スコットランドの独立は実現しなかった。
最終的に反対派が勝利したことは、やはり経済を優先し、現状の安定を選択したということか。
背に腹はかえられない。独立後の混乱を忌避したい。それが人々の本音だったかもしれない。
いや、端的にいえばグローバリズムがローカリズムを圧倒したのだ。
単なる民族的な、イングランド対スコットランドの関係性は焦点ではなかった。グローバリズムを推し進めるイギリス(UK)に対し、スコットランドの有力政党は対抗政策を掲げ、人々の支持を集めた。
私はいまでもスコットランドの独立を支持している。
なぜなら、独立性とはローカリズムの先鋭的な価値そのもので、ベーシックな理想の市民社会を保障するものだ。
グローバリズムはまず文化の多様性(diversity)を標榜した。それは民族のアイデンティティ喪失をもたらし、やがて文化・歴史の地域性、特性に目をつぶることになる。
結果的に、異民族・異文化への不寛容、拒絶、排除、そして、争いへとつながる。
グローバリゼーションは、言葉と物、精神と身体、文化と自然といったものすべてを商品化する。
貨幣や証券にとどまらないデリバティブルな商品化は、すなわち資本の包摂力だといえる。それはグローバリズムがもたらす金融資本経済の本流だ。
ただ健全な成長や、所得配分、人々の幸福をもたらさない。
まだ日本では翻訳されていないトマ・ピケティの「21世紀の資本論」は「グローバルな資本課税」を提唱しているらしい。
(ピケティの本については、山形浩生が年内の出版にむけて翻訳中。改めて書くことにします)
これから先進諸国の多くの人々の所得は確実に先細りとなる。また大国と周辺国、都市と地方、あるいは富める者と低所得者との格差はますます拡がる。
移民によるグローバリゼーションも進み、雇用・所得格差も低レベルで世界的に平準化される。
そういった展望は、やがて現実のものとなる。それは世界共通の認識である。
スコットランド独立派の人々は、そこそこの豊かさよりも、スコティッシュならでは価値感に根ざした生活を求めたはずだ。
たぶん諦めていない人たちはいるはずだし、今後も独立を希求する人が増えるとおもう。
そうした一方で自治、自立の精神を失えば、人々は依存することのメリットを追求することになる。
「寄らば大樹」という考え方は、ある種の知恵であり立派なノウハウである。
しかし、自己決定や選択という「自由」はない。
依存することは、何かを思考停止することでもある。
日本でいえば原発村が生まれた経緯を考えればいい。いや日本の安全そのものがアメリカに依存しているシステムを考えてほしい。
依存することで、何らかの犠牲を払うことになる。
国、地域、小さな村にいたるまで、その風土、環境、文化は掛け替えのない大切なものだ。
スコットランド ハイランド地方
さて、わたしがスコットランドに肩入れするのはそれだけの理由からではない。
25年前ぐらいか、スコットランドのバンドCapercailie(キャパケリ)にかなり影響をうけたことが大きい。
去年アルバムを発表したとの噂は聞いたが、いまだに見聞していない。
カレン・マチュソンは歌姫とはいえない歳になってしまったが、彼女のゲール語はスコットランドの比類ない美しさを見事に伝える。
Capercaillie - Tighinn Air A'mhuir Am Fear A Phosas Mi
伝統とポップの融合がこれ。
Capercaillie - The Tree
最後に独立はしなかったものの、スコットランド魂は永遠に不滅です。と、日本人の私が叫ぶのは可笑しいことだろうか。