思もふことあさ霧みればいまの世の明日をも知らぬ秋となるかも
山さとのすすき野わたる秋風にこの世のうき事ふき流しけれ
秋来れば祖谷のさとにぞ刈萱のかやぐろ見れば思ひみだるる
秋風にみだれてなびく花すすき祖谷の山やま恋しかるらん
花萩のさきにこぼるるはかなさよ心かなしき秋の夕ぐれ
隈なくも冴え渡りけり月の秋
黒雲に奪われ許せ宿の月
分け入りて一本芒散る薄
花野行く起伏に続き花野あり
祖谷山にさ霧沈みて宿を立つ
奥祖谷の山々を歩き出して十数年の歳月が流れた、地元愛媛の山々を歩き終えて
さてと考えていた時に、秘境の奥祖谷の山を歩いてみたいと思って通いだした。
その頃は中高年の登山ブームはまだはしりののようなもので、山中でもあまり
登山者に出会うことも少なかったものである、黒笠山などは土日でさえ滅多に
会わなかったくらいである。
そのような状況であったから、自然も荒れることなく、ただただ、純粋に
山歩きの楽しさ、自然の美しさ、花の美しさを味わったものである。
状況が変わったのはそれから間もなくのことで、登山ブームが急激に来襲して
ネット社会になり、あらゆる情報が瞬時に手にすることになり、山は、自然は
荒れるに任されるようになった。
荒れてゆく山や自然を目のあたりにして、自分は今までの考えを変えざるを得なかった
むかしのような誰しもが持っていたただただ山を歩けば良い、地元の山はもちろん
他県の山にしろ癒されに登るお客さんとして、楽しめばそれで良いとの考えを
改めなければならないと意識改革していこうとしたものである。
どのような山でも、自然でも、お客さんではなくて自分の大切な持ち物、宝物として
伴侶のような気持ちで接していけば、ゴミの一つでも拾い、綺麗にして下山すれば
との想いからであり、これからの山歩きは基本的にいままでの考えを意識的に変えて
いこうとする山登りを根底に置かなければならないように思われる
その考えからじぶんは奥祖谷の山々、自然、山里の人たちと交流を深めている。