九里 【九里】を探して三千里

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楠木氏から西氏へ? 

2017-09-19 | 楠氏


「嵯峨天皇が弘仁3年10月18日補任。父は左大臣。母は禅師の娘、榎本道信の嫡女である。男子7人、女子1人。治山36年。承和14年11月24日入滅した。 」
論文では、藤原冬嗣がこの左大臣と比定していたがその可能性もあるのかもしれないが、橘氏とどこかで接点があると思う。

熊野別当の初代が橘氏とつながりがあると仮定し、橘氏と楠木氏も調べたい。


【古代皇室系軍事貴族】と書かれている力のこもったサイトをご紹介したい。

http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi104.htm


楠正成の後裔という「大饗正虎 おおあえ-まさとら」

1520-1596 戦国-織豊時代の武士,書家。
永正(えいしょう)17年生まれ。足利義輝(よしてる)につかえ,のち織田信長,豊臣秀吉の右筆をつとめた。書は飯尾(いのお)常房にまなぶ。のち楠姓を名のった。文禄(ぶんろく)5年1月11日死去。77歳。備前(岡山県)出身。初名は甚四郎。通称は長左衛門尉。号は長諳(ちょうあん)。

(後の「楠正虎」)だが、この西氏と多賀氏の祖の(江州中原氏の)西氏とは関係があるのではないか?という部分は、あきらめずに進めたい。
鹿苑日録には正虎のことを「西孫三郎ノ兄」とある。そして江州中原の多賀氏の系図では、多賀氏は西氏から出ている。そこを遡ると中原季仲に通じ、愛智新宮に通じていく。


http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E5%AE%AE%E5%B4%8E

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コメント (1)
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