小説家で精神科医でもある帚木蓬生の新著「ネガティブ・ケイパビリティ」を読んだ。副題に「答えの出ない事態に耐える力」とある。これは精神医療において近年クロースアップされている治療ケアの概念。現代人にとって直面しやすい精神の危機、或いは病に至る途を、その人なりのペースで乗りこえる、希望と再生力に満ちた考え方だと思った。
詩人のキーツからはじまり、「ネガティブ・ケイパビリティ」の輪郭を創りあげた精神科医ビオン、さらにベケットやシェイクスピア、「源氏物語」の光源氏からM・ユルスナールなどを繙きながら、「ネガティブ・ケイパビリティ」の実際的な医療効果、社会学的な新たな知見を得ることができる。
帚木の著書はこれまで5,6冊しか読んでこなかったが、この本は、医事評論の新たな領域を開くというか、文学との深い関わりが独創的で面白く、1日で読み通してしまった。
帚木蓬生は団塊の世代で、東大仏文をでてTBSに就職。2年後に退職して九大医学部に入り直し、さらにフランスに留学し、マルセイユやパリの病院にも勤務した。帰国後は福岡県の病院で精神科医として勤務、退職後には個人のメンタルクリニックを開業した。
作家としては40年ほどのキャリアをもち、精神科医ならではの見識を生かした作品はもとより、現代社会の闇、亀裂を抉る本格ミステリーの作品が多数ある。私が読んだのは初期の作品の、「三たびの海峡」や「閉鎖病棟」などは重厚な作風で強く印象に残っている。
精神科医としても、森田療法への深い理解、あるいはギャンブル依存症について独特の考えを提起するなど、現代の精神医療に軸足を定めたユニークな作家だろう。
さて、この著書のまえがきから端的な部分を引用する。
私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。むしろそのほうが、分かりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。だからこそネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。
▲ギャンブル依存症ついてのNHKドキュメンタリーで元気な姿を見せてくれた。
「ネガティブ」という言葉の響き、「否定的」なことは即ち「負の力」だとして毛嫌いされる現代。何ごとも「ポジティブ」な態度、前向きな姿勢が好まれるのが今の世の中であろう。
たとえばいろいろな課題に直面し、ものごとが停滞し前に進まないということがある。
そんな時は、問題点を見つけ出し、分析して整理し、その対処法や解決法を論理的に導き出す能力が尊ばれる(ビジネスや政治の世界では必須だろう)。極めて難しい課題にも、克服していくポジティブな能力が求められているし、それが文句なしに「カッコイイ」ことだと思われてはいないか。
こうしてポジティブ・シンキングにより生れたのがマニュアル、ハウツーという成果だ。その結実を人は学び、体得し、実践する。そして、ある種の期待された実績がでれば「めでたし」、一定の評価となる。この「正の連鎖」を止めることなく繰りかえしていれば、人間の脳は、実に悩まなくてもいい状態になるという。
しかし、こうしてマニュアル通りに実践していても、ある不測の事態がおきた場合、普通の人は思考停止に陥ってパニックになる事が多いのだという。
目の前に突然現れた嫌なもの、不可解なもの。立ち塞がる理不尽な問題、解決不能の困難な状況、どのようにも決められない宙ぶらりんの状態・・。
「ネガティブ・ケイパビリティ」は、まさに「負の耐える力」だ。目の前の困難、理不尽なもの、どのようにも決められない宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力のことだ。
人間は、解決不能の訳の分からない状態にあると耐えられずに、脳が勝手に分かろうとするという。その分かろうとするのが、マニュアルでありハウツーという対処方法になるのだが、それは反面、いわゆる画一的思考、単線的思考に陥ることでもあるのだ。
画一的思考に縛られた好例として、ピロリ菌の発見の経緯が紹介されていた。
慢性胃炎・胃がんの原因とされる「ピロリ菌」。これは1983年にオーストラリアの二人の医師によって発見された。日本では胃の内視鏡技術が世界のトップクラスであったし、多くの消化器内科の医師たちも日々患者の胃を見ていたはず。ところが1950年代に発表された米国病理学者の権威による定説、「胃酸環境内無菌説」を誰もが疑っていなかったという。だから、「ピロリ菌」の発見を、日本の医師、研究者たちは何十年もみすみす見逃していた、と帚木は指摘している。
「胃液を採集して顕微鏡で検鏡した医師も、何百人かはいたでしょう。たまたま何か細菌のような物体を見ても、これはゴミか、アーチファクト(人工産物)だと見なして、それ以上の追求は止めていたと考えられます」と、権威による高説を鵜呑みにし、「さっさと片付けたい欲望」が大切な発見を遠ざけてしまった。
現代において、我々がそんな知性の罠や画一的な考え方にとらわれることは、それこそ日常的に起こるといっていい。特に、時代の最前線に立って凌ぎをけずる質の高い仕事をしている人ならなおさらのこと、不断の向上心・自己点検の厳しさが求められるのではないか・・。
現代では一方、子供時代から「いじめ」や「引きこもり」、落ちこぼれや自傷、社会に出ればハラスメントや数々のストレスに遭遇するのが当たり前の時代になった。精神の病に患うことを避けられても、現代人は望まなくとも様々な問題に直面せざるをえない。
そんな時にてきぱきと合理的に問題を解決できる人は皆無であろう。「ネガティブ・ケイパビリティ」は身に降りかかる難問、袋小路を打開する、まったく新たなパースペクティブを開くに違いない。
ただし、「ネガティブ・ケイパビリティ」と同じような考え方、知のスタンスというか、東洋思想にあったような気がするのだ。それがまったく思いだせない。禅だったか・・。そんなモヤモヤした思いを懐きながら、この帚木蓬生の新著をふりかえってみた。ゆえに、別の角度から再びアプローチしたいテーマでもある。
[立体極座標]と[立体直交座標]の関係では、[円周運動]と[直線運動]の[連続](無限)に[双対](写像)する
≪…「ネガティブ・ケイパビリティ」…≫は、『自然比矩形』に[カオス表示]の6つのシェーマ(符号)と[コスモス表示]の[自然数]とに[縁起]を観る事に生る。
『数学妖怪キャラクター (『(わけのわからん ちゃん) (かど ちゃん) (ぐるぐる ちゃん) (つながり ちゃん) (まとめ ちゃん) (わけのわかる ちゃん)』) 』での[舞]の「ネガティブ・ケイパビリティ」で感応する。