九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

武田義統(よしずみ)の息と足利義晴

2017-03-20 | 出雲・隠岐国 松江藩
wikipediaによると、小笠原宗長の女(むすめ)が武田氏信の室となり、信在(のぶあり)の母となっている。
(中原経行女が甲斐小笠原宗長に嫁いでいる。ともいわれている。東京大学史料編纂所の小笠原氏の文書の中には、そう書いてあった。)


また、小笠原宗長の息 貞宗の女が甲斐守護 武田信成室となり、信春・四郎基信・下條五郎武春・栗原十郎武続・布施彦六満春の母となっている。

この宗長の系の小笠原氏を遡っていくと「小笠原長清」となり、その父は加賀美遠光で、遠光の父は逸見清光。

逸見清光の父は「源義清」である。


逸見清光

生没年:1110-1168
父:源義清
逸見冠者、逸見源太
正室:
上総介 逸見太郎光長
女:手輿遊女
1128-1186 武田信義
女:(父:源義業)
1143-1230 加賀美遠光
女:
1134-1194 安田義定
平井清隆
河内義長
田井光義
曽根厳尊
奈古義行
浅利義成
八代信清
義氏
長義(長光)
道光
光賢

武田氏信の父は、信武で、信武の妻は足利高義の女で、ここで足利家と武田家とのつながりが見えてくる。

この足方高義とは,高氏(尊氏)の兄である。

もう一度、武田信在に戻ると、その息が信守、信繁。
その信繁からの系に、武田義統がいる。信栄 信賢 国信 信親 元信 元光 信豊 義統 元明…断絶となる。

義統の息元明は足利義晴の孫となる。
六角高頼の女は、足利義澄継室である。
義澄の息である義晴。だが、義晴の母親は日野永俊らしいので、血は繋がっていない。

六角定頼の女が武田信豊に嫁ぎ、義統の母となっている。

くどいようだが、その義統と足利義晴の女の息が「武田元明」である。

そして、元明の息が佐々義勝ともいわれていた京極高次の重臣となった人物となる。


この佐々氏と水戸黄門の「すけさん」の佐々氏と関係があるのだろうか?
知りたい!!!





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佐々氏と九里氏

2017-03-16 | 出雲・隠岐国 松江藩


慶長5年(1600年)、若狭一国の領主として小浜城主となった京極高次は、重臣佐々義勝を高浜城代としている。 …とあるが、1560年代に時代を遡ると意外なことがわかる。

【武田元明(孫八郎・元次)1552ー1582】

武田義統の子。母は将軍足利義晴の女。

1567年父義統の死により家督を継いだが、この時すでに武田氏の勢威はないにひとしく、譜代の家臣らは自領に引きこもり、元明に従わなかった。
翌年8月越前朝倉氏が若狭に侵入し小浜を攻めた時、元明は朝倉氏に庇護を頼んで越前に去り、ここに若狭武田氏は事実上滅亡した。

1573年8月朝倉氏が滅ぶと、元明は若狭へ帰り神宮寺などに潜居したと伝えるが、1581年かっての武田氏家臣逸見昌経の死去に伴い、その旧領大飯郡の内3千石を織田信長から与えられた。しかし翌年の本能寺の変に際し、明智光秀に味方し丹羽長秀の居城佐和山を攻め落としたため、同年7月19日近江海津で自殺させられた。室竜子は京極高吉の女元明の死後羽柴秀吉の側室となり、松丸殿といった。


【武田義勝(津川義勝・佐々木義勝・佐々義勝)】

武田元明の子。

父元明自刃後、義勝は武田姓をはばかり津川姓を称した。のちに津川義勝は親族である京極高次に重臣として仕えた。

京極高次が関ヶ原の戦いの功により若狭一国の主となると大飯郡高浜城5000石を与えられ、また佐々木姓を称することが許された。以後佐々木義勝または佐々義勝として京極家重臣に列した。
江戸時代の丸亀藩家老の佐々家はこの末裔といわれている。

1836年10月25日丸亀藩主京極高朗が、多度郡白方村で大筒の試射に臨場した時、家老佐々九郎兵衛は供奉している(香川家文書『万事覚附』)。

~~~*~~~

津軽に配流された理由とは、以下のようなことであるようだ。(佐々木哲氏メルマガによる)

慶長十四年十二月九日付佐々加賀守・龍崎図書連署下知状(吉田吉兵衞家文書)でも龍崎図書とともに下知状を発給していたが、高次逝去の直後から筆頭家老熊谷主水が国政を専横して、佐々義勝ら老臣の不正を駿府の徳川家康に直訴した。

その結果、慶長十六年佐々義勝が津軽に、安養寺門斎の子沖長門が薩摩、龍崎図書が対馬に配流された(寛政重修諸家譜)。次の世代は、佐々九郎兵衞光長である。


(佐々木哲氏メルマガによる)

~~~*~~~

津軽での出来事は、またの機会に。ここで佐々氏についていったと思われる「九里治郎兵衛」は、自害してしまいます。




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