下記のアドレスと文章は「妙覚寺」の御住職様の小論からである。
ヒントがたくさん詰まっているので、時折拝読させていただいている。
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index130.htm
『中山の所領は実朝公のとき、康連が拝領した中山四郎重政の旧領であり、そのとき、富木氏の母も拝領したとあります。『境妙庵目録』(『本化聖典大辞林』上。六五二頁)。
また、(乗明の)妻の於経(恒)は道野辺右京の孫で、日蓮聖人と従兄妹といいます。(『高祖年譜攷異』・『門葉縁起』・『御書略註』)。
中山の土地は大田乗明のものであり、若宮が富木氏の所有であることは、大田乗明の父親と富木常忍の母親が縁戚関係であることになります。
乗明の祖先は源三位頼政で、丹州丹波五箇の庄、太田城に住していたので大田氏と名のったという。…』
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三善康俊は親鸞に九条兼実の娘を嫁がせるために養父役をかって出ている。(兼実に頼まれたのかもしれないが)
親鸞の弟子に「順信」がいる。
片岡信広
父の片岡信親は、常陸国鹿島明神(現在の鹿島神宮)の大宮司であり(鹿島山金蓮院神宮寺も参照)、親鸞に帰依し、順信を弟子とさせた。
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また、下記は三善氏と山内氏とのつながりを示すもので、偶然見つけたのだが、私にとっては重要な情報であった。
以下は飛躍…というか荒唐無稽かもしれないのだが、
三善康信の母は「源頼朝の乳母であった人の姉妹」であった。
大中臣倫兼の娘のことである。
この娘が山内尼であるかもしれない可能性を感じたからである。
しかし、山内尼は「中村氏の一族」ともいわれているようなので、これからじっくりと調べてみようと思う。
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三善氏が山内首藤氏に妻として入っている。
山内首藤系図に通景(小野寺筑前守、母三善氏女、建治三年四月廿三日家督相続)
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さらに、大中臣氏と山内氏・波多野氏とのつながりもあるかもしれぬと思って調べてみると、やはりあったのである。
大中臣能宣の母は、武州御嶽山の奉修理神主大中臣(藤原)清兼と清原氏女の娘であった。
其の清兼の父は大中臣国兼もしくは藤原国兼である。
http://musashimitakejinja.jp/yuisho/
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大中臣氏と波多野氏だが、波多野氏は荒木田氏・渡会氏と婚姻関係にあった。
それは、大中臣氏を仲介として関係ができたと思われるのだ。
しかも下記の本によると、波多野氏に仕えていたのが大中臣氏であったようである。
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山内氏に戻るが、山内首藤俊通と山内尼の孫に「中山通基」(波多野経俊の息)という人物がいる。山内通基という名で吾妻鑑に記載があるそうである。
この「中山」はどこから来たものだろうか。
通基は父である経俊とは違い、源頼朝に仕えた人物である。
そこで、今度は山内氏と下総国の所領を調べてみた。
すると「下総国豊田郷」を持っていたという話もある様なので、豊田郷を調べると「岡田」が出てきた。
しかし、この豊田郷はもう少し調べないといけないと思う。