新宮氏に関して『新宮市志』から気になる処を書き留めておこうと思う。
まず、系図を見ていただきたい。
『湛増の母は丹鶴姫にして、祖父は源為義なり。行家の母は田鶴原姫にして、祖父は別当長快なり。行忠は新宮別当鳥居法眼行範の四男にして丹鶴姫の生む所なり。入りて新宮氏を嗣ぎ、刑部大輔氏綱亦熊野別当系より入りて新宮氏を嗣ぎ、…
wikipediaから抜粋すると丹鶴姫は【1140年代に、新宮在庁・社僧として熊野速玉大社の社僧や神官などを束ねていた行範(1115年 - 1173年、16代熊野別当長範〈1089年 - 1141年〉の嫡男)と結ばれ、「たつたはら(立田原)の女房」とよばれた。】とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E7%A6%85%E5%B0%BC
【家仲愛智源二大夫初名行範井上六郎】と好古類纂という本に書かれているそうだが、もしもこれが正しいとすれば、佐々木行範であり、愛智四郎太夫家行の息愛智源二太夫家仲のこととなる。そして、さらに井上六郎筑紫守実綱=行範となる。
佐々木氏の系図が混迷を極めてしまう。。。。う~~ん。
しかし、井上六郎の方には、初名行範又実範と書かれている。(古代氏族系譜集成)
そして、実はこの熊野別当の系譜は『堀内氏』に関しての部分にあったものである。
堀内氏に関しては、全く何も知らないが「紀州の人、新宮十郎義連之末裔なり・・・」とあり、佐原・真野氏の末裔らしい。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/horiuti.html
…ということは、以前書いた記事にもつながってくるかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/s/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%A1%8C%E7%AF%84
佐々木行範は、佐原・真野であり、新宮氏とつながりのある人物であり、そののちに深尾・堀内とつながっているのだろうと思う。
しかも、その深尾の系図が土岐氏の系図の中に出てきていることが、ますますもって、我が家の九里の系譜(乾の可能性のある九里)と近いではないか!
深尾高義====1353定義子時泰孫定泰曾孫信泰玄孫重定耳孫定平昆孫佐々木行範仍孫行定雲孫刑部
続く・・・