九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

アイヌ民族博物館 最終日 2020年4月24日に 国立アイヌ民族博物館へ

2018-03-31 | アイヌ語と日本語
今日は白老(しらおい)にある【アイヌ民族博物館】の最後の日でした。
そこではいつもこの大きなアイヌの像が迎えてくれまして、ポロト湖のほとりにチセ(家)が立ち並び、別世界に入ることができます。


チセです。中は天井が高く、庵の煙も上へと行くので、そんなに煙たくありませんし、魚を干しておくといぶされて燻製になります。上の方に煙を出す小窓もあります。

チセのなかです。今日は「カムイノミ」に参加させていただきました。


博物館です。壊してしまうのももったいないデス。


でも、国立の博物館に昇格するので、うれしいです。
北海道に古くから住んでいた方々の文化で、私には古代の日本の文化とかぶっている部分もあり、違う部分もありで、面白いデス。

特に今日配られた「シト」は小野神社(近江)や多賀氏とも大きくかかわっていた物でした。

そう、「シト」はシトギともよばれ、コメやイナキビを臼でついて練ってゆでて、円盤型にする、
今でも近江国(滋賀県)で作られており、神社でも祭祀の際に使われております。

それが、アイヌの方々も同じように神様へのお供えに使っているのです。

コトバンクによると
水に浸した生米をつき砕いて、種々の形に固めた食物。神饌(しんせん)に用いるが、古代の米食法の一種といわれ、後世は、もち米を蒸して少しつき、卵形に丸めたものもいう。しとぎもち。

粢【しとぎ】

神前に供える餅(もち)の一種。《和名類聚抄》にみえる。生米を水に浸し柔らかくし,つきつぶして作る。各種の形に固めるが多くは楕円形にする。地方により日常食ともされ,豆を入れた豆粢,ヒエで作ったヒエ粢などもある。

生米を水にひたしてやわらかくし搗(つ)き砕いて作った食べ物。〈しろもち〉〈からこ〉〈おはたき〉〈なまこ〉などと地方によって呼称は違うが,粢は《和名抄》や《新撰字鏡》にも見えている古語である。《和名抄》に〈祭餅也〉とあるように,一般には神祭の供え物(神饌)の一種に用いられているが,東北地方では米粢のほかに粟粢,稗粢があり,日常の食べ物になっていた。粢は火を用いないで調理する点で古い食べ物と考えられ,現在の餅に先行するものではないかと推定されている。

また、小野神社の祭神の項で、http://www.y-tohara.com/siga-ono.html
「米餅搗大使主について、参詣の栞は“タガネツキオオオミ”と呼び、
  「新撰姓氏録(815)によれば、応神天皇の時、我が国初めて菓子・餅の元である餈(シトギ)を作られたので、米餅搗(タガネツキ)の姓を賜ったと記されている」
というが、新撰姓氏録にそれらしき記述はみえず、この出所は不明
 (資料によれば、姓氏録に米餅搗大使主を鏨着-タガネツキ-大使主と記したものもあるというが、確認できない)。

~~~*~~~

ちょっと飛躍はするのですが、近江国の「オコナイ」にも大きさは違いますが円盤型のお餅が登場し、共通性を感じてしまいます。http://www.ne.jp/asahi/folk/collage/minzokugyouji_1_1.htm
http://www.mfutamura.com/sub84.htm

~~~*~~~
その他にも、今日の「カムイノミ」思い出せる限りのご先祖様の名前を思い出して、お礼感謝の思いを込めて唱えるもので、最後には食べ物をパカリと半分に割って、半分はご先祖様へ、半分は自分が食べる~という儀式でした。

私も「九里○○」を思い出し、全てではありませんでしたが供養をさせていただきました。このようなめったにない機会に居合わせることができて、感謝です。
そして、新しい博物館になっても人々の魅力が失わないように、建物だけではなくアイヌ文化を守っていく人々こそが、とても大事な役割であることを感じました。

イャイライケレ~~♡



コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする