2004年の秋頃のことである。偶然にラジオを聞いていた。
テリー伊藤のなんとかという番組で、そのゲストに峠恵子という歌手が出演していた。
途中から聞いていたし、その時は彼女の名前も聞き逃していた。しかし、彼女の体験談は面白く、思わず話しに聞き入ってしまった。男3,4人のニューギニア冒険旅行に、女一人で自主的に参加したときのエピソードが中心である。
日本からヨットで現地まで行き、4000メートル級の山に登ったり、ニューギニアのジャングルを探検するというものである。現地の様々な人との交流もある。中にはペニスケースだけをまとった裸族の現地人もいる。
彼らとの交流のなかで峠は面白いエピソードを語っていた。
日本人の幽霊が沢山でてくるので何とかしてほしいという、ニューギニア人が大勢いるというのである。
ニューギニアにはいまだに15万体もの旧日本兵の遺骨が眠っているらしい。現地の人たちの真剣な訴えに心動かされた峠たちは、その遺骨の収集も冒険の目的の一つに加えたという。
番組のなかでテリー伊藤は、美人の峠恵子に「女一人でほんとに危なくなかったですか、飢えた男たちはあなたに迫って来たんじゃないですか」などの下ネタがらみのツッコミを入れた。峠がなんと答えたか忘れた。
日本兵の幽霊。未開のジャングルで現地人を悩ます幽霊。
神の存在問題と同じように、幽霊の存在は科学的に証明できない。と同時に幽霊が存在しないということも科学的に証明できない。
幽霊を見ることができる人、幽霊の存在を信じている人が、幽霊と交流するという事実だけがあるだけだ。
現地の人は、幽霊がどう見え、どんな風に悩まされるのか。幻影なのか実体としての幽霊なのか。戦後の日本人遺骨収集団と接触したこともない奥地の現地人が、何故、幽霊が日本人であると認識できるのか。その幽霊は、現地語を話したりするのか・・。
峠恵子とその仲間たちがその幽霊に遭遇したことはあるのか、そのラジオ番組では触れられていなかった。
彼女が現地の人から聞いたこととは、幽霊たちは日本に帰りたがっている、或いはきちんと埋葬してほしい、ということだそうである。
私はそのとき軽い身震いをおぼえた。
スラヴォイ・ジジェクの「イラク」を読んだばかりだったからだ。図書館から借りたので手元にはないが、気になったことはメモしている。その当該箇所を紹介する。
「死者たちはなぜ戻ってくるのか? ラカンの答えは大衆文化に見出された答えと一緒である。すなわち、彼らが正しく埋葬されなかったからである」
「ナチスによるユダヤ人の大量虐殺とソ連の強制労働収容所という二つの大きな外傷的事件は二十世紀における死者の帰還の典型的な例である」
「その犠牲者たちの影は、われわれが彼らを正しく埋葬するまで、すなわち彼らの死という外傷を歴史的記憶に組み込むまで、”生きる死者”として執拗にわれわれをつけまわす」
「葬式は象徴化をもっとも純粋な形で例証しているのである。葬式を通して死者は象徴的伝統のテキストの中に登録され、その死にもかかわらず共同体の中に生き続けるだろうということを保証される」
ジジェクあるいはラカンの思想が見事に峠恵子の体験とリンクしていることが分かる。
かつて大和民族は死者に対しては丁重なる態度で臨んできた。
権力に対峙するほど強者が、怨念をもちつつ死んだもの、殺されたものは「神」として祀られ、私たちがその「社」に詣でることは日常的である(年1回ぐらいだが)。
また、お盆のときの墓参りも大多数の人たちが行なっている。
日本の伝統芸術である「能」に至っては、ほとんどが死者との交流を劇化したものだ。
しかし、太平洋戦争における戦死者の扱いはおろそかであるし、現地で巻き添えをくった民間の人たちの死に対して、日本は明らかに手を抜いている。政府はもちろん私たち自身もこれらを意識化はしていないし、そのことが問題になることもない。
司馬遼太郎が嘆慨したごとく、軍部が日本及び日本人のすべてを統制し、戦争へと突き進んでいったあの時代は「鬼胎の時代」だった。その後遺症は戦後の今となっても引きずっている、と私は思う。
戦争で無念にも戦死した日本兵のみならず、現地で虐殺された民間人たちは、ジジェクが言うように、「生きる死者」として私たちから離れようとしない。過去を引きずるだけでは進歩はないと、反論する人も多いだろう。しかし、少なくとも非業の死者を「正しく葬る」ことができない限り、私たち人類は新たな段階に進むことはできないのだ。
そのことを私に示唆したのがマイケル・ムーアの映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」だった。
ムーア監督の手法は、現場仕込みパフォーマンス型ドキュメンタリーとでも形容したい独特な撮影方法でリアリズムを強化している。
一番の特長は監督自身が出演する。(黒木なんとかという女優を売り出したAV監督も同じ手法だった)大柄・肥満、髭づら、太いフレームの眼鏡、そしてキャップ、カジュアルな服装は終始変わらない。
全体の印象として反知性的であり、野卑なヤンキーの典型とでもいえるし、ある種の純粋さやイノセンスも体現している。
このムーア監督が突貫小僧的にアメリカ銃社会の現場に殴りこみをかける。
そもそも、この映画はコロンバインで起きた高校生2人の銃乱射事件の真相を暴くドキュメンタリーであるが、冒頭にこの2人が事件を起こす前にボウリングを楽しんでいたという事実を私たちに知らせる。落ちこぼれ、劣等生の2人は周囲とのコミュニケーションも上手くない。またコロンバインという土地が銃製造で発展した町でもあり、この2人が高校生でありながらごく普通に銃を買いガンマニアとなっていった事情も知らされる。
あまりにも有名な映画だから映画の内容にこれ以上立ち入るのは止そう。
ただ、最後のエピソードでアメリカと同様に銃が一般家庭にまで普及しているカナダが紹介される。
カナダでも銃及び銃弾がスーパーマーケットでごく普通に買える。たが不思議にも銃犯罪が極端に少ないし、玄関に鍵をかける人もほとんどいないのだ、とムーアは強調する。
抜き打ち的にある家庭を訪問する。というより押し込むように入って行くと、家人はまったく無用心であり、監督を歓待する。銃を所持しているかと聞くと、持っているが一度も使ったことがないという。
同じ銃社会でありながら、人々の意識の差はアメリカとカナダでは雲泥の差である。なぜそうなのか・・。ムーアはここでは分析しないし、ただ戸惑うばかりだ。
彼はただただ、アメリカのあまりにも病理的銃社会問題を浮き上がらせたいだけなのかもしれない。あれほど告発的なムーアがカナダでは逆に圧倒されるままの印象なのだ。
アメリカでは憲法によって市民が武装する、つまり銃を所持することを保障されている。それが伝統的なアメリカ文化、エートスにもなっている。しかしその影で銃社会がもたらした殺傷事件、アクシデントに関して倫理的・哲学的な議論が徹底的に行なわれた事実は表面に出ない。大規模な乱射事件では大統領が犠牲者に哀悼の意を表するニュースが紹介されたりするが、それを契機に国家・国民的議論、責任問題の追及が行なわれた形跡が見られない。アメリカが独立して以来、この種の事件は数限りないのではないか。
これでは犠牲者・死者は浮かばれない。
犠牲者たちの家族はもちろん丁重に埋葬し喪に服したはずだ。しかしそれは個人的レベルであって、共同体が生み出した犯罪・病理については、その共同体の中心が主体となって葬礼なり追悼の義を執り行うべきなのだ。それは国家責任ともいえる。それが歴史的メルクマールとなって、共同体の人々の意識に宿る。それを怠れば、この種の事件・犯罪は繰り返される。アメリカの現実がこれだ。
少々オカルティックに飛躍すれば、他人と上手く付き合えず孤独に陥り仲間に虐められる少年が銃を手にすると、過去に犠牲になった浮かばれない死者の霊が囁くのである。
「気に食わない奴は、それでやっちまえ」と。
まさに映画でみたような想像だが、案外コロンバインの少年たちもこんな幽霊の呟きを耳にしていたかもしれない。
このコラムには結論がない。
ただ、私は死者に対する文化の問題として、日本もアメリカも同じような病根があるように思うのである.。
峠恵子のエピソードは個人レベルの話では済まされないところもある。それでなくとも靖国問題や南京大虐殺、従軍慰安婦問題など、日本はいまだに過去の亡霊に悩まされている。それは中国が政治的理由でカードを切っているからだという論もある。それも勿論あるが、中国には諸葛孔明の話を持ち出すまでもないが、死者の威光、霊力をないがしろにできないという文化がいまだに生きている。こうしたことも考慮しない限り、国家間のコミュニケーションは成立しないだろう。
追記
峠恵子の本「ニューギニア水平垂直航海記」を読んだが、彼女がこの冒険に参加した動機は「苦労をしないと、このままでは自分が駄目になる」というまったくの個人的理由だそうである。本書は殆どが冒険談であり、彼女なりの苦労を積み重ねる話である。日本兵の遺骨を捜す件は、全体の五分の一くらいで現地の「幻の犬」を見つける話と一緒になっていた。
私はそれに異論はない。日本兵の幽霊探索や遺骨収集が彼らの冒険のひとつであっても、彼女の文章の行間には何かしらの敬虔さが読み取れたからである。
テリー伊藤のなんとかという番組で、そのゲストに峠恵子という歌手が出演していた。
途中から聞いていたし、その時は彼女の名前も聞き逃していた。しかし、彼女の体験談は面白く、思わず話しに聞き入ってしまった。男3,4人のニューギニア冒険旅行に、女一人で自主的に参加したときのエピソードが中心である。
日本からヨットで現地まで行き、4000メートル級の山に登ったり、ニューギニアのジャングルを探検するというものである。現地の様々な人との交流もある。中にはペニスケースだけをまとった裸族の現地人もいる。
彼らとの交流のなかで峠は面白いエピソードを語っていた。
日本人の幽霊が沢山でてくるので何とかしてほしいという、ニューギニア人が大勢いるというのである。
ニューギニアにはいまだに15万体もの旧日本兵の遺骨が眠っているらしい。現地の人たちの真剣な訴えに心動かされた峠たちは、その遺骨の収集も冒険の目的の一つに加えたという。
番組のなかでテリー伊藤は、美人の峠恵子に「女一人でほんとに危なくなかったですか、飢えた男たちはあなたに迫って来たんじゃないですか」などの下ネタがらみのツッコミを入れた。峠がなんと答えたか忘れた。
日本兵の幽霊。未開のジャングルで現地人を悩ます幽霊。
神の存在問題と同じように、幽霊の存在は科学的に証明できない。と同時に幽霊が存在しないということも科学的に証明できない。
幽霊を見ることができる人、幽霊の存在を信じている人が、幽霊と交流するという事実だけがあるだけだ。
現地の人は、幽霊がどう見え、どんな風に悩まされるのか。幻影なのか実体としての幽霊なのか。戦後の日本人遺骨収集団と接触したこともない奥地の現地人が、何故、幽霊が日本人であると認識できるのか。その幽霊は、現地語を話したりするのか・・。
峠恵子とその仲間たちがその幽霊に遭遇したことはあるのか、そのラジオ番組では触れられていなかった。
彼女が現地の人から聞いたこととは、幽霊たちは日本に帰りたがっている、或いはきちんと埋葬してほしい、ということだそうである。
私はそのとき軽い身震いをおぼえた。
スラヴォイ・ジジェクの「イラク」を読んだばかりだったからだ。図書館から借りたので手元にはないが、気になったことはメモしている。その当該箇所を紹介する。
「死者たちはなぜ戻ってくるのか? ラカンの答えは大衆文化に見出された答えと一緒である。すなわち、彼らが正しく埋葬されなかったからである」
「ナチスによるユダヤ人の大量虐殺とソ連の強制労働収容所という二つの大きな外傷的事件は二十世紀における死者の帰還の典型的な例である」
「その犠牲者たちの影は、われわれが彼らを正しく埋葬するまで、すなわち彼らの死という外傷を歴史的記憶に組み込むまで、”生きる死者”として執拗にわれわれをつけまわす」
「葬式は象徴化をもっとも純粋な形で例証しているのである。葬式を通して死者は象徴的伝統のテキストの中に登録され、その死にもかかわらず共同体の中に生き続けるだろうということを保証される」
ジジェクあるいはラカンの思想が見事に峠恵子の体験とリンクしていることが分かる。
かつて大和民族は死者に対しては丁重なる態度で臨んできた。
権力に対峙するほど強者が、怨念をもちつつ死んだもの、殺されたものは「神」として祀られ、私たちがその「社」に詣でることは日常的である(年1回ぐらいだが)。
また、お盆のときの墓参りも大多数の人たちが行なっている。
日本の伝統芸術である「能」に至っては、ほとんどが死者との交流を劇化したものだ。
しかし、太平洋戦争における戦死者の扱いはおろそかであるし、現地で巻き添えをくった民間の人たちの死に対して、日本は明らかに手を抜いている。政府はもちろん私たち自身もこれらを意識化はしていないし、そのことが問題になることもない。
司馬遼太郎が嘆慨したごとく、軍部が日本及び日本人のすべてを統制し、戦争へと突き進んでいったあの時代は「鬼胎の時代」だった。その後遺症は戦後の今となっても引きずっている、と私は思う。
戦争で無念にも戦死した日本兵のみならず、現地で虐殺された民間人たちは、ジジェクが言うように、「生きる死者」として私たちから離れようとしない。過去を引きずるだけでは進歩はないと、反論する人も多いだろう。しかし、少なくとも非業の死者を「正しく葬る」ことができない限り、私たち人類は新たな段階に進むことはできないのだ。
そのことを私に示唆したのがマイケル・ムーアの映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」だった。
ムーア監督の手法は、現場仕込みパフォーマンス型ドキュメンタリーとでも形容したい独特な撮影方法でリアリズムを強化している。
一番の特長は監督自身が出演する。(黒木なんとかという女優を売り出したAV監督も同じ手法だった)大柄・肥満、髭づら、太いフレームの眼鏡、そしてキャップ、カジュアルな服装は終始変わらない。
全体の印象として反知性的であり、野卑なヤンキーの典型とでもいえるし、ある種の純粋さやイノセンスも体現している。
このムーア監督が突貫小僧的にアメリカ銃社会の現場に殴りこみをかける。
そもそも、この映画はコロンバインで起きた高校生2人の銃乱射事件の真相を暴くドキュメンタリーであるが、冒頭にこの2人が事件を起こす前にボウリングを楽しんでいたという事実を私たちに知らせる。落ちこぼれ、劣等生の2人は周囲とのコミュニケーションも上手くない。またコロンバインという土地が銃製造で発展した町でもあり、この2人が高校生でありながらごく普通に銃を買いガンマニアとなっていった事情も知らされる。
あまりにも有名な映画だから映画の内容にこれ以上立ち入るのは止そう。
ただ、最後のエピソードでアメリカと同様に銃が一般家庭にまで普及しているカナダが紹介される。
カナダでも銃及び銃弾がスーパーマーケットでごく普通に買える。たが不思議にも銃犯罪が極端に少ないし、玄関に鍵をかける人もほとんどいないのだ、とムーアは強調する。
抜き打ち的にある家庭を訪問する。というより押し込むように入って行くと、家人はまったく無用心であり、監督を歓待する。銃を所持しているかと聞くと、持っているが一度も使ったことがないという。
同じ銃社会でありながら、人々の意識の差はアメリカとカナダでは雲泥の差である。なぜそうなのか・・。ムーアはここでは分析しないし、ただ戸惑うばかりだ。
彼はただただ、アメリカのあまりにも病理的銃社会問題を浮き上がらせたいだけなのかもしれない。あれほど告発的なムーアがカナダでは逆に圧倒されるままの印象なのだ。
アメリカでは憲法によって市民が武装する、つまり銃を所持することを保障されている。それが伝統的なアメリカ文化、エートスにもなっている。しかしその影で銃社会がもたらした殺傷事件、アクシデントに関して倫理的・哲学的な議論が徹底的に行なわれた事実は表面に出ない。大規模な乱射事件では大統領が犠牲者に哀悼の意を表するニュースが紹介されたりするが、それを契機に国家・国民的議論、責任問題の追及が行なわれた形跡が見られない。アメリカが独立して以来、この種の事件は数限りないのではないか。
これでは犠牲者・死者は浮かばれない。
犠牲者たちの家族はもちろん丁重に埋葬し喪に服したはずだ。しかしそれは個人的レベルであって、共同体が生み出した犯罪・病理については、その共同体の中心が主体となって葬礼なり追悼の義を執り行うべきなのだ。それは国家責任ともいえる。それが歴史的メルクマールとなって、共同体の人々の意識に宿る。それを怠れば、この種の事件・犯罪は繰り返される。アメリカの現実がこれだ。
少々オカルティックに飛躍すれば、他人と上手く付き合えず孤独に陥り仲間に虐められる少年が銃を手にすると、過去に犠牲になった浮かばれない死者の霊が囁くのである。
「気に食わない奴は、それでやっちまえ」と。
まさに映画でみたような想像だが、案外コロンバインの少年たちもこんな幽霊の呟きを耳にしていたかもしれない。
このコラムには結論がない。
ただ、私は死者に対する文化の問題として、日本もアメリカも同じような病根があるように思うのである.。
峠恵子のエピソードは個人レベルの話では済まされないところもある。それでなくとも靖国問題や南京大虐殺、従軍慰安婦問題など、日本はいまだに過去の亡霊に悩まされている。それは中国が政治的理由でカードを切っているからだという論もある。それも勿論あるが、中国には諸葛孔明の話を持ち出すまでもないが、死者の威光、霊力をないがしろにできないという文化がいまだに生きている。こうしたことも考慮しない限り、国家間のコミュニケーションは成立しないだろう。
追記
峠恵子の本「ニューギニア水平垂直航海記」を読んだが、彼女がこの冒険に参加した動機は「苦労をしないと、このままでは自分が駄目になる」というまったくの個人的理由だそうである。本書は殆どが冒険談であり、彼女なりの苦労を積み重ねる話である。日本兵の遺骨を捜す件は、全体の五分の一くらいで現地の「幻の犬」を見つける話と一緒になっていた。
私はそれに異論はない。日本兵の幽霊探索や遺骨収集が彼らの冒険のひとつであっても、彼女の文章の行間には何かしらの敬虔さが読み取れたからである。