九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

慈円の養母 藤原経定の未亡人 藤原通季娘

2022-05-27 | 藤原氏周辺 バラバラ...

平家物語の周辺に登場する「慈円」(1155年~1225年)

父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。

二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。

愚管抄の作者でもある。

 

其の藤原経定とは?どのような人物であったのだろうか?

藤原経実の長男であり懿子の兄であったが、生母の実家の差から昇進が遅く、家は藤原公実の娘である藤原公子を母とする弟・経宗が継いだ。また、保元の乱の直前に薨去したことになる。

 

では、未亡人とは…ここが非常に重要なのだ!

藤原通季の娘、源仲政の娘の、どちらかの人物なのである。

 

googlebooksによると【藤原通季の娘】という事になっている。

…と云う事は藤原公通の姉か妹であり、甥に【藤原実明】もいる。

慈円と遊んだこともあるかもしれない。(慈円より二歳年上の実明!)

 

慈円と後鳥羽上皇、鎌倉幕府との関係、下記のブログが読みやすく、為になったと思う。

https://dananet.jp/?p=1628

 

愚管抄

https://www.webchikuma.jp/articles/-/684

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信濃前司行長 と 九条兼実の弟であった「慈円」

2022-05-22 | 藤原氏周辺 バラバラ...

コトバンク「『平家物語』成立の背景には慈円の保護があったとも伝えられている。」

この意味を考えてみる。

 

信濃前司行長は九条兼実の家司ではあったが、信濃守にはなったことがなく、下野守であったそうだ。其の兼実の弟が慈円なので、知り合いであったのだと思う。

しかし、それだけでは保護するとまではいかないかもしれない。

保護とはパトロン的な事なのではないだろうか。

平家物語が出来上がるまで、何かしらサポートをしていた。

それだけの価値を慈円は認めていたのではないだろうか?

 

平家物語の作者に関しては、吉田兼好の徒然草に以下のようにある。

この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。」

 

義経に詳しく、蒲殿には詳しくない人物。

生仏は武士にインタビューをしてその時の状況を聞き取っている。

 

作者に関して書いてはいるのだが、平家物語ができたのは吉田兼好が生まれるよりも前のことだ。

吉田兼好は弘安6年頃(1283年)に生まれたそうであるから、1185年に平家が滅亡と言われることからも100年近くも前の事なのだ。

 

慈円

没年:嘉禄1.9.25(1225.10.28)
生年:久寿2.4.15(1155.5.17)
鎌倉時代初期の天台宗の僧。没後13年目に慈鎮と諡された。『愚管抄』の著者,鎌倉時代初期の主要な歌人として知られる。父の藤原忠通は白河,鳥羽院政下に37年間摂政関白の地位を保ち,貴族社会の頂点に立ち続けた人物で,母は藤原仲光の娘。兄たちのなかで基実(近衛),基房(松殿),兼実(九条)は摂政関白に,兼房太政大臣になった。永万1(1165)年,11歳で延暦寺の 青蓮院に入り,翌々年,鳥羽天皇第7皇子の覚快法親王の下で出家して道快と名乗ったが,養和1(1181)年に慈円と改めた。
混乱の続く貴族社会のなかで,慈円は,関東の武家との協調を図る同母兄の兼実の庇護の下で活動し,建久3(1192)年に天台座主,建仁3(1203)年には大僧正に任ぜられ,後鳥羽上皇護持僧にもなったが,貴族社会の政局の推移につれて天台座主の辞退と復帰を繰り返し,補任は4度におよんだ。 源頼朝の死後,後鳥羽上皇の周りは討幕に傾いていったが,兼実と同じ立場に立っていた慈円は,承久の乱(1221)の直前,兼実の曾孫九条(藤原)頼経が征夷大将軍になる予定で鎌倉に下ったことを,公武協調の現れと考えた。討幕の動きが起これば,九条家の立場が崩れることを恐れた慈円は,焦燥にかられながら,国初以来の歴史をたどり,歴史のなかに流れている道理に基づいて,日本国のあるべき姿を明らかにしようとして,史書・史論書として名高い『愚管抄』を著した。
後鳥羽上皇は,慈円の平明な歌風を高く評価し,『新古今和歌集』には,西行の94首に次いで,91首もの歌が収められている。百人一首には「おほけなくうき世のたみにおほふ哉 わかたつ杣にすみそめの袖」が入り,家集『拾玉集』には4300首の歌が収められている。墓は終焉の地,比叡山東坂本にある。<参考文献>多賀宗隼『慈円』,赤松俊秀『鎌倉仏教の研究』正続

(大隅和雄)

 

 

 

東京大学史料編纂所で「下野守行長」と検索ワードを入れると「椎岡下野守行長」が出てくる。

『玉葉』建久五年(一一九四)九月十七日条に「椎岡、下野守行長等なり」とあるから、その一、二年前には下野守に任ぜられたようである。

そして、建仁二年(1202年)の藤原定家の明月記に「作詩物」とあるので、その頃には出来上がっていたのかもしれない。

 

    

 

 

 

1194年 椎岡下野守行長の記載 ↑(玉葉)

 

*****

今朝ほど、なぜ熊野本宮横の大智庵が琵琶法師たちの集まる場所となったのかを考えていた。

昔は車の音もなく、遮るビルディングもなく、「音」が遠くまでよく通ったそうで、遠くの村での神楽の音なども聞こえるほどだったいう。

「音」は、遠くの人々まで集める効果があったと思われる。

 

とすると、熊野本宮の御師たちは、一か所に人々を集める効果的なことも考え、琵琶法師と共に全国を行脚したのではないだろうか?

共に行くことには、両方にメリットがあり、ウィンウィンの関係である。

 

【大智庵】が熊野本宮の元(洪水前)の場所のすぐ横にある事には、必ず意味があると思う。

琵琶法師の語る平家物語が全国に広まった事と、熊野本宮の御師とは、関係があると思う。

 

さて、椎岡に赴いた行長が生仏に出会い、この物語を語り歌にのせてみるというアイディア!

これがあって今の平家物語にまでつながると思うと、なんとすごいことを考え付いたのか!

 

今様なども流行ったことも関係があったかもしれないが。

語り歌と鎮魂とが重なり合った物語。

鎌倉時代の宝ですね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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藤原氏秀郷流 近藤氏は藤原脩行(のぶゆき)から始まり・中原久経は?

2022-01-10 | 藤原氏周辺 バラバラ...

中原親能は藤原秀郷流の大友能直の養父となっている。(父は近藤能成)

そこで、この秀郷流と中原氏は大きく繋がってくる。

それは、同時に大江氏とのつながりにもなっていた。

大江氏の養子に水谷氏。

中原久経も同様であったかもしれない。

 

さらに今回調べていて、厳島神社の神主家の系図は中原氏と思っていつも見ていたのだが、その系図「近藤氏」の系図にも載っていた事に驚いた。

 

昨日の中原久経と共に全国を源頼朝の使いで行脚していた「近藤七国平」は、水谷氏とは同じ系ではなかったことが判明した。

 

日本の苗字七千傑様のページより拝借しております!(復活していて、うれしいデス。)

親能=親実ー親光ー・・・この次からは変ってくるのだが、親実ー親光は同じである。

という事は、中原氏でありながら、藤原氏秀郷流でもあり、厳島神社の神主家を継いでいたという事になる。

 

中原親能の母は、下記の大友経家の娘であるという。この妹に近藤能直の母がいたという。

これは浪合記の中の平(大橋)貞能の娘の利根局でもあるかもしれないので、大友経家の実の娘ではないかもしれない。

  義通河村秀高大友経家菖蒲実経沼田家通広沢実方源義朝側室

最後の源義朝側室の息が中原久経なので、親能とは従兄弟となると思われる。

が、義通の妹の意味には、妻の妹の意味も含まれているので、もしかすると…

秦野市史には「朝長の母は修理太夫範兼の女とも、大膳大夫則兼の女ともいう。また波多野義通の妹坊門姫あるいは中河辺清兼の女ともいう。範兼.則兼は「範」,「則」の違いはあってもあるいは「ノリカネ」と名乗る同一人物の可能性もある。」

 

という事は、中原範兼・大江範兼である人物の娘である可能性もある。

下記はgooglebooksから集めた物である。あとで迷子にならぬようにここにコピペさせていただく。

 

 

中原範政は坂上氏の系なので、もしかすると範兼も関係するかも。

★義通は朝長が嫡男とならなかったことに不満を抱き、東国へ戻ってくる…と云う説があり、

それが本当ならば、実の妹であろうと思う。(後で作られた話かもしれないし‥‥)

 

しかし、中原範兼の息が久経というのならば、通字がなく、ちょっと寂しいので、たぶん違うと思う。

久経の母が中原範兼の娘であり、義朝と離縁の後に中原氏に嫁いだ、というのが正解に近いのかもしれない。とすると「久」「経」のついた中原を探さなくては。。。

久は尚か??

経は常か、恒かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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源師忠~藤原師綱~波多野義通(嘉承2年(1107年) - 嘉応元年(1167年)訂正。

2017-11-26 | 藤原氏周辺 バラバラ...

http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/67d4882023073c50d515e43ecd8d8628
ふと以前書いた記事を読んで、今調べていることとつながっていくことに気が付いた。

近江国豊浦庄は、波多野経秀の知行地と仮定して考えてみる。

経秀の母が藤原師綱女。

師綱の母は、源師忠女。

師忠正妻は橘俊綱女。むすめは女子:輔仁親王室。

輔仁親王の息が、源有仁。

繋がったのである。

つまり、豊浦庄は初めは源有仁が持っていて、師忠~師綱~波多野経秀に渡って来たのである。

これが解明されたと思う。

~~~+~~~

と昨夜書いたが、そんなに簡単に決めてはいけないと思う。有仁だけではなく、いろいろな可能性があると思う。

師忠の周辺(wikipedia)
父:源師房
母:藤原頼宗の娘
男子:源師親(1083?-1111)[1]
女子:輔仁親王室[2]
妻:源俊長の娘
男子:源師隆(1075-1134)
妻:藤原良綱の娘
男子:源師長
妻:源政長の娘[3]
男子:寛遍(1100-1166)
生母不明
女子:染殿
女子:源師時室
養子女
男子:源師俊(1080-1142) - 実は源俊房の子



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源経頼から、もっとさかのぼってみる。

2016-08-30 | 藤原氏周辺 バラバラ...

佐々木荘に関係する成頼の弟である経頼だが、その妻は、藤原行成の娘となっている。

では、行成自身の妻はどなたであろうか?

源泰清の娘二人ともに、つまり姉妹揃って行成に嫁いでいるようだ。

そして、行成の娘(妹)のほうは、藤原長家に嫁いだ。
同じく長家の妻に源懿子 - 源高雅娘がいる。この源 懿子(みなもと の よしこ)は、藤原頼明、藤原長家の妻とある。
彼女は、藤原彰子に仕えた典侍であるそうだ。長家との間に藤原忠家(1033-1091)を生んでいる。

長家は御子左家の祖であり、息忠家の妻は藤原経輔の娘となる。二人の間に

男子:藤原基忠(1056-1098)
男子:藤原俊忠(1073-1123)がいる。

その俊忠の息に、

  男子:藤原公長 - 藤原通季の養子
  男子:藤原俊成(1114-1204) がいる。

一方の基忠のほうは、目賀田氏や三井氏の祖とつながっていくらしい。

さて、初めに戻り源経頼だが、佐々木哲氏のブログ記事に重要なことが書かれていた。
http://blog.sasakitoru.com/201210/article_2.html

【源経頼と佐藤公行】

 『小右記』万寿四年(1027)二月二十七日条に、昨日のこととして、宇多源氏左中弁経頼が近江志賀郡の崇福寺参りの帰りに、逢坂関山で群盗に襲撃さ れ、前佐渡守公行朝臣が射られたが命に別状はなかった。経頼は藤原道長の正室源倫子の甥だが、矢を射られたのは経頼ではなく、随行していた秀郷流藤原氏公行であった。公行は文行の子であり、はじめから公行を狙っていたものと考えられる。

~~~*~~~

この秀郷流藤原氏公行は、題名のように佐藤公行のことだそうである。

ここで、首藤山内氏につながっていく。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/e99409c55a18bf437b7fb11be3fa0305

そして、もうひとつ。【赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!】さんのブログ記事にも、合致する一文があった。
http://blog.goo.ne.jp/magohati35/s/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%9B%BD

近江守に補任された「宇多源氏」は、近江に勢力を張って俵藤太と呼ばれた秀郷流藤原氏を郎等にしながら近江に進出していったと考えられると云うのだ。これが近江源氏佐々木氏の源流となっている。一方、秀郷流藤原氏を名乗る「蒲生氏」は近江国蒲生郡から甲賀郡にかけて勢力を張っていた。・・・


こんなにも、秀郷流藤原氏と宇多源氏が近い関係とは…

今まで気が付いていなかったので、ココにも大きなヒントがありそうである。



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