前回に続いて神田川を遡り、架かる橋を数えて行きます。
今回のキーワードは「中野長者」…果たして何者なのか?
●下流から数えて64番目の橋…宝橋
この橋の名前も熊野神社所縁と考えられます。
比較的新しく架けられたのか、親柱や欄干のデザインが近代的、水の波紋をイメージした模様でしょうか?
組子細工を思わせるデザインの欄干、和モダンですね~。
撮影時お爺さんが飼い犬の散歩に来ていました。
橋向うに聳えるのは新宿都庁、遠くから見ても識別可能な個性的デザインです。
今回立ち寄らずに終わった熊野神社については、公式HPを御覧ください。(汗)
室町時代に西新宿の地に創建されて以来、新宿の総鎮守として住民に愛される熊野神社。
言い伝えによると神社を創建したのが「中野長者」こと、鈴木九郎なる人物とされています。
紀州熊野の出身である鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より、十二所権現を勧請して一つの社に祀ったとの事。
その為、「十二社熊野神社」と呼ばれています。
しかし熊野神社を創健したのは別人物だとの言い伝えも残っています。
「熊野神社北側の角筈村(西新宿一帯の旧地名)代々の名主だった渡辺家の伝承によると、先祖の与兵衛(熊野神社HPだと興兵衛)は、天文~永禄年間(西暦1532~1569年)の紀伊国熊野三山で起きた熊野の乱に際し、熊野神社の神宝一物を持ってこの地に逃れて住み、土地を開拓して熊野神社を建立したと伝えられる」(清水克悦著「山手線謎解き街歩き:実業之日本社発行」より抜粋)
鈴木九郎か?渡辺与兵衛(興兵衛)か?どちらが真の創健者なのでしょう?
「宝橋」なる橋名は、渡辺家伝説が由来となり、名付けられたように思えますが…。
↑宝橋下流側の眺め、新宿新都心のビル群が間近に迫って見えます。
↑宝橋上流側の眺め、こちらは背の低い建物ばかり。
●下流から数えて66番目の橋…長者橋
立派な名前の割に、橋名パネルだけというのは寂しい。
首都高速中央環状線「中野長者橋出入口」と繋がる大きな橋です。
橋の欄干も飾り気の無いシンプルなデザイン、機能美を重視してのものでしょうか?
橋名の由来は御察しの通り「中野長者」伝説より。
室町時代、紀州熊野の出身、鈴木九郎は、現在の中野坂上に建つ成願寺の辺りに住み着き、荒れ地を開拓して馬を飼った。
そして育てた馬を下総の馬市で売り、一貫文のお金を浅草の観音様に奉納したところ、その後家運が良くなり巨万の富を得た。
神仏の御力に感謝した九郎は、故郷である紀州の熊野三山より、十二所権現を勧請して一つの社に祀ったとの事。
「中野長者伝説」をもっと詳しく知りたい方は、この橋の南側に在る中野長者所縁の、多宝山成願寺HPにて御覧ください。(汗)
…そんな信心深い長者様が人を殺めたとの噂を立てる、世間のやっかみが恐ろしい。
幽霊のお岩さんのモデルにされた人物は、実際には夫婦仲が良く、働いて裕福になったのに、フィクションでは夫に殺され怨霊となる役どころ…成金は妬みのターゲットにされてしまうのですね。
そういえば、お岩さんも話の中で、死体を神田川に投げ込まれていました、場所は確か面影橋の辺り。
↑長者橋下流側の眺め、新宿の高層ビル群から少し離れました。
↑長者橋上流側の眺め、次の橋のたもとに桜が咲いてるのが見えます。
↑上流側の橋のたもとに在る「長者橋公園」には、枝垂桜が数本植えてあります。
公園と言うより、小休憩スペースといった趣きですが、春は良いお花見ポイントです。
●下流から数えて67番目の橋…東郷橋
ブロックの様な見た目の親柱。
橋名の由来はこの辺りの旧町名「東郷町」からとの事。
橋のたもとには1本だけ桜が植えてありました。
歩道と車道とを分ける車止めが和テイスト、灯篭みたいなデザインで素敵です。
この付近の橋上の車止めは、みんな同様のデザインでした。
水色の欄干のデザインもモダンで個性的。
↑東郷橋下流側の眺め。
↑東郷橋上流側の眺め…中野新橋までは短い間隔で橋が架かります。
●下流から数えて68番目の橋…桔梗橋
側に桔梗は咲いてないけど桔梗橋。
この橋の親柱は煉瓦風。
欄干のカラーはコーラルピンク…そこは桔梗に合わせて紫色にして欲しかった。
しかし欄干等のデザインは、東郷橋に負けず劣らずモダンで、個性を感じられます。
↑桔梗橋下流側の眺め、周辺の遊歩道も綺麗に整備されており、散策していて気持ち良いです。
↑桔梗橋上流側の眺め。
●下流から数えて69番目の橋…皐月橋
桔梗橋と同じく煉瓦風の親柱、こちらは緑と茶のコントラストが効いてます。
ポスターか何かの剥がし後が痛々しいですが…綺麗にしてあげて。
欄干は緑で統一、緑濃くなる皐月のイメージに合ってます。
この橋のたもとに白い鳥居が建ってるのが見えるでしょうか?
詳しい事は解りませんが、山梨県南巨摩郡南部町を本宮とする、八津御嶽神社の分社がここに建ってまして、側には小さなお宮が設けられています。
撮影し忘れましたが、鳥居の傍には小さな二宮金次郎像も建っています。
⭐皐月橋~中ノ橋間の立ち寄りスポット…「東郷の宮」
毎月9日午後1時半に祭礼が行われるそうです。
現代の中野長者伝説を見る様な気持ち。
↑皐月橋下流側の眺め、ここからだと新宿都庁が綺麗に観えます。
↑皐月橋上流側の眺め、次に架かる中ノ橋までの間だけ、桜並木を楽しめる。
上流側向いて左岸に当たるこの区間は、「なかのはしポケットパーク」と呼ばれる、小さな公園になってます。
【続】
今回のキーワードは「中野長者」…果たして何者なのか?
●下流から数えて64番目の橋…宝橋
この橋の名前も熊野神社所縁と考えられます。
比較的新しく架けられたのか、親柱や欄干のデザインが近代的、水の波紋をイメージした模様でしょうか?
組子細工を思わせるデザインの欄干、和モダンですね~。
撮影時お爺さんが飼い犬の散歩に来ていました。
橋向うに聳えるのは新宿都庁、遠くから見ても識別可能な個性的デザインです。
今回立ち寄らずに終わった熊野神社については、公式HPを御覧ください。(汗)
室町時代に西新宿の地に創建されて以来、新宿の総鎮守として住民に愛される熊野神社。
言い伝えによると神社を創建したのが「中野長者」こと、鈴木九郎なる人物とされています。
紀州熊野の出身である鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より、十二所権現を勧請して一つの社に祀ったとの事。
その為、「十二社熊野神社」と呼ばれています。
しかし熊野神社を創健したのは別人物だとの言い伝えも残っています。
「熊野神社北側の角筈村(西新宿一帯の旧地名)代々の名主だった渡辺家の伝承によると、先祖の与兵衛(熊野神社HPだと興兵衛)は、天文~永禄年間(西暦1532~1569年)の紀伊国熊野三山で起きた熊野の乱に際し、熊野神社の神宝一物を持ってこの地に逃れて住み、土地を開拓して熊野神社を建立したと伝えられる」(清水克悦著「山手線謎解き街歩き:実業之日本社発行」より抜粋)
鈴木九郎か?渡辺与兵衛(興兵衛)か?どちらが真の創健者なのでしょう?
「宝橋」なる橋名は、渡辺家伝説が由来となり、名付けられたように思えますが…。
↑宝橋下流側の眺め、新宿新都心のビル群が間近に迫って見えます。
↑宝橋上流側の眺め、こちらは背の低い建物ばかり。
●下流から数えて66番目の橋…長者橋
立派な名前の割に、橋名パネルだけというのは寂しい。
首都高速中央環状線「中野長者橋出入口」と繋がる大きな橋です。
橋の欄干も飾り気の無いシンプルなデザイン、機能美を重視してのものでしょうか?
橋名の由来は御察しの通り「中野長者」伝説より。
室町時代、紀州熊野の出身、鈴木九郎は、現在の中野坂上に建つ成願寺の辺りに住み着き、荒れ地を開拓して馬を飼った。
そして育てた馬を下総の馬市で売り、一貫文のお金を浅草の観音様に奉納したところ、その後家運が良くなり巨万の富を得た。
神仏の御力に感謝した九郎は、故郷である紀州の熊野三山より、十二所権現を勧請して一つの社に祀ったとの事。
「中野長者伝説」をもっと詳しく知りたい方は、この橋の南側に在る中野長者所縁の、多宝山成願寺HPにて御覧ください。(汗)
…そんな信心深い長者様が人を殺めたとの噂を立てる、世間のやっかみが恐ろしい。
幽霊のお岩さんのモデルにされた人物は、実際には夫婦仲が良く、働いて裕福になったのに、フィクションでは夫に殺され怨霊となる役どころ…成金は妬みのターゲットにされてしまうのですね。
そういえば、お岩さんも話の中で、死体を神田川に投げ込まれていました、場所は確か面影橋の辺り。
↑長者橋下流側の眺め、新宿の高層ビル群から少し離れました。
↑長者橋上流側の眺め、次の橋のたもとに桜が咲いてるのが見えます。
↑上流側の橋のたもとに在る「長者橋公園」には、枝垂桜が数本植えてあります。
公園と言うより、小休憩スペースといった趣きですが、春は良いお花見ポイントです。
●下流から数えて67番目の橋…東郷橋
ブロックの様な見た目の親柱。
橋名の由来はこの辺りの旧町名「東郷町」からとの事。
橋のたもとには1本だけ桜が植えてありました。
歩道と車道とを分ける車止めが和テイスト、灯篭みたいなデザインで素敵です。
この付近の橋上の車止めは、みんな同様のデザインでした。
水色の欄干のデザインもモダンで個性的。
↑東郷橋下流側の眺め。
↑東郷橋上流側の眺め…中野新橋までは短い間隔で橋が架かります。
●下流から数えて68番目の橋…桔梗橋
側に桔梗は咲いてないけど桔梗橋。
この橋の親柱は煉瓦風。
欄干のカラーはコーラルピンク…そこは桔梗に合わせて紫色にして欲しかった。
しかし欄干等のデザインは、東郷橋に負けず劣らずモダンで、個性を感じられます。
↑桔梗橋下流側の眺め、周辺の遊歩道も綺麗に整備されており、散策していて気持ち良いです。
↑桔梗橋上流側の眺め。
●下流から数えて69番目の橋…皐月橋
桔梗橋と同じく煉瓦風の親柱、こちらは緑と茶のコントラストが効いてます。
ポスターか何かの剥がし後が痛々しいですが…綺麗にしてあげて。
欄干は緑で統一、緑濃くなる皐月のイメージに合ってます。
この橋のたもとに白い鳥居が建ってるのが見えるでしょうか?
詳しい事は解りませんが、山梨県南巨摩郡南部町を本宮とする、八津御嶽神社の分社がここに建ってまして、側には小さなお宮が設けられています。
撮影し忘れましたが、鳥居の傍には小さな二宮金次郎像も建っています。
⭐皐月橋~中ノ橋間の立ち寄りスポット…「東郷の宮」
毎月9日午後1時半に祭礼が行われるそうです。
現代の中野長者伝説を見る様な気持ち。
↑皐月橋下流側の眺め、ここからだと新宿都庁が綺麗に観えます。
↑皐月橋上流側の眺め、次に架かる中ノ橋までの間だけ、桜並木を楽しめる。
上流側向いて左岸に当たるこの区間は、「なかのはしポケットパーク」と呼ばれる、小さな公園になってます。
【続】