数学はその歴史の順に教えるのがよいという声があります。そうかもしれない。個体の発生が系統を繰り返すのならば心についても似た様なことが云えるかも知れない。試みに記憶を逆に辿って行くと色々種類の異なった「懐しさ」を通って聞いた様な聞かなかった様な子守唄になってそれがふっと消えて了う。その先が心のふるさとであろう。
岩波新書、高瀬正仁著『岡潔 数学の詩人』(150p)からの孫引きである。数学をこのような詩的に綴る文章は読んだことがなかった。高2のころに、これを読んでいたら進む途は変わったかな、と夢想している。
岡潔が生涯をかけて研究し、思索した「多変数函数論」については全くわからない。それは純粋な数学であろうし、複雑な数式が並ぶものだ。けれど、この評伝を読んでいると、円い小山が無限に広がる自然を見る思いがする。難しいことは書けないが、海岸の岩壁などで見られる柱状節理のような幾何学模様を勝手に思い描く。
故郷の和歌山や住まいのあった奈良では、彼は山に分け入り日もすがら彼方の山々を見つめていた。それが創造や発見の契機となった。その帰り、棒切れで数式を地面に一心不乱に書きつける。そんなところを近所子どもたちにはやし立てられる。
岡潔は数学を通して、地球の自然の美しさや人間のもつ情緒の豊かさを表現したかったんだと思う。戦前、中国に戦争をしかけた日本を憂い、このままでは日本は亡びると思い、単身、決然として天皇に直訴に出かけた。この気骨さの淵源はどこからなのか。
「上空移行の原理」をはじめ、岡潔が発見した数学理論はちんぷんかんぷんだが、彼の物の見方、考え方、そして自然や人に対する慈しみは、この老いぼれた身体のなかにおさめたいと思う。