九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

間宮氏 近江国から伊豆国田方郡へヵ?

2017-08-26 | 間宮氏

日本の苗字7000千傑のQ&Aより、
鈴木姓が静岡県に多い理由は、建武年中、熊野水軍の鈴木重行が鎌倉公方に招かれて伊豆国田方郡への来往も影響する。

とあった。

近江国にいた「間宮氏」も、実はこの伊豆国田方郡に移り住んでいるのではないだろうか?
これも偶然ではなく、鈴木氏との連携から移動したのではないだろうか?

建武年中といえば楠木正成も活躍していたと思うが、この辺りは私はまだ不勉強なので、これから頑張ります!
楠木氏は、紀の国と関係があると思うし、橘氏・和田氏とも関係がある! 楽しみ!



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間宮氏が生まれる前にさかのぼる。(佐々木行範=鳥居重氏として考える) 近江国(2)

2017-08-25 | 間宮氏
思いついたことを書いておこうと思う。
まず、鳥居重氏=佐々木行範=熊野別当行範と仮定をして、続けてみようと思う。

その重氏は為義の娘婿であるが、平清盛に平姓をもらっているため、平姓である。
しかし、佐々木氏の中で生きていくためには、それでは少々都合が悪かったのではないだろうか。

彼は1173年に没するので、まだ頼朝の時代がやってくることを知らないし、保元の乱・平治の乱があって、大変な40歳代であったろうと思う。
江州中原氏とのつながりや、熊野神社・修験道を広めること、為義の力により佐々木氏とのつながりもでき、ある程度落ち着いたところで、其々を真野氏・船木氏・間宮氏・等を自分の息に任せて、自らは熊野へ帰り、最後は法眼となり、没するということになったのかもしれない。

姓氏家系大辞典の熊野氏の項でも名前が挙がっていた「永田氏」
永田氏が近江でも「水軍」のような働きをしていたのも、もとは熊野からやって来た者たちだったからではないだろうか?

真野氏は、クマノから派生し、「マノ」になったのかもしれない。
鳥居氏の後の本拠地?矢作庄にほど近いところに【白鳥神社熊野森】があり、そこは「クマノモリ」とも「マノバヤシ」(真野林)とも言われていたそうで、「クマノ」と「マノ」、漢字だと離れているが、発音は近いものがある!
参考にしたのが、こちらのブログ! とても詳しく載っております!
http://hattoris2.sakura.ne.jp/kawatarijou.htm#鎌倉古道 真

近江国船木は、鳥居氏からけんかをして別れた「渡里」(渡)氏が、後々、幕末に住んでいたこともあり、ひょっとすると一族だから?かな?という気がしないでもない。
九里は、舩木庄とかかわりがあるので、一番近い関係が舩木氏だろうか?

間宮氏は、「真宮」とも考えられ、真宮は「シングウ」とも読めるため、やはり熊野新宮という意味を隠し持っているのかもしれない。

岡崎市にある真宮神社(創建131年)は、「熊野神社は、真宮神社、市杵島社の三社と合祀されています。」とあり、関係は深そうである。

この「真宮神社」は
第28代天皇宣化天皇(西暦535年~539年)の皇女小石姫命が紀州から移られ、6人のご兄弟の産石を真宮の神としたことから、「六石」そして現在の「六名」という地名の始まりという。
当時は、熊野信仰が盛んで、この郷の一部が熊野神領となり、その縁故から伊弉那美命を勧請し、 熊野神社を祀ったという。

その皇女小石姫命を調べてみると、「6世紀,欽明(きんめい)天皇の妃。宣化天皇と橘(たちばなの)皇女の娘。欽明天皇の皇后石姫皇女の同母妹。石上(いそのかみの)皇子を生んだという伝承がある。「古事記」では小石比売命。」 そうで、

「石上」と聞けば「石上神宮」物部氏との関係が濃厚である。http://www.isonokami.jp/about/index.html
石上神宮・石上坐布都御魂神社 奈良県天理市布留町布留山
祭神 布都御魂神(経津主命)、布留御魂神(十種神宝)、布都斯御魂神(天羽斬剣)
社家 春日(布留・物部・三島・市川)氏、物部(石上・堤・中山・豊井)氏

藤原不比等は、この物部氏の力を恐れており、そのために潰しにかかったようである。【布留の力】を恐れたのである。

この矢作川の真宮辺りは「鎌倉街道」であり、渡氏(鳥居氏)たちも、頼朝時代を見据えて、(親子喧嘩して近江から出たらしいが)ここに移って来たのかもしれない。

熊野新宮の【熊野速玉大社】は、創建景行天皇五十八年(西暦128年)であり、ちょうどそのころ景行天皇は、近江の志賀(しが)という地に高穴穂宮(たかあなほ・のみや:今の滋賀県大津市穴太)と呼ばれた宮を築き、久しく留まる事にした。とある。それは、大津の唐崎のあたり、比叡山麓あたりである。「穴太」付近にあったらしい。















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間宮氏が生まれる前にさかのぼる。 近江国(1)

2017-08-21 | 間宮氏
近江国佐々木氏流の間宮氏を遡ると船木氏(舟木)、さらに遡ると真野氏、さらに過去に遡ると「佐々木行範」となる。

以前にも「新宮氏」の記事の時に気になっていた「熊野別当行範」と「佐々木行範」は別人なのであろうか?
そのあたりを探っているうちに姓氏家系大辞典に九里に関するヒントが書かれていた。

姓氏家系大辞典「熊野」氏 26.中原氏流



そして、「近江国御家人井口中原系図」の中の「九里」にも、住熊野 とあるではないか。(ただ修行に行っただけかもしれないけれど・・・)



九里氏の本拠地のある蒲生郡に「熊野北庄」「熊野南庄」があったのだ。(現在の日野町熊野付近らしい)
熊野の荘園、または土地の名前、文書関係があるものは近江国に12件ある。
全国で見ると262件。

近江国内の高島・蒲生・坂田・伊香、栗太。
その中で、一番古いものは970年である。近江国高島郡鞆結庄(トモユイ)角好子先祖相伝所領 だそうである。(角好子?)角とついているので、ツヌガアラシトと関係があるのだろうか?
大荒比古神社・鞆結神社 (オオアラヒコ・トモユイ)神社がある。


荘園関係ではないが、「熊野神社」が高島郡安曇川 にあり、弘仁に再興とあり、こちらはもっと古そうだ。
創祀年代不詳。社伝によれば弘仁14年再興される。延喜式内の一社(現在他2社と論社となっている)であり、応仁度諒部に祭り白山宮と称する。

熊野というキーワードと関係のある近江国内の神社は48件。そのうちで気になった神社をピックアップしてみた。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=338

http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=356

http://www.mikumano.net/zsiga/kusatu.html

http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=651

http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1294

http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1417
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