九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

藤原・小野・横山・成田・中条氏のライン

2018-10-24 | 中条氏

【藤原・小野・横山・成田・中条氏のライン】
藤原季範の祖父実範↓
藤原 実範(ふじわら の さねのり、生没年不詳)は、平安時代中期の廷臣・漢詩人。藤原南家貞嗣流、左兵衛佐・藤原能通の長男。官位は従四位上・文章博士。

父:藤原能通
母:藤原元尹の娘
妻:小野資通の娘 ?男子:藤原成季筑前秋月祖。三並祠に子孫の位牌有?男子:藤原季重
男子:藤原季兼(1044-1101)薩摩地頭、基兼也。
妻:高階業敏の娘 ?男子:藤原季綱(?-?)

子の成季、季綱らも父と同様に文章道によって名をなし、その子孫からも文章博士を輩出したため、実範は後世、南家の家学の祖として一門の尊崇を受けることとなった。また三男の季兼の子孫は熱田神宮の大宮司職を世襲する家柄となった。


横山資孝(資隆)  小野義孝の子。
           1004年、朝廷より小野牧の別当に任ぜられる。

横山経兼     資孝(資隆)の子。 朝廷より従五位下に任ぜられる。
           前9年の役に参戦し、安倍定任(さだとう)の首をとる軍功を上げる。

横山隆兼     経兼の子。 朝廷より従五位下に任ぜられる。

横山時重     隆兼の子。 朝廷より従五位下に任ぜられる。

横山時広     時重の子。 朝廷より従五位下に任ぜられる。
           淡路国守護。  丹波国守護。

横山時兼     時広の子。 朝廷より従五位下に任ぜられる。
           淡路国守護。
           頼朝に御護刀を献上した有力御家人七名に名を連ねる。(吾妻鏡)
           和田合戦で敗れ、横山一族は衰退した。

成田成任  小野資隆(横山資隆)の子
          埼玉県北埼玉郡成田を領した為成田と名乗る。
         
地名平山在、子孫夜須朝日村在

成田成綱  小野成任の子。 成尋とは兄弟。 吾妻鏡に記述あり。
          1156年、保元の乱で義朝に従い軍功を上げる。
          義朝の子頼朝により尾張の守護に任ぜられる。
          1193年頼朝と北条政子との間に男児(のちの3代将軍実朝)が
          誕生した際には、小野成綱が御護刀を献上した。
          1194年頼朝の上洛に従う。

成田義成  小野成綱の子(兄)。 山城国守。 後に後鳥羽上皇に使える。
成田盛綱  小野成綱の子(弟)。 尾張守護。 後に後鳥羽上皇に使える。
      佐々木姓盛綱の事也。

成田成尋  小野成任の子。 成綱の弟。

中条家長  小野成尋の子。 尾張国守護大名となる。
          評定衆の一人となり「御成敗式目」の制定にかかわる。
          埼玉県北埼玉郡中条(ちゅうじょう)を領した為中条と名乗る。
          南北朝時代のはじめまで小野(中条)氏が長らく守護職を世襲した。
      中条家長の娘。児島宮頼任親王の子、藤原関白家の東寺長者道乗室となる。
      頼任僧正の母

大串重親  小野経兼の曾孫。 名門畠山重忠は重親の烏帽子親。
         重親は畠山重忠と共に「平家物語」「吾妻鏡」にも記述される
         有名な武将。
         頼朝の奥州藤原氏討伐の際には、藤原国衡の首をとる武功を上げる。

横山季兼  小野義孝の曾孫。 村上天皇の皇子・為平親王の子から数えて
        四代目の源有兼(1113年相模国守)の養子となる。
        横山季兼も相模守となる。 季兼は「吾妻鏡」「曾我物語」にも
        記述される有名な武将。



小野義孝(義隆)  孝泰(隆泰)の子。 武蔵介。
      939年武蔵介に任命される。
      勅旨牧・小野牧の別当となる(いつなったかは不明)。
      赴任が終わっても京へは帰らず。
      現在の八王子に住み、在名(ざいみょう)を横山と名乗る。
      八幡八雲神社の境内 八王子市元横山町二丁目十五番地二十七号には横山神社      がある。 
      この横山神社は大江広元が義孝の御霊を鎮めるために建立したものです。 

      また義孝(義隆)が孝泰(隆泰)の子であることは東京都教育委員会の
      調査によっても確認されいる。



横山義孝の孫成任は北埼玉郡成田を領有して成田大夫を称し、嫡男の成田太郎成綱は保元元年(1156)の保元の乱に際しては源義朝に従って ... 家長は父成尋が僧であったことから八田知家の猶子となり、本姓藤原氏を称して中条藤次家長を名乗った。





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする