今、坂上末満氏の著書【総括・坂上氏族の盛衰】【完結・坂上氏族の盛衰】を借りて読んでいる。
ご自分のルーツを探して、一族に関することをまとめて書いた本である。
その中の九州坂上氏の再調査という章より気になる点を書いていきたい。
姓氏家系大辞典よると「九州の坂上氏は藤姓高木氏流なり」とある。
高木氏系図を見ると、藤原道隆-隆家の子孫で佐賀郡高木(肥前)より起るとある。
高木文定が祖である。
草野系図を見ると、高木文貞の裔の篤兼が大隈国に配流されたが、その子孫は坂上・河俣、加治木(梶木)、牛糞等を名乗ったとある。詳しくはわからない。
大隈国配流の主は、奥州栗屋川城主安部宗任であったというから、安部氏の流刑地に藤原ー高木氏流の篤兼が送り込まれたということか。
安部宗任は、前九年の役で敗れ、四国に流されたが数年後に再び九州松浦郡(肥後)に流されたとある「草野系図」
最終的には大隈国に送られたのであろう。
高木氏にはもう一つの流れがある。草野系図によると、高木永経の子永平は、文治年間(1182年~1189年)に城を築いて草野太郎を称したとある。
永兵の兄は松浦郡を賜わり、松浦党を名乗っているから、草野氏と松浦氏は同族である。
蓮忍が松浦郡高来の地頭となっている。
「平家没家領、本所は仁和寺・寛元2高来東郷地頭有馬朝澄」と深江家文書に残っており、其の朝澄の次の地頭が、深江入道蓮忍となっている。(有馬左衛門尉平朝澄)
この蓮忍は、九里の祖である【中原中太蓮忍】と同一人物だろうか。そうであると私は思っているのだが…
このあたりの他の情報も欲しいのだが、出てこないでいる。
ご自分のルーツを探して、一族に関することをまとめて書いた本である。
その中の九州坂上氏の再調査という章より気になる点を書いていきたい。
姓氏家系大辞典よると「九州の坂上氏は藤姓高木氏流なり」とある。
高木氏系図を見ると、藤原道隆-隆家の子孫で佐賀郡高木(肥前)より起るとある。
高木文定が祖である。
草野系図を見ると、高木文貞の裔の篤兼が大隈国に配流されたが、その子孫は坂上・河俣、加治木(梶木)、牛糞等を名乗ったとある。詳しくはわからない。
大隈国配流の主は、奥州栗屋川城主安部宗任であったというから、安部氏の流刑地に藤原ー高木氏流の篤兼が送り込まれたということか。
安部宗任は、前九年の役で敗れ、四国に流されたが数年後に再び九州松浦郡(肥後)に流されたとある「草野系図」
最終的には大隈国に送られたのであろう。
高木氏にはもう一つの流れがある。草野系図によると、高木永経の子永平は、文治年間(1182年~1189年)に城を築いて草野太郎を称したとある。
永兵の兄は松浦郡を賜わり、松浦党を名乗っているから、草野氏と松浦氏は同族である。
蓮忍が松浦郡高来の地頭となっている。
「平家没家領、本所は仁和寺・寛元2高来東郷地頭有馬朝澄」と深江家文書に残っており、其の朝澄の次の地頭が、深江入道蓮忍となっている。(有馬左衛門尉平朝澄)
この蓮忍は、九里の祖である【中原中太蓮忍】と同一人物だろうか。そうであると私は思っているのだが…
このあたりの他の情報も欲しいのだが、出てこないでいる。