おばあちゃんの子供の頃の我が家の電話番号は 550番だった。
戦争中のある日にその電話が無くなった。取り外された後には柱に電話の跡が
残っていてなんとも言えない寂しさだった。
供出しなければいけないの。供出よ。と
大人の話から聞こえてきた。
それからしばらくすると、学校の先生から、家にある仏壇の仏具、お鍋、弁当箱、飛行機を作る材料になるものを供出
するように言われた。
先生にと言われたら持っていきたいのが子供。
母に大きな蒸器と弁当箱をだしてもらって先生に渡しましたよ。渡すところにはつぶされた鍋、釜が一杯。受け取った先生が太い木刀で私の目の前で大きな音で叩き割ったのです。お鍋とお弁当箱が可哀想でなみだでした。
これも供出。
お釜が有ってもお米がない。弁当箱が有っても、入れるご飯がない。これが戦争。
供出を辞書で調べると、国などの要請求めにおおじて、金、ものを差し出すこと。とある。これが戦争。
原子爆弾と弁当箱の戦争でした。
電話番号の550番。忘れていませんよ。