先週末、経堂の日本ユーラシア協会本部にて
早くも来年のダーチャツアー企画の第2回打ち合わせあり。
その帰路、商店街の古本屋さんの前に置かれた段ボール箱のなかに
「ソヴェト文化」なる文字を見つけて立ち止まる。
さすが協会本部お膝元の地だけあって、
ソ連がらみのお宝がざくざくあるではないですか。
やや!懐かしの大阪万博ソ連館パンフ発見!
おお!ソ連や~。
紛れもなくこれは、ソ連本国で印刷されたもの。
往年の「ソビエトグラフ」や「ソビエト婦人」と活字が同じだ。
それにこの胸躍るプロパガンダ口調の実直な翻訳!懐かしい~!
親愛なみなさん!
万博当時、ソ連館は長蛇の列で入れなかった悔しい思い出がある。
なので残念ながらソ連館そのものを語る立場にはないのだが、
まさに語るにふさわしい方が身近におられる。
「ソ連館の美人ホステス(コンパニオンのこと)」として
当時のマスコミにも紹介されたロシア美人とは、誰あろう
かねてからこのブログにも書いているロシア婦人Sさんなのだ。
早速Sさんにパンフをお見せしてみた。
「んまぁ!そうそうここ!この受付にいたのよ!」と
館内の見取り図を指差して、めくるめく記憶の彼方へ…。
「ガガーリンの展示はどこかしら。あ、ここだわ!
そうそう、1階にレストランとコンサートホールがあったのよねぇ。
2階は文化と芸術、3階はシベリア…。懐かしいわぁ」
当時ソ連館で共に働いた日露の美人ホステスたちは、
60歳近くなった今も交流を保ち続けているそうだ。
ほかの国のパビリオンでも、同じような交流があると
本で読んだことがある。
万博パビリオン娘たちのその後。知りたいなー。
早くも来年のダーチャツアー企画の第2回打ち合わせあり。
その帰路、商店街の古本屋さんの前に置かれた段ボール箱のなかに
「ソヴェト文化」なる文字を見つけて立ち止まる。
さすが協会本部お膝元の地だけあって、
ソ連がらみのお宝がざくざくあるではないですか。
やや!懐かしの大阪万博ソ連館パンフ発見!
おお!ソ連や~。
紛れもなくこれは、ソ連本国で印刷されたもの。
往年の「ソビエトグラフ」や「ソビエト婦人」と活字が同じだ。
それにこの胸躍るプロパガンダ口調の実直な翻訳!懐かしい~!
親愛なみなさん!
万博当時、ソ連館は長蛇の列で入れなかった悔しい思い出がある。
なので残念ながらソ連館そのものを語る立場にはないのだが、
まさに語るにふさわしい方が身近におられる。
「ソ連館の美人ホステス(コンパニオンのこと)」として
当時のマスコミにも紹介されたロシア美人とは、誰あろう
かねてからこのブログにも書いているロシア婦人Sさんなのだ。
早速Sさんにパンフをお見せしてみた。
「んまぁ!そうそうここ!この受付にいたのよ!」と
館内の見取り図を指差して、めくるめく記憶の彼方へ…。
「ガガーリンの展示はどこかしら。あ、ここだわ!
そうそう、1階にレストランとコンサートホールがあったのよねぇ。
2階は文化と芸術、3階はシベリア…。懐かしいわぁ」
当時ソ連館で共に働いた日露の美人ホステスたちは、
60歳近くなった今も交流を保ち続けているそうだ。
ほかの国のパビリオンでも、同じような交流があると
本で読んだことがある。
万博パビリオン娘たちのその後。知りたいなー。
Yozakuraです。無沙汰しております。
本日、年の瀬の束の間の息抜きに立ち寄ったところ、話題は何と、1970年の、あの万国博覧会!!
懐かしい話題、有難う御座います!!
イッキに飛びますですねーーーー、時間が、20世紀の半ばへと!! 私もあの万博に参加----と申しますか----見学しました。余りの暑さと、観客の多さとに噎せ返り、何処のパビリオンを訪問したのか記憶には一切残っておりませんが-----。東海道線の快速電車が停車した茨木だったか、高槻だったか、どちらかの駅から、バスに乗車して会場まで出掛けたものです。
しかし、あの熱気だけは、確かに記憶しております。日本全体が、経済成長の熱気と、それが齎す国家全体の陶酔に酔い痴れていた時代です。
確か、プロブレーマちゃん達は、東京都内の区立中学校在学中の身、夏休みを利用して東京より遥遥と大阪まで万博の為に出掛けられたのですよね?
何時ぞやの、ロシア通信の片隅に書いてあったのを記憶しております。
また、この調子にて、昭和の時代を回顧して下さい。どうぞ、来年も良い年をお迎え下さい。お元気で。Yozakura 敬白
では来年もよろしくお願いいたします。どうぞよいお年を!