wikipediaによると、小笠原宗長の女(むすめ)が武田氏信の室となり、信在(のぶあり)の母となっている。
(中原経行女が甲斐小笠原宗長に嫁いでいる。ともいわれている。東京大学史料編纂所の小笠原氏の文書の中には、そう書いてあった。)
また、小笠原宗長の息 貞宗の女が甲斐守護 武田信成室となり、信春・四郎基信・下條五郎武春・栗原十郎武続・布施彦六満春の母となっている。
この宗長の系の小笠原氏を遡っていくと「小笠原長清」となり、その父は加賀美遠光で、遠光の父は逸見清光。
逸見清光の父は「源義清」である。
逸見清光
生没年:1110-1168
父:源義清
逸見冠者、逸見源太
正室:
上総介 逸見太郎光長
女:手輿遊女
1128-1186 武田信義
女:(父:源義業)
1143-1230 加賀美遠光
女:
1134-1194 安田義定
平井清隆
河内義長
田井光義
曽根厳尊
奈古義行
浅利義成
八代信清
義氏
長義(長光)
道光
光賢
武田氏信の父は、信武で、信武の妻は足利高義の女で、ここで足利家と武田家とのつながりが見えてくる。
この足方高義とは,高氏(尊氏)の兄である。
もう一度、武田信在に戻ると、その息が信守、信繁。
その信繁からの系に、武田義統がいる。信栄 信賢 国信 信親 元信 元光 信豊 義統 元明…断絶となる。
義統の息元明は足利義晴の孫となる。
六角高頼の女は、足利義澄継室である。
義澄の息である義晴。だが、義晴の母親は日野永俊らしいので、血は繋がっていない。
六角定頼の女が武田信豊に嫁ぎ、義統の母となっている。
くどいようだが、その義統と足利義晴の女の息が「武田元明」である。
そして、元明の息が佐々義勝ともいわれていた京極高次の重臣となった人物となる。
この佐々氏と水戸黄門の「すけさん」の佐々氏と関係があるのだろうか?
知りたい!!!
(中原経行女が甲斐小笠原宗長に嫁いでいる。ともいわれている。東京大学史料編纂所の小笠原氏の文書の中には、そう書いてあった。)
また、小笠原宗長の息 貞宗の女が甲斐守護 武田信成室となり、信春・四郎基信・下條五郎武春・栗原十郎武続・布施彦六満春の母となっている。
この宗長の系の小笠原氏を遡っていくと「小笠原長清」となり、その父は加賀美遠光で、遠光の父は逸見清光。
逸見清光の父は「源義清」である。
逸見清光
生没年:1110-1168
父:源義清
逸見冠者、逸見源太
正室:
上総介 逸見太郎光長
女:手輿遊女
1128-1186 武田信義
女:(父:源義業)
1143-1230 加賀美遠光
女:
1134-1194 安田義定
平井清隆
河内義長
田井光義
曽根厳尊
奈古義行
浅利義成
八代信清
義氏
長義(長光)
道光
光賢
武田氏信の父は、信武で、信武の妻は足利高義の女で、ここで足利家と武田家とのつながりが見えてくる。
この足方高義とは,高氏(尊氏)の兄である。
もう一度、武田信在に戻ると、その息が信守、信繁。
その信繁からの系に、武田義統がいる。信栄 信賢 国信 信親 元信 元光 信豊 義統 元明…断絶となる。
義統の息元明は足利義晴の孫となる。
六角高頼の女は、足利義澄継室である。
義澄の息である義晴。だが、義晴の母親は日野永俊らしいので、血は繋がっていない。
六角定頼の女が武田信豊に嫁ぎ、義統の母となっている。
くどいようだが、その義統と足利義晴の女の息が「武田元明」である。
そして、元明の息が佐々義勝ともいわれていた京極高次の重臣となった人物となる。
この佐々氏と水戸黄門の「すけさん」の佐々氏と関係があるのだろうか?
知りたい!!!