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九里 【九里】を探して三千里
姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
隠岐だと思う(2)謎…。
2020-03-25
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隠岐氏
土岐氏の方の「隠岐氏」
佐々木氏の方の「隠岐氏」
土岐氏の方の「乾氏」
佐々木氏の方の「乾氏」
佐々木京極と佐々木六角がわかれたように、どこかで分かれたのだろうか?
コメント
今回は「起」=「隠岐」だと思う!(1)
2020-03-24
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隠岐氏
せっかく「乾太蔵人」と自己決定し書いていたのだが、
「隠岐」の可能性がアップしてきてしまい、その理由を書いておこうと思う。
何故か、それは、佐々木流隠岐氏に
後藤氏とのつながり
があったからである。
後藤氏と中原氏は東国で鎌倉時代におなじ一条家の家司であった。
その後藤・中原・小野の三人が「三左衛門事件」を起こす。
以下はブログ「佐々木哲学校」より
http://blog.sasakitoru.com/200504/article_7.html
「この嘉元の乱では、時清の甥
後藤顕清
(信濃二郎左衛門尉)も討死にしています。顕清の父六波羅評定衆後藤基顕(信濃守)は
時清の実弟
で、六波羅評定衆
後藤基政の養子
となっていました。後藤氏は秀郷流藤原氏で血筋は外様御家人であったが、吏僚系御家人としての経歴をもち、養父
基政
(壱岐守)は引付衆・六波羅評定衆を歴任、養祖父
基綱
(判官・佐渡守・玄蕃頭)は恩沢奉行・評定衆・引付衆を歴任しています。佐々木泰清が六波羅評定衆に列していたときに、子息基顕を同僚後藤基政の養子にしたのでしょう。」
この時清は
隠岐時清
で、佐々木泰清の息である。母は大井朝光の娘。
これだけ後藤氏と隠岐氏が密接につながっていると、後藤氏と近い関係を持つ中原氏とも繋がってくることとなるのではないだろうか。(三善・野本・斎藤・
松浪
・・・)
このつながり、見逃せない!…という事で「乾太蔵人」から「隠岐太蔵人」へ気持ちが移ってきている。
ただし、泰清から始まっている隠岐氏は「隠岐次郎」なのである。
私が探しているのは「隠岐太郎」!
隠岐太郎政義も、泰清と同時代に生きていて、共に東国武士であるはず。(途中父に無断で出家し、絶縁されている。真願・心願)
===*===
近江 蒲生下郡本郷 梶取屋敷 が元は誰の土地であったのか…という事なのだが、
代々相伝されてきた「おおもと」の持ち主のことなのか…?
その後何度か変わり、直前が…という事なのか??
その元の名には九里とは書かれておらず「源為起」か「源為乾」か。
源なる隠岐、源なる乾、どちらもあり得ると思う。
佐々木(隠岐)政義に関するエピソードを見つけたのでご紹介したい。
徒然草・第177段
◇鎌倉中書王にて御鞠ありけるに
http://tsurezure.choice8989.info/main/tsurezure176.html
宗尊親王(むねたかしんのう・鎌倉幕府6代将軍)のお住まいで蹴鞠があったときのこと。
雨が降った後でまだ庭の土が乾いていなかったので、どうしたものかと話し合った際、佐々木政義(ささきまさよし・鎌倉幕府の御家人)が「おがくず」を車いっぱいに積んで大量に持って来ていたので、庭中に撒いて、ぬかるみの心配はなくなった。
「こういう事態を予期して、おがくずを備蓄して準備しておくとは、なんともありがたいことだ」と人たちは感心し合ったそうだ。
この話をある者が吉田中納言(よしだのちゅうなごん・藤原定資か?)に語ったところ、
「乾いた砂を準備していなかったのか」とおっしゃったので、その人は恥ずかしく感じた。
素晴らしいと感心したおがくずは、確かに品もないし、庭に撒くと違和感がある。庭の管理者が乾いた砂を準備しておくのは、昔からの慣例だということである。
===*===
さらに淡海温故録のなかにも京極氏と隠岐修理亮のことが書かれていた。内容はよくわからなかったが、隠岐氏から駒井氏が出ているようである。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E5%BE%8C%E8%97%A4/1
「京極六人衆として、多賀・大津・若宮・黒田・加賀・
隠岐
ら諸氏の名が知られる 。」
と、武家家伝浅井氏にも載っている。同じ系の隠岐氏なのだろうか。。。
コメント
土岐氏 = 隠岐氏 = 舟木氏
2020-03-19
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隠岐氏
土岐氏 = 隠岐氏 = 舟木氏
婚姻関係があると思っている「乾氏」
佐目という場所で、顔見知りであった可能性もある「多賀氏」「久徳氏」
「昔ノ舊(旧・ふる)キ好身(よしみ)ヲ尋…」とweb情報にあった。
淡海温故録
http://3-gin.net/d-mituhide-kouza1.html
近江八幡にいた九里員秀が「舟木庄代官」であったこと。
九里種信の土地の売渡状に元者は…と書かれているのが「起」かも知れない事。
土岐氏と同じく「夢窓疎石」と関りがある事。
明智光秀は加藤清正とも近い関係という。
===*===
忘れそうなのでmemo
進士氏の血が入っていたので、明智光秀は食膳の用意をさせられていたのでは…?
進士流
https://bimikyushin.com/chapter_3/03_ref/shinji.html
===*===
三銀蔵さんのページは、とても面白い!
三銀蔵さんのページに「久徳氏」がやはり九里六左衛門のことでは…
私の知っている九里六左衛門も、有馬氏のもとで天草の戦いに出ている
https://note.com/3_gin/m/md067be1f4215/hashtag/813836
『淡海温故録』に
--------------------------------------------
昔ノ旧キ好身ヲ尋当国ノ先/方共ヲ頼ミケレトモ外ハ一人モ同心セス、多賀新左衛門、久徳六左衛門、阿閉淡路/守、小川土佐守、後藤喜三郎、池田伊予守六人ハ運尽テ同心シ、山崎ノ/一戦ニ没落シ皆零落ニ及ケル
----------------------------------------------
この中の「久徳六左衛門」、全国の久徳さんのルーツの村の歴史が書いてある本です。
『久徳史・久徳こぼればなし』抜粋
----------------------------------------------
胡官神社の社家には久徳左京があり、後に明智光秀の仮に加わった郷士の中には多賀新左衛門と共に久徳六郎左衛門尉という人が居る。六郎左衛門尉については、落城の時、「息一人あり、観音寺の証人あり故ありて助かり、尾形(佐々木家)より憐愍ありて(れんびん・なさけをかけられ)養育され成人す。久徳六郎左衛門是也。信長公に仕へて立身す。然るところ明智光秀に犬上衆旧き好しみある故、頼まれて山崎一戦に加はり、没落して日影浪人となり西国にゆく。有馬家中に属す。」と書にある。後に正保年中(1644~1647年)有馬玄蕃頭内、久徳井兵衛よりの書状が霊仙寺にあったらしい。この久徳井兵衛こそ六郎左衛門尉の子孫になるのではなかろうか。
コメント
土岐太郎三郎光賢 = 隠岐太郎三郎国方 『渋川系図』伝本補遺、附土岐頼貞一族考証 (上) 佐々木紀一著
2020-03-19
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隠岐氏
『渋川系図』伝本補遺、附土岐頼貞一族考証 (上) 佐々木紀一 著
この論文の中にはっきりと「隠岐太郎国時」の息に「隠岐太郎三郎国方」がいることが書かれていた。
国方=光賢=光包
「足利尊氏・直義下」に 光賢
下をクリックすると以下のような部分の系図が出てくる。
船木 (土岐、隠岐)
頼重 (孫三郎、右近將監)
出典:寛政重脩諸家譜・文化9年
船木
頼春 (孫三郎、左近藏人、左近將監)
土岐 (船木)
光賢 (太郎三郎、元快)
https://abrj.web.fc2.com/0006/funakiyorishige-yoriharu-tokimitsuken.html
土岐氏であり、隠岐氏であり、船木氏である。
===*===
舟木頼尚 : 舟木頼重(頼直/頼真)の曾孫、頼春(頼玄/頼員)の孫、頼夏の子、政尚の父、政頼の祖父、光俊の曾祖父。戦国時代の南光坊天海(秀光/随風)は、その後裔である。(日本通信百科事典)
近江国で九里が関わっていた
「舟木庄」は1352年(文和元年)までは
土岐(舟木)頼夏が引き籠っていた場所であった!
その翌年に頼夏と頼尚はともに美濃国の土岐庄に移り住んだ。
頼尚は清原の養子婿であった。が、解官し、本姓に戻した。舟木と称した。
母は高階氏。(高階は「たかがい」とも読めるそうで「鷹飼」に関係があると思う!)
頼尚の嫡男は正尚。
1363年(貞治二年)勢州一志郡堀内、属多芸御所幕下
多芸御所 ↓
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%9A%E8%8A%B8%E5%BE%A1%E6%89%80-180096
近江国に土岐氏も住んでいたことの証!
源行真申詞記で書いていたことが、だんだんと解明されてくるかもしれない。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E6%BA%90%E8%A1%8C%E7%9C%9F%E7%94%B3%E8%A9%9E
すぐ上の文書の後ろから6行目に「興定三郎」とある。
論文・著書などでは「興定氏」となっていたのだが「隠岐 定三郎」という可能性もあるのではないだろうか?
で、友員の郎党として活躍している人物であったようである。
友員のことは、藤原頼長までも震え上がらせているという事は、頼長の知人であった可能性もあるのだ。(友員は崇徳院に仕え、成勝寺領伊庭庄の下司を勤めていた人物なのである。)
土岐氏や(…興氏が隠岐氏ならば)清原氏が郎党として配下にいるという「友員」。
京の源頼政の家近くで殺されていることからも、土岐氏にちかい人物であったと思われるのだ。
以上は、伊庭庄であった1142年(康治元年二月二十二日)の事件である。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/6c4c1ad1e14d91c109ce10e68b7bcb07
コメント
土岐氏と隠岐氏
2018-05-31
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隠岐氏
http://minogenji.html.xdomain.jp/page075.html
【始祖七代】源国房~土岐光定
(一代)
源国房 (?~1119)
正四位下 信濃守 伊豆守 土佐守 伊予守
(二代)
源光国 (1063~1147
)従五位下 検非違使 出羽守
父国房の美濃での活躍期には検非違使として在京しながらも、茜部荘の私領拡大を父と共に大いに進め…
(三代)
源光信 (1093~1156)
従五位下 出羽判官 検非違使 出羽守 土岐判官
父光国と同様に検非違使として在京、朝廷警護の活躍は「鳥羽院四天王の第一なり」と高名…
(四代)
源光基 ( ? ~1163)
従五位下 蔵人 検非違使 伊豆守 伊賀守
父光信を助け、同じく左衛門尉・検非違使として在京し活躍。
特に、武士が台頭するもとになった「保元の乱」や、その三年後の「平治の乱」にも高名…
滋賀県
坂田郡伊吹町にある大楽寺
は、
光基を先祖
とし、その墓は名水〝大清水〟が湧き出るすぐ前にあります。
源光基供養塔
(滋賀県坂田郡伊吹町大清水)
(五代)
土岐光衡(1159~1206)
従五位下 郡戸判官代 美濃守 蔵人左衛門尉
父光基の弟光長の三男で、光基の養子となって家督を継ぎ、鎌倉幕府の御家人として活躍。
将軍源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行なった時も、「吾妻鏡」に土岐三郎として出名。
光衡は、土岐郡に土着し始めて土岐を姓とし…
(六代)
土岐光行( ? ~1249)
従五位下 出羽守 検非違使 土岐判官
父光衡に劣らぬ器量人といわれ、若くして後鳥羽院西面の武士となり、土岐判官と号しました。
妻は、千葉氏である
東胤頼の女
で、鎌倉幕府の有力御家人筆頭との閨閥が…
(七代)
土岐光定( ? ~1281)
従五位下 隠岐守
光行の
五男
で、鎌倉幕府執権北条氏から妻を娶るほどとなりました。
当然鎌倉とのつながりが強かったものと思われますが、記録には余り表れていません。
その後、功あり伊予国浮穴郡地方(松山市・重信町・久万町)の地頭職となり、
悪党讃岐十郎を搦めとった功績で隠岐守に任ぜられました。法名は定光…
~~~*~~~
以下は佐々木哲氏のメルマガで、関係のある部分をコピーした。
土岐氏も美濃の有力御家人で、北条氏と姻戚関係を結び、土岐隠岐守光定は北条氏を妻としていた。
尊卑分脈や続群書類従所収土岐系図で、
光定の庶子は
隠岐太郎・三郎
と称し、
嫡子は
隠岐孫太郎・孫二郎・孫三郎
と称した。
系図では頼貞母(光定妻)を北条貞時女とし、頼貞妻を北条宗頼女とする。
しかし頼貞母(光定妻)は北条貞時女では年代が合わない。
時定女の誤りだろう。系図ではよくある錯誤である。
光定が時定の女婿であれば、両者の諱字が共通することも理解できる。
「明智氏一族宮城家相伝系図書」では光定妻(頼貞母)を北条経時女とする。
たしかに経時であれば年代も合うが、比較的信用できる尊卑分脈などで貞時女とするならば、
時定女
の錯誤と考える方が自然であろう。
時定が経時・時頼の同母弟であることから、「明智氏一族宮城家相伝系図書」は時定女を経時女と誤まったのであろう。
時定は得宗北条経時・時頼兄弟の同母弟で、肥後国阿蘇社領を管理して
阿蘇氏
を名乗り、元寇では肥前守護・鎮西探題に補任されている。孫太郎定親の名乗りは外祖父北条時定に由来すると考えられる。
また頼貞妻の父北条宗頼(相模修理亮)は、得宗北条時宗の異母弟であり、豊後守護
大友頼泰
女を妻とし、元寇に際して周防・長門守護を兼帯して長門探題に補任されている。
頼貞の名乗りは摂津源氏の通字「頼」ではなく、北条宗頼に由来すると考えられる。
このように土岐氏は北条氏と重縁を結んでおり、とくに頼貞の舅北条宗頼は、豊後守護大友頼泰の女婿であり、大友氏の一族である
豊後竹中氏
が女佐の臣として美濃に居住したことは十分に考えられる。
それが美濃竹中氏であろう。そこに半兵衛重治の父岩手遠江守重元が養子に入って竹中氏を称したと考えられる。
~~~*~~~
コメント (3)
土岐・隠岐・加治・大友・中原・波多野・松田・宇都宮・近藤氏が繋がってくる
2018-04-10
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隠岐氏
時代は様々だが、ランダムで思いつくままに書いてみる。先ほどもう一つに書いたことがヒントとなっている。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
以前書いた記事も
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/788564a68f9d66775ee231c7b1933a35
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/c863de0d23f41a4adf6382d2428d5b01
土岐光定は隠岐守であり、土岐頼定は
隠岐孫二郎
と呼ばれる事。
隠岐氏が能州守護畠山氏の被官であった事。
その隠岐氏と同じ被官に加治氏がいたこと。(佐々木の隠岐氏かもしれないし、土岐の隠岐氏かもしれない)
加治実秀が大友実秀であること。
大友経家娘は中原親能の妻となった事。(それ以前は頼朝の妾)=利根局
中原能直は大友を名乗っていた事。
利根局と実秀は兄弟姉妹である事。
大友経家は、波多野氏であること。
波多野=大友であり、中原氏と婚姻関係があり、大友は加治氏とつながっていること。
波多野忠綱の母は、宇都宮宗綱の娘であること。
波多野有経が初代松田有経であること。
大友能直は、相模国愛甲郡古庄の郷司の
近藤
能成(古庄能成とも)の息であること。
私の予想では、
この中に富城蓮忍がいること。
そして、九里とつながっているのではないかと思われる隠岐氏である。(六角家臣団より)
その隠岐氏が「興」とも漢字で書けることと「散位源行真申詞記」とつながるのだ。
「興定」という苗字ではなく、で「隠岐 定三郎」ではないだろうか?
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/光定
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