【
戻】
カラオケ店を出て右に数歩進むと十字路に突き当たる。
その手前の角の公園には蒸気機関車――略すとSLだな――が停留してて、近所のガキ共からは「汽車ぽっぽ公園」と呼ばれてるんだそうだ。
高層ビルの谷間に有るせいで何時も強い風が吹いてる、バイト帰りに夕涼みしてくにはもってこいの場所だ。
あの日も門の側のベンチに座って、缶ビールを呑んでいた。
――7/3の晩の事だ。
漸く日が沈み、外灯が点った公園には、蝉の声が響いてた。
てっきり明るい内だけ鳴くもんだと思ってたから驚いたっけな。
1本目のビールは即空になり、2本目を開栓した。
缶を傾ければ自然と視線も上向く、夜の帳に猫の目みてェな形の月が浮んでた。
あっという間に2本目も空になって残りは1本、名残惜しげに手の中で玩んでたのがいけなかったのか。
「月見酒?風流ね!」
いきなり背後から女の声がかかった――と思ったら、手の中の缶がスポン!と消失した。
とっさの事態に頭が回らず、水滴で濡れた手の平をじっと見詰めてたのは、今思い出すと間抜けだ。
振り返ると知らない女が俺の手から抜き取った500ml缶を、美味そうに一気呑みしてた。
プハッと満足気に息を吐いて女が微笑んだ、言葉通りの盗人猛々しさ、俺の目はさぞや恨めしそうだったに違いない。
それだけで飽き足らず女は俺の前に回り、隣に転がしてた空缶を後ろのゴミ箱にポイポイ放り捨てると、空いた席にちゃっかり座りやがった。
「誰だよ、てめェ?」
「今日って私の誕生日なんだ」
んな個人情報訊いてねェし。
ふと「こいつキ××イなんじゃね?」と不安を覚えた。
首から汗がドッと噴き出て、折り良く吹いた風に冷やされ、夏なのに寒気が襲う。
女とはいえ急に髪振り乱して迫って来たら恐ェ、密かに逃げる隙を窺ってたら、女がにんまり笑って缶を振った。
「だから、このビールは私へのプレゼント♪ね?」
なんだ、ただの自己中か…胸の内の警戒心が少しだけ緩んだ。
目の前で揺すられる缶はチャプンとも鳴らねェ、疾うに空だと知らされ肩が落ちた。
「他人様の『頑張った自分への御褒美』を己のプレゼントに摩り替える、てめェは一体何様だ!?」と怒鳴ってやろうとしたが、女は全く悪びれずに笑っていて、怒っている自分が阿呆らしく感じられた。
肩に届く柔らかそうなオレンジ色の髪と、茶色い挑発的な瞳と、両端が上向いてる小さな唇が、悪戯好きな仔猫を想像させる。
だが凸凹のはっきりした体が醸してるのは女豹の色気、呑みっぷりの良さからいって俺と同年代だろうと察しを付けた。
よもや女子高生だったとは……知ってたら手を出さなかったさ。
「おまえ…家族は居ねェの?」
「居るわよ」
「じゃ、独り暮らしか?」
「ううん、同居してる」
「だったらケーキとか買って、待っててくれてんじゃねェの?」
「うん、ケーキを焼いて、待ってるって」
「なら早く帰ってやれよ!」
腕時計で確認したら20時近い。
今頃は冷めちまった料理を前に、腹空かしてるだろうと想像したら、家族が不憫に思えて腹立った。
ケーキを焼いて待っててくれるなんて、今日び珍しいホカホカ家族じゃねェか、何の不満が有る?
探りを入れる積りで瞳をじっと見詰めたら、女は慌てて顔を横に背けた。
「言われなくったって帰るわよ。でも…」
ベンチにもたれて上向けば、月がさっきより高い位置に昇ってる。
女の着ているシャツが月光を反射して白く輝いてた。
凍る様に冷たい外灯に比べ、同じ白色でも月の光は暖かい。
手の中で空缶を玩びながら、女がポツリポツリと語る。
隣で同じ月を眺める俺は、大人しくそれを聞いて居た。
「私の両親事故で死んじゃってるんだけど…以来年の離れた姉が働いて育ててくれて、それが今年の春結婚して旦那も一緒に暮らすようになってさ…居辛いのよ」
「邪魔者扱いするとか、性的虐待されてるとかか?」
肉感的な体付きから、つい淫らな想像しちまう。
「んーん、姉より更に一回り年が離れてる人で、お父さんみたいに優しくしてくれる…今日だってプレゼント用意して待っててくれてるみたい。でも…」
「『デモ』ばっかだな。だから外が好きなのか?」
「でも、姉の『家族』で私の『家族』じゃない。…良い人なのに、こんな風に考える自分の冷血さが嫌になる。私に遠慮して子供を作る事も控えてるのに…それがまた重荷で、だから独り暮らしさせてくれって頼んだの」
俺の渾身の洒落もスルーし、女は独り言のように喋り続けた。
抱えた膝の上に頬杖をついて月を眺めている顔を横目に、もう2本ビールを買っときゃ良かったなと後悔する。
「勉強に集中する為だって説得して…でも反対されちゃった。女の子の独り暮らしは危ないからって。本当に実の父親みたく心配してくれてるの。でもやっぱり一緒に暮らすのは無理…悩んでて或る時閃いたの!私も姉みたいに男つくって一緒に暮らしちゃえば良いんだって!――ね、私をあんたの家に住まわせてくれない!?」
「――は??ちょ、ちょっと待て!黙って聞いてたら、話がとんでもない方向に転がってやしないか…?」
「好きな男が出来て家を出るんなら自然でしょ?名案だと思わない?」
「どこが名案だ!?通りすがりに捕まえた男に同棲持掛けるなんて非常識だろ!!そういう件は同性の親しい友人に当れ!!」
「実を言うと私…あんたに一目惚れしたの!もう離れたくない!だから傍に置いて!」
「嘘吐け!!てめェ俺を利用したいだけだろ!?よしんばマジでも、こっちは会ったばかりの素性も知れねェ女と暮らすなんて御免だ!!」
「呑みっぷりの良さからいって、あんた私と気が合いそう!ね、一緒に住もうよv」
甘えた声を出して取り縋る腕を、俺は何度となく振り払ったが、女も何度断られようと、しつこく食い下がった。
揉み合う内に女の手から零れた空缶が、地面をコロコロ転がって行き、月光を反射して銀色に光った。
「それで、根負けして一緒に暮らす事にしたのか」
「…直ぐにじゃねェ。3日後バイト帰りにここで待ち構えてて、ストーキングの果てに勝手に上がりこまれた。腹減ったっつうから仕方なく晩飯食わして…それが常習化して…つい手を出したら週1で泊まるようになって…今に至る」
「ゾロのアパート、ワンルームだろ?…せまいな」
「こたつの横に布団敷くのが精一杯だ」
「つまりなつかれたんだ、ゾロは」
「んっとに猫だぜ、あいつ…!」
抱えた頭を掻き毟る俺の横で、ルフィがぐびりとビールを呑む。
公園を照らしているのは、あの夜と同じ、白い外灯と猫目月。
正面に横向きで停留してる真っ黒なSLが、広場の半分を覆うように大きな影を落としている。
白と黒、明暗くっきりした静かな夜の公園内では、虫の声がやけに高く響いて聞えた。
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アホが酔い潰れた所で、月見(どの辺が月見だったんだ?)の宴はお開きになった。
バイクで来ていたウソップは店を出て家に直帰、自動的にアホを送る役目は俺とルフィに任された。
ルフィと俺は帰り道同じでカラオケ店から歩いて行ける距離だが、アホの家は逆方向かつ電車で1駅行った先に有る。
目と一緒に眉毛まで回した――ああ眉毛は元からか――アホを2人で肩に担ぎ、明りの消えた商店街の通りを引き摺って歩いた。
己の限度も見極めず無茶呑みしやがって、馬鹿が。
そもそも酒強くねェくせして参加してんな、阿呆が。
だから誘いたくねェのに誰だよ教えた奴?呆けが。
大体てめェは昔から格好付けに必死過ぎんだ、気障が。
結果実体バレて幻滅されてフラレてんのをいいかげん理解しろ、エロが。
当人が酩酊してんのを幸いにひたすら悪態吐いてたら、反対の肩を担いでるルフィが、物言いたげに見詰めてる事に気が付いた。
ああそうだよ、こいつを酔い潰したのも、誘った呆けも俺、今は反省してるさ。
何を切っ掛けに付き合い始めたんだったか…大昔の事なんで忘れちまった。
それでも途中の電柱に捨て置いたりせず、アホを家に届けた俺達は、Uターンして元居たカラオケ店の有る通りに戻って来た。
そこから数歩先の十字路に出た所で別れる積りだったが、横に件の公園を見付けたルフィから、「話の続きを聞かせろ」とせがまれ寄ってく事になった。
宴の〆がああだった事で呑み足りなくもあったしと、近くのコンビニで缶ビールを4本買ってく。
公園内は下と上とに分かれていて、SLは上段の方に停留している、あの夜と同じ横から見る位置のベンチにルフィと並んで腰掛け、カラオケ店では話さなかった「馴初め」を聞かせた。
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「旅行っていつ行くんだ?」
「明日」
「明日ァ!?――だったら早く帰って持ってく物準備しなきゃいけねーじゃん!こんな所でおまえ何してんの!?」
「てめェが『話の続き聞かせろ』っつってここに連れて来たんだろが!…心配しなくても準備なら家の半ノラがやっといてくれてる。俺は朝それを運ぶだけだ」
「へー、便利だなー。俺もどーせーしようかな」
「便利でもあるが面倒でもある。やって貰った分、こちらは3倍にして返さねェと機嫌を悪くするからな」
本気で羨ましがってるルフィに、俺は曖昧な笑顔を返した。
呑み切った缶を捻り潰してから、後ろのゴミ箱目がけ放り投げる。
隣で見ていたルフィも真似て、缶をメンコ状になるまで潰してから投げた。
金属音の余韻が空気を震わす、間に置いといた缶にルフィが手を伸ばしたのを見て、俺は無言で手の平を差し出した。
「おごりじゃねーの?」とルフィの目が訴える、誰が奢るかアホ。
むしろ話を聞かせた分含めて徴収したいくらいだ。
ルフィが渋々財布から小銭を取り出す、2本目の代金まできっちり支払って貰ってから、俺は手を引っ込めた。
ビルを吹き降りる風が、公園に植わる桜と銀杏の木を、ざわざわと揺らす。
外灯に照らされた葉は、既に薄く色付いていた。
あの夜よりも肌寒い風に、ここでの夕涼みも終りだななんて考えてたら、再び質問された。
「どこ行くんだ?」
「長崎の『ハウステンボス』ってテーマパーク」
「遊園地か」
「オランダそっくりに造ったらしい」
「オランダのパクリか。なら本物のオランダ行けば良いのに」
「んな金有るか!第一、行きたいって申し込んだのは向うだ。行った友人から話を聞いて、憧れてたんだと」
「へー。彼女が行きたいって言ったから、連れてってやるのかー。優しいなー」
そう言うと、人の顔を見ながらニヤニヤ笑った。
澄ましてビールを呑む、直ぐに2本目も空になった。
さっきのように潰してゴミ箱に投げる、その後をルフィの缶が追う、底に溜まった空缶にぶつかり、けたたましい音が鳴った。
いきなりルフィがベンチから立ち上がり、正面の小山の形した滑り台へ向って駆けてった。
SLが作った闇の中を、影が猿の様に登ってく。
何をする積りかと、立ち上っておもむろに後を追った。
ガキから見たら富士山級の険しさだろうが、大人ならジャンプすれば天辺に手が届く。
側に垂れてる鎖を使わず素手で登り、先に登頂した猿の隣に腰掛けた。
「…あれ、昔は金網で囲ってなくて、中に入れたんだぜ」
暫く黙ってSLを見詰めていた猿が口を開く。
「走りはしなくても、運転席うばい合ってよく遊んだ…なんで入れなくしちまったんだろう?」
声には落胆と憤りが篭ってる。
巨体をすっぽり囲う白い金網は、動物園の檻を連想させた。
後ろを振り返れば砂場まで金網に囲われてる、結構広い公園だってのに、ブランコもシーソーも無ェ。
多分以前は有ったんだろう、最近はどうしてこうも安全に神経過敏なんだか…その内更地化すんじゃねェの、ここ?
「資料保存を建前に…変質者が隠れないよう、野良猫に糞されないよう、子供が怪我しないようする為の措置かもな」
皮肉を篭めた俺の説明を聞くルフィは、まるで憎い敵を前にしてるような厳しい表情だ。
同時に瞳の奥には寂しさを湛えていて、俺はつい弟を宥めるような口調になっちまう。
「時が経っても変らないものなんて、何処にも無ェさ」
――男のくせに、相変わらず弱いのね、ゾロ。
目蓋の裏に竹刀を構えた少女が浮んだ。
黒い髪を男の子みてェに短く切っていた。
ガキの頃剣道の道場に通ってた俺は、そこの師範の1人娘に毎日決闘を申し込んでいた。
女だてらに滅法強い、正体は男じゃねェかと、通う者の間では噂になっていた。
小学1年から6年まで勝負を挑み続け、0勝2001敗という清々しい対戦成績。
いっそ笑いが取れる負けっぷりだってのに、諦めず向ってった当時の不屈の精神を褒めてやりたい。
中学生に上る頃、俺は東京に引越し、対戦はストップした。
手紙や電話で連絡を取る手段も思い付いたが、思春期特有の照れ臭さが勝って出来ず、学校で剣道部入って大会出続けてりゃ何時か会えるだろうと、高校卒業まで青春の血汗を道着と竹刀に染込ませた。
だがかつてのライバルと会い見える事は1度も無く、目的を失った俺は参段を前に足踏み、最近ではすっぱり身を引く事を考えてる。
己の強さは他人の後追いから生じたものかと思うと情けないが、限界らしかった。
――パーッ!!パーッ!!と立て続けに大きな音が耳を劈いた。
横切ってく眩しい光に、公園脇の道路を走る車のクラクションだった事を理解する。
「こうはで売ってたゾロも結婚しちまうしな」
ルフィが歯をニッと剥き出してこっちを見ていた。
「まさかゾロが1番に結婚するなんてなァ、ちっとも思わなかったぞ」
「別に硬派で売っちゃいねェよ…」
眉毛が渦巻いてるアホと比較されるせいか、世間からとかく硬派の印象を受ける。
内実幼い頃の負けを引き摺り、止めるに止めれない優柔不断だってのに…と、言われる度に自嘲を漏らしてた。
んな風に卑屈で居る俺に気付いているのか否か、ルフィは小山を飛び降りると振り向きざまに言った。
「明日は早く出発すんだろ?俺帰るから、おまえももう帰れ!」
そうして1人さっさと公園の外へ向い、門の手前でもう1度振り返った。
「土産にうまいもんいっぱい買って来い!!結婚祝いにな!!」
「逆だアホォ!!結婚祝いなら、こっちが貰う立場だろうが!!」
無邪気に手を振る姿を外灯が照らす。
門を出た所でその姿は闇に消え、草葉の陰で鳴く虫の声が耳に戻った。
振っていた手を下ろし、小山の上に寝そべる。
ちと背中が冷たくて痛くて反るが、こうすればビルに邪魔される事無く夜空が観れた。
白々と輝く猫目月が、真上からじっと見詰めている。
道草食ってるのを咎められてるようで、やましい気持ちになった俺は、ルフィの言う通り駆け足で家に戻る事にした。
【
続】