近江国の谷氏のことを調べ始めているのだが、情報が
六角家臣団には
高島一族 高島氏(佐々木越中家)、朽木氏(佐々木出羽家)、平井氏、横山氏、田中氏、永田氏、谷氏、とあり、しかし、住んでいる場所は武左であったそうだ。
永田氏のように湖西にも湖東にも分かれていた「谷氏」なのではないだろうか?
そう思って高島一族と谷氏というキーワードで調べてみた。
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/sogo/kakuka/ma07/maibun-katuyo/files/maibun-book08.pdf
『佐々木氏が連れてきたとされる谷氏一族が居住していたとされています。
保福寺の本尊釈迦如来坐像は、織田信長の焼き討ちに遭った際に谷氏が持ち出し、保福寺に安置したと言われています。仏像には焼けた痕跡が残り、「焼け残りの釈迦」の異称があります。』とあり、居住していたようである。
佐々木哲氏のHPの中のコメントに以下のようにあった。これも何らかのヒントになるだろうか。)
「佐々木系図から谷衛好に下ることはできません。谷系図では谷氏の祖重尚は高島高信の子とされていますが、佐々木系図では確認できません。寛政重修諸家譜などで谷氏の系図を探し、谷衛好から上がっていくといいでしょう。
ただし織豊系大名の多くは、本人以前の系譜は不明であることが多く、作為や錯誤が多いのが現実です。」
小脇から金剛寺城が出来た時に小脇から移って来たそうであるが、武左に「友定城」があり、谷氏の城なのである。
https://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/4c9798a96bf9a0cd70659697fb0e460d
http://www.geocities.jp/buntoyou/f7/sh-f-ohmi021.html
https://masakishibata.wordpress.com/2016/03/05/tomosada-tani/
1487年に造った城ということだ。
以下にも谷氏が出ていた。
谷氏は山城、近江、磐城などに分布し、このうち山城の谷氏は渡来系東漢氏の後裔[1]。
近江の谷氏は坂上氏で、美濃国席田郡伊地良村が本貫[1]。…とあった。系図もあり。
坂上氏となると、九里の中原氏と近い!
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%B0%B7%E6%B0%8F_%E8%B0%B7%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
もしもその他の情報をご存知でしたら、教えてください‼ お願いいたします。
追記:武家家伝 谷氏もありました。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tani_kz.html
そこにあるキーワードで、どんどん見つかってきました!