30年ほど前のこと。
デザイン会社のS社長は大学の大先輩であり、私をよく曳きたててくれた恩人だ。お互いに気心の知れる間柄となり、言いにくい辛辣な直言をしたし、自分に合わない仕事は断ったこともあった。そんな無礼で生意気な私を信用してくれたのはなぜなのか、と今にして思う・・。
Sさんの愛車は新型のスカイラインで、「年齢相応とは思いませんけどね」と言うと、「それは君の嫉妬かね」と、痛いところをつかれたりした。私は助手席に座り、クライアントの所に行ったり、旨いうどんを食べに遠出したことを思い出す。
高級カーステレオを搭載し、オールド・ジャズを聴くのがSさんの趣味。60年代以降のジャズが好きな私は、同好の士ではあるのだが、Sさんの古いジャズ談義にはちょっと閉口した。しかし、なかには傾聴すべき、はじめて聴く音楽もあった。ステファン・グラッペリやジャンゴ・ラインハルト、ボーカルではダイナ・ワシントンだった。
前者の二人はいかにも白人・欧風のクラシック・ジャズだったが、ダイナ・ワシントンは黒人で、白人におもねる感じがありつつ、どこかソウルを感じさせる。その感性を誉めそやすと、Sさんは凄く歓んだ。私としては、ニーナ・シモンとかカーメン・マックレイ、そしてアレサが好きだったので、ダイナ・ワシントンにハマることはなかったけど・・。
縁は異なもの / ダイナ・ワシントン
話が長くなりそうなので、その間を省く。Sさんは会社を整理することになった。そのときには私は離れていたのだが、どうしようもなく気の毒なことだとしか思えなかった。そんなとき、Sさんが自宅を訪ねてきたのだ。CDを買って欲しいという。かなりの枚数を1枚500円で買ったが、私の嗜好にあうCDはなく、件のプレイヤーのモノもなかった。それはそれでしょうがないと、事情を知る妻も買うことに賛成してくれた。
Sさんはその後、家族に迷惑が及ばないようにと離婚され、世田谷の豪邸を売ったという噂話も聞きおよんだ。2,3年して彼は再び、わが家を来訪して元気な姿を見せてくれた。コピー機を貸してくれとのことだったが・・。CDは今度、倍の値段で買い戻すからと、Sさんは気丈な言葉を残して帰っていった。その後の消息を知らないし、知る人もいない。
昨夜、ラジオクラウドを聴こうと思いアクセスしたら、アレサ・フランクリンの追悼番組をやっていた。版権の問題があるのだろうか、オンエアでは音楽が聴けるのだが、クラウドでは出演者の音声のみを聴くことしかできない。
アレサ・フランクリンを語るゲストは私より二回りほど若いが、評論家ゆえに詳しく、若いときのアレサに影響をあたえたアーティストにダイナ・ワシントンを挙げていた。牧師の娘であり、かつゴスペルを唄う母をもつアレサは、R&Bやゴスペルばかり聴いて成長したのではない。ジャズも聴いていて、ダイナ・ワシントンに多大なる恩恵をうけたのだと、林何某という評論家の語りに、この私もしばし耳を傾けた。
そして、YouTubeなどをサーフィンしながらアレサ・フランクリンを偲ぶ夜を過ごしたのだ。もちろん、ダイナ・ワシントンからSさんに繋がり、思い出やさまざまな想念が駆けめぐる一夜であった。