坂口安吾の掌編小説『復員』(1946年11月4日付「朝日新聞」大阪・名古屋版掲載。2018年、阪大・斎藤理生氏が発掘)
四郎は南の島から復員した。帰ってみると、三年も昔に戦死したことになっているのである。彼は片手と片足がなかった。
家族が彼をとりまいて珍しがったのも一日だけで翌日からは厄介者にすぎなかった。知人も一度は珍しがるが二度目からはうるさがってしまう。言い交した娘があった。母に尋ねると厄介者が女話とはいう顔であった。すぐに嫁入りして子供もあるのだ。気持の動揺も鎮(しず)まってのち、例によって一度は珍しがってくれるだろうと尋ねてみることにした。
女は彼を見ると真の悪い顔をした。折から子供が泣きだしたのでオムツをかえてやりながら「よく生きていたわね」と言った。彼はこんな変な気持ちで赤ン坊を眺めたことはない。お前が帰らなくとも人間はこうして生まれてくるぜと言っているように見える。けれども女の間の悪そうな顔で、彼は始めてほのあたたかいものをを受けとめたような気がして、満足して帰ってきた。
先日、クローゼットを整理していたら、以前よく使っていたトート・バッグに目を留めた。革の部分に黴が生えている。ふき取って綺麗にし、中を確認している時、内ポケットにまるで新品の文庫本が入っていた。
令和元年6月の刊行となっているから4年前に買った新刊本だが、まったく記憶がない。『不良少年とキリスト』という題名に惹かれたのだ、と今にしても思う。安吾の『堕落論』は若いころに読んで、相当な影響を受けたのだが、なぜか小説を読んでいない。読んだかもしれないが、あまり感心しなかったのか・・。
で、このたび探しあてたこの文庫本。巻頭に載っている、掌編小説『復員』は見開き2Pのたった18行の超短編である。すぐさま読んでみて、その趣向、深い味わいに驚いた。坂口安吾という作家の奥行のある洞察力、筆力に舌を巻いた。
掌編小説は川端康成、星新一などを読んだことがある。作家の力量を感じるものの、小説としてはやはり、その手応えは少ない。不遜な書きようだが、ないものねだりの読了感がのこってしまう。だが、この『復員』は違った。
主人公四郎は戦闘で手足を失い、死を乗り越えて帰還したが、故郷では厄介者扱いだ。そんな彼にも戦中に婚約を交わした女性がいるらしい。「厄介者が女話とはいう顔であった」という短い表現に、戦争で手足を失った息子を憐れむことは既に諦め、人間として役に立たない、生活に支障をきたす厄介者としてしか息子を見なくなった、母親の冷徹なまなざしを感じる。
「これからどうやって生きていくのか、お前には覚悟があるのかい」と、無言の表情のなかにそんなきつい言葉が含まれていそうだ。いや、もっと別の何かが浮かんでくる。家庭内では他にも家族がいるだろうし、彼は日常的にどんな扱いをうけ、家族や親戚、近隣のものたちと人間的な関係を維持できているのか・・。
解説の荻野アンナは、「わずか十八行で、大河小説の精髄が味わえるお徳用だ」と、この『復員』を称えている。
最後に四郎は、別の男と結婚し、子どもを産んだ許嫁(いいなずけ)に会いにいった。女は最初から最後まで「間の悪そうな」表情をしている。発した言葉が「良く生きていたわね」である。
四郎の胸のうちはわからない。生きて帰ったものの、絶望感に打ちひしがれていてもおかしくない(自暴自棄、自死その他)。虚心坦懐の心境とでもいうのだろうか、許嫁だった女の「赤ン坊」を見る、眺める。
「お前が帰らなくとも人間はこうして生まれてくるぜ」と、「赤ン坊」が語りかけているように四郎には思えたという。この一文で、ネガティブな文脈が一挙に反転し、人間が生きることの全的肯定を感じさせる・・。
それでもその子の母=許嫁は「真の悪そうな」表情を変えない。しかし、もう四郎は「ほのあたたかいものを受けとめたような気がして」、裏切った彼女を許し、結婚し新しい生命を生んだことを喜んでいる。二人の男女関係をこえて、戦争をくぐり抜け、生き抜いてきた同士のような感情を抱いたかのようだ。
この超短編は、この簡明なエピソードをプラットフォームにして、荻野アンナがいうように大河小説のように物語を紡ぐことができたであろう。それを敢えてしなかったのは『堕落論』を書いた坂口安吾という天才の凄さだ。
最後に、我が幼少のころの話を少し。片手、片足を失った傷病兵は、わが幼少期には駅前や繁華街で2,3人は必ず見かけた。家族で上野や浅草に出かけると、軍帽をかぶり寝巻のようなものを着ている彼らが、頭を下げて往来に佇んでいる。「海行かば」のような哀しい曲調のハーモニカを吹く元軍人さんもいた。子どもだからずっと視線をおくるが、「見ちゃいけません」と怒られた。祖母は、機嫌がいい時か、彼らの前に置かれた空き缶に投げ銭をしていた。
復員兵という存在は、今でも脳裏に焼き付いているのだが、戦後77年後の今日では、その姿を思い浮かべる人はどれぐらいいるだろうか。日本は戦争を放棄したので、戦争による死傷者がでるはずがない。本当だろうか? ウクライナ戦争では、市民まで巻き込まれて、多くの死傷者がでている。傷病者でも五体満足なら前線へおもむくという。女性も参戦しているそうだ。それも前線の兵士として・・。
77年前の8月15日という日に思いを馳せて、この「復員」を読まれたならば、あなたはどんな思いを抱いたであろうか?
▼以前、九段下のしょうけい館に行ったときの写真を再度のせる。
一読して、一つのフレーズに光が当たったのですが、小寄道さまの感想には出てこなかったので、なぜ私にはその部分が特別だったのか考えさせられました。それは「例によって一度は珍しがってくれるだろうと尋ねてみることにした。」というフレーズです。他人の不幸、障碍、激昂や号泣、なんでも、(感染しない)安全圏からなら一度は珍しがってやる(めずらしがって「くれる」の反対の上から目線)という現実、近頃のニュースを見て最初は反応し、やがて忘れる自分自身の罪悪感があったからでしょう。私も、幼いころ、駅の構内で「傷病兵」(傷痍軍人、と母は呼んでいました)を何度も見かけた世代です。周りには焼け跡闇市などもなく、恵まれた環境にいたので、傷痍軍人の白い着物のビジュアルともの悲しい音楽だけが戦争のインパクトでした。彼らの「傷痍」は意識したことがありません。他人の不幸を「珍しがる」ことが下品だという価値観の中にいたからでしょう。
今、デジタル時代のウクライナ戦争の「実況」などを見せ続けられて「うんざり」ステージにある身としていろいろ考えさせられました。感謝です。
心にひっかかりながらもスルーしたフレーズです。
Sekkoさまが着眼した「一度は珍しがる」というフレーズは、2回出てきます。
これは日本人としては、有りがちの反応といえるでしょうね。当事者でないから、当りまえのように同情したり、その場だけの共感の言葉をかけたりする。
ふつうの人なら、冷ややかと見られてもいい、当たらず触らずの反応をしたりする。
いや、他人の不幸は蜜の味とやらで、好奇心むき出しの凄い人もいる。
坂口安吾は、そういう人間の機微を「一度は珍しがる」という表現で、すべてを言いくるめている。Sekkoさまのご指摘で、この超短編の奥行の深さが増しました。
ありがとうございました。
ところで、Sekkoさまの本サイトのフォーラムが閉じられてしまいました。書き込みたいことが1,2件あったんですが・。
これからは、どこにアプローチすればいいか。ブログにてご案内ください。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/13449/1659234773/l50
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/13449/1659235209/l50
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/13449/1659234339/l50
「珍しがる」というフレーズは都合3か所ありました。見逃したのは迂闊であり、それぞれ文法的に異なり、この「珍しがる」の使いかたが絶妙であることに得心。
この小説をテキストとして専門家が解釈するなら、愚生のおよばない新たな安吾ワールドが発見できそうです。
あらためてご指摘くださったことに感謝いたします。
最近は、小説をほとんど読まなくなりました。書き手がたぶん「自己中心」だからと思うんですね。鼻につくほどじゃないんですがね。
社会批評、あるいは自己に向けられる批評を、自己都合でオミットして表現しているような感じを受けてしまう。
論点がずれましたか、ともかく坂口安吾の「復員」に、なにか光明をみました。
追記:掲示板の在処を示してくださりありがとうございました。なお、広告が添付されていますが、ちょっと過激なもので驚き。愚生の趣味にも相反するものでした。
やはりこれは、こちらの対策、処理問題なんでしょうか。