承和年間(834~48年)の平安初期に道昌僧正が現在の渡月橋より二百㍍程上流の辺に橋を架けた
ようです。当時この橋を葛野橋とか法輪寺橋とも云われて、橋は朱丹に塗られ東北河畔より嵐山一角の
風光を眺望する、すぐれた景勝を展開していたようです。
それから四百数十年后、亀山上皇が月が渡るのをみて渡月橋と名付けられた。この時の亀山御殿は嵐
山大堰川もその庭と眺め、橋もお庭先と考えられていたのでしょう。
夢窓国師が天竜寺造営後、更に大きな橋に架け替えたが応仁の乱で焼失しました。その後景徐という僧
が勧進帳を作って橋を架けたが洪水で流失してしまった。それ以後、橋を架け替えたかどうか記録がなく、
慶長年間(1596~1615年)嵯峨の富豪である角倉了以が保津川を開いた時に現在の処に架け替えら
れたのでした。
PENTAX K-5 ”雅”+smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6 ED AL[IF] DC WRで撮った。