所」と強弁するのはけっこうリスキーであり、
「見込み違いだった」と反省する方が良いと思うのだけど。
「ヒト」という経営資源は限られているので、
「うーん、ピッタリではないけど、成長するだろうから、この人を当てはめよう」
或いは
「現時点では、この人では難しいけど、とりあえず少し職務を減らしたうえで当てはめよう、
成長したらまた職務を与えよう」
といった形で、人事を行っていく。
しかし見込み違いは常にあり得るから、
その場合は再度異動して、次のチャンスを狙ってもらう。
その繰り返しだと思う。
この「見込み違い」は人事権者の責任だし、
問題があった時は「適材適所だと思ったが、間違いだった」と言うことになる。
ここで「適材適所だ」と言い続けると、
その人事権者自身が「本当に、人事権者として適所にあるのか?」という疑問を抱かせることになるし、
さらに上位の人事権者から「見込み違いだった」と異動を命じられることになる。
首相が(もし本気で)国税庁長官や暴言を吐いた内閣府副大臣を
「適材適所だ」と思っているのだとしたら、
首相自身が「人事権者として、適所にいるのか?」疑わしいのでは?
さらに上位の人事権者、主権者として、
国民が「見込み違い」である、と考えて辞職を命じるべきでは?
そう考えると、
「適材適所」と強弁するのはけっこうリスキーであり、
「見込み違いだった」と反省する方が良いと思うのだけど。