火曜日は昼から動楽亭へ。
顔ぶれは良いが、GW明けでそこまで混まないだろう、と思っていたのだが、
開場30分前の13時に着くと既に何人か並んでいる。
結局80人程度入っていたのではないかな。
「うなぎや」(そうば):△
この位のキャリアの人が前座を務めると、寄席としては安定するな。
軽くマクラを振ってネタへ。
前座としては、水を飲まされた話を入れないのは一つの方向だろう。
全体に、訛りが気になる。
「どうぞお二階へ」の繰り返しでウケをとっている。
鰻を掴む仕草がイマイチ。
そこまで丁寧にする必要はないが、
少なくとも手の間から鰻が頭を出すようには見せて欲しい。
上を向け、下を向け、前を向いたところで
特に鰻を追いかける動きを長く見せずにサゲへ。
あっさりした前座だった。
「狸さい」(ちょうば):△+
ざこばとテレビで競馬を見ていた話を振ってネタへ。
今も昔もバクチにハマる人がいる、というマクラを振っているのだから、
「昔は」サイコロバクチが流行った、と
今と昔の差を強調してネタに入るのは勿体ない気がする。
男が狸に話しかけるところから始まる。
「大きさ」「2ばかり出る」「斜め」を見ての男の反応など、
こういった言い方をすればウケる、と考えられている。
若干落語っぽくない印象を受けるところもあるが、
ネタがネタなのでそれでも構わないかな、と思う。
賭場で「表で大きな声を出して」はなし。
確かに「けんたいで出来ることをやっている訳ではない」話は要らないが、
ウケも取れるだろうから別に外さなくても良いと思うのだが。
賭場の男が手の中で振って見せる仕草など、少し大仰な印象。
「5」を出させようとして狸にどのように説明するか、
悩むところでウケが来なかったのはマズい。
ネタの全体が伝わっていなかったのか、
それ以前の「数を言う」→「言うなと言われる」→「符号を言う」、
という上げて下げての流れの軸が不充分だったのかも知れない。
これもあって「天神さん天神さん」からサゲの説明など、
あまりウケていなかった。
尻すぼみと感じる。
「宗論」(米紫):△-
様々な揉め事がある、というマクラ。
相変わらず、語尾を上げ、押し付けてくるような喋り方が不快。
「仏具の店がクリスマスセールをやっている」話は面白いが、
ネタの中でも出てくるから言うべきではない、と感じる。
ネタに入ると、アンドロイドのような不自然な上下の振りや動きが
目につき、鼻について嫌になった。
先日見た「猫」ではあまり感じなかったのだが、
確かに以前(都んぼ時代から)この人の高座が嫌いな理由の一つではあった。
若旦那は「キリスト教にハマっている」ではなく、
喋り方といい仕草といい、西洋かぶれの単に気色悪い若者。
だいたい、「主イエースキリスト」という言い方に敬意が籠められていない。
ウケるところではあるが、踏み外してはならない箇所はあるだろう。
「ジーザス・クライスト」なども同様。
この若旦那、キリスト教にハマっているふりをして
実はイチビってバカにしている、という設定なのか?
「タバコ屋の娘の本当の相手」などの入れ事もある。
ウケはとれるが、対立している緊張感を削いでしまい、
その後も戻りきらなかったように感じる。
親旦那が殴り、
若旦那が「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」やさらに
「目には目を、歯には歯を」と返していくところは溜め過ぎていた。
もう少しあっさり進めていった方が、ウケが重なっていくと思う。
後で「どちらの味方か」と親旦那に問い詰められた番頭が
思わず「アーメン」などと呟いてしまうのは可笑しかった。
サゲは「時の氏神」。
これを「宗論」だ「落語」だと思えば、論外で見ていられないが、
色替りのコントと思えば、そこまで腹も立たずに済む代物だった。
「野崎詣り」(雀三郎):○
歌のマクラなどを軽く振ってネタへ。
最初にハメに乗せて、道を歩いていく人間を描写し、
喜六清八の絡み、傘差し掛けて歩く男との喧嘩の後、
屋形船と道の喧嘩が入って
「小さいと軽蔑するな」の喧嘩、という流れ。
最初噛むところが散見されて調子が悪いのか、と感じたのだが、
徐々に乗っていくと流石の出来。
喜六のイチビリが非常に自然で調子に乗っており、
清八や、船頭や道の連中の巻き込まれ方も楽しい。
ただやはり、この真似をするのは難しいなあ。
全体に滞りなく、登場人物の気持ちが自然に滲み出た台詞・会話、
間や強弱でトントンと進んでいく。
良い落語を聞いた、と思える。
「動物園」(南天):○-
大阪人の口癖のマクラ。
前も聞いたことがある、ネタになっているものではあるが、よくウケていた。
昼席トリで見たことがあるが、
やはり得意ネタらしく楽しそうに演っている。
時間を短縮するための工夫が色々。
例えばアホが言った条件におっさんが返す、でなく
あっさりと移動動物園の仕事を紹介する、
カップルでやってきた友達はカットする、など。
ただ全体には、毛皮を着る場面や虎の歩き方の練習、
パンを食べるために子どもに話し掛ける場面などは
こってり演ってウケをしっかり取っていた。
「高津の富」(ざこば):△+
周囲の金持ちの話を少し振ってネタヘ。
「これから入る」といく雰囲気を持たずにネタに入り、
しかもマクラの内容がきちんとネタに関係している、
というところが格好良い。
客が最後に笑うところや
それに対して主が「へっ」と驚く、といった
何故か(特に理由はないのだが慣習的に)皆が演っている演り方を
踏襲していない。
これはこれで悪くないな。
客が高津さんに行く、と言うタイミングが早かった。
「うどん食って」抜きで札を見比べていくのかと思っていたが、
その後籤を引く場面の喧騒に話をもっていっていた。
このあたりは演り慣れていないネタだからだろうな。
札が読まれる際に客がいると、
その場で自分の持っている札と読み比べるだろうから、
後半の「当たった当たっていない」の盛り上がる箇所ができないだろうし。
二等が当たる男の独りキチガイは生き生きして良かった。
「風呂に行く」「酒」「寝る」がそれぞれ言っているだけでなく、
この男の実感を籠めて喋っているからだと思う。
客が来て読み合わせ。
「当たっているのでは」と気付くまでは普通に。
札を投げ捨てるところもあり。
読み合わせ、気付いていくところは自然に盛り上がっていた。
気付いて「当たった」が最初から声を張り上げるのではなく、
「当たった」とまず小さく漏らしてそれから声を張り上げていく流れが良い。
店の主人も当たりを調べて
(「番号を控えている、このあたりは抜かりがない」までは言わない方が良いと思う)
当たりに気付き、帰宅。
このあたりからサゲまでは、少し雑に感じた。
富が当たったことを嫁さんに言っていないので、
「何故酒風呂にするか」が嫁さんには伝わっていないのではないかな。
顔ぶれは良いが、GW明けでそこまで混まないだろう、と思っていたのだが、
開場30分前の13時に着くと既に何人か並んでいる。
結局80人程度入っていたのではないかな。
「うなぎや」(そうば):△
この位のキャリアの人が前座を務めると、寄席としては安定するな。
軽くマクラを振ってネタへ。
前座としては、水を飲まされた話を入れないのは一つの方向だろう。
全体に、訛りが気になる。
「どうぞお二階へ」の繰り返しでウケをとっている。
鰻を掴む仕草がイマイチ。
そこまで丁寧にする必要はないが、
少なくとも手の間から鰻が頭を出すようには見せて欲しい。
上を向け、下を向け、前を向いたところで
特に鰻を追いかける動きを長く見せずにサゲへ。
あっさりした前座だった。
「狸さい」(ちょうば):△+
ざこばとテレビで競馬を見ていた話を振ってネタへ。
今も昔もバクチにハマる人がいる、というマクラを振っているのだから、
「昔は」サイコロバクチが流行った、と
今と昔の差を強調してネタに入るのは勿体ない気がする。
男が狸に話しかけるところから始まる。
「大きさ」「2ばかり出る」「斜め」を見ての男の反応など、
こういった言い方をすればウケる、と考えられている。
若干落語っぽくない印象を受けるところもあるが、
ネタがネタなのでそれでも構わないかな、と思う。
賭場で「表で大きな声を出して」はなし。
確かに「けんたいで出来ることをやっている訳ではない」話は要らないが、
ウケも取れるだろうから別に外さなくても良いと思うのだが。
賭場の男が手の中で振って見せる仕草など、少し大仰な印象。
「5」を出させようとして狸にどのように説明するか、
悩むところでウケが来なかったのはマズい。
ネタの全体が伝わっていなかったのか、
それ以前の「数を言う」→「言うなと言われる」→「符号を言う」、
という上げて下げての流れの軸が不充分だったのかも知れない。
これもあって「天神さん天神さん」からサゲの説明など、
あまりウケていなかった。
尻すぼみと感じる。
「宗論」(米紫):△-
様々な揉め事がある、というマクラ。
相変わらず、語尾を上げ、押し付けてくるような喋り方が不快。
「仏具の店がクリスマスセールをやっている」話は面白いが、
ネタの中でも出てくるから言うべきではない、と感じる。
ネタに入ると、アンドロイドのような不自然な上下の振りや動きが
目につき、鼻について嫌になった。
先日見た「猫」ではあまり感じなかったのだが、
確かに以前(都んぼ時代から)この人の高座が嫌いな理由の一つではあった。
若旦那は「キリスト教にハマっている」ではなく、
喋り方といい仕草といい、西洋かぶれの単に気色悪い若者。
だいたい、「主イエースキリスト」という言い方に敬意が籠められていない。
ウケるところではあるが、踏み外してはならない箇所はあるだろう。
「ジーザス・クライスト」なども同様。
この若旦那、キリスト教にハマっているふりをして
実はイチビってバカにしている、という設定なのか?
「タバコ屋の娘の本当の相手」などの入れ事もある。
ウケはとれるが、対立している緊張感を削いでしまい、
その後も戻りきらなかったように感じる。
親旦那が殴り、
若旦那が「右の頬を打たれれば左の頬を出せ」やさらに
「目には目を、歯には歯を」と返していくところは溜め過ぎていた。
もう少しあっさり進めていった方が、ウケが重なっていくと思う。
後で「どちらの味方か」と親旦那に問い詰められた番頭が
思わず「アーメン」などと呟いてしまうのは可笑しかった。
サゲは「時の氏神」。
これを「宗論」だ「落語」だと思えば、論外で見ていられないが、
色替りのコントと思えば、そこまで腹も立たずに済む代物だった。
「野崎詣り」(雀三郎):○
歌のマクラなどを軽く振ってネタへ。
最初にハメに乗せて、道を歩いていく人間を描写し、
喜六清八の絡み、傘差し掛けて歩く男との喧嘩の後、
屋形船と道の喧嘩が入って
「小さいと軽蔑するな」の喧嘩、という流れ。
最初噛むところが散見されて調子が悪いのか、と感じたのだが、
徐々に乗っていくと流石の出来。
喜六のイチビリが非常に自然で調子に乗っており、
清八や、船頭や道の連中の巻き込まれ方も楽しい。
ただやはり、この真似をするのは難しいなあ。
全体に滞りなく、登場人物の気持ちが自然に滲み出た台詞・会話、
間や強弱でトントンと進んでいく。
良い落語を聞いた、と思える。
「動物園」(南天):○-
大阪人の口癖のマクラ。
前も聞いたことがある、ネタになっているものではあるが、よくウケていた。
昼席トリで見たことがあるが、
やはり得意ネタらしく楽しそうに演っている。
時間を短縮するための工夫が色々。
例えばアホが言った条件におっさんが返す、でなく
あっさりと移動動物園の仕事を紹介する、
カップルでやってきた友達はカットする、など。
ただ全体には、毛皮を着る場面や虎の歩き方の練習、
パンを食べるために子どもに話し掛ける場面などは
こってり演ってウケをしっかり取っていた。
「高津の富」(ざこば):△+
周囲の金持ちの話を少し振ってネタヘ。
「これから入る」といく雰囲気を持たずにネタに入り、
しかもマクラの内容がきちんとネタに関係している、
というところが格好良い。
客が最後に笑うところや
それに対して主が「へっ」と驚く、といった
何故か(特に理由はないのだが慣習的に)皆が演っている演り方を
踏襲していない。
これはこれで悪くないな。
客が高津さんに行く、と言うタイミングが早かった。
「うどん食って」抜きで札を見比べていくのかと思っていたが、
その後籤を引く場面の喧騒に話をもっていっていた。
このあたりは演り慣れていないネタだからだろうな。
札が読まれる際に客がいると、
その場で自分の持っている札と読み比べるだろうから、
後半の「当たった当たっていない」の盛り上がる箇所ができないだろうし。
二等が当たる男の独りキチガイは生き生きして良かった。
「風呂に行く」「酒」「寝る」がそれぞれ言っているだけでなく、
この男の実感を籠めて喋っているからだと思う。
客が来て読み合わせ。
「当たっているのでは」と気付くまでは普通に。
札を投げ捨てるところもあり。
読み合わせ、気付いていくところは自然に盛り上がっていた。
気付いて「当たった」が最初から声を張り上げるのではなく、
「当たった」とまず小さく漏らしてそれから声を張り上げていく流れが良い。
店の主人も当たりを調べて
(「番号を控えている、このあたりは抜かりがない」までは言わない方が良いと思う)
当たりに気付き、帰宅。
このあたりからサゲまでは、少し雑に感じた。
富が当たったことを嫁さんに言っていないので、
「何故酒風呂にするか」が嫁さんには伝わっていないのではないかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます