博多に実際に住んでいたのは1年と11カ月なのだけど、3-4年は住んでいた気分でいる我が家です。横浜から初めての引っ越しだったけど、意外や意外、全国展開のお稽古事が助けになった気がしています。
兄弟姉妹4人もいるのでそんなに寂しいという事もなかったようですが、ヤマハの音楽教室とピープルスイミング(今はコナミ?)を継続してやったのですがそこで学校以外のお友達にもめぐり合えたり、沢山の思い出が出来ました。発表会が大仕掛けで衣装を揃えたりリハーサル含めて3日間も通ったりしました。当時の楽譜もまだあったのには先生も(@_@;)
特にヤマハの音楽教室の先生は当時20代の可愛らしい女性の先生たちでバリバリの博多弁がもう強烈に可愛かった(*^_^*)
細く長く年賀状程度のお付き合いだったがマニラから2年目に一時帰国したときにもお目にかかったり、ヨモちゃんの小学校卒業記念に九州(ハウステンボス)に行ったときにも半分はここのお友達に会うのが目的でした。
ヨモちゃんは当時3歳前でほとんど覚えていないのだけど上の人が学校や幼稚園に行っていたので暇を持て余した母が沢山ビデオを回していたので意外に記憶が造られているようです。野球BABY・コインロッカーBABY・彼女はいつもおもちゃですね(笑)
コスモスだらけの「能古島」は鮮明な思い出です。ハーモニーランドにも行きました。
ヨモギ源氏の母が来た時にはダイエーホークスのドームのツアーに参加、誰が来ても連れて行った大宰府。武田鉄也さんの実家のそばでした(笑)
そのヤマハの大好きな先生が結婚して母になり、息子さんが玉川大学に入学するという事で上京するという連絡を受けたので町田市民としては張り切ってお待ちしておりました。
思い切って一度電話した後は便利なLINEで連絡が付きます。
「玉川学園」はあまりなじみがないのだけどどうやら駅からは大変な坂道の住宅街らしく、普段車で博多を動き回っている先生は多少お疲れか?
町田の母としては一応「入学祝」を考えたのだけど息子さんが野球部に入部したと聞いたので「水」「スポーツ飲料」「駄菓子」という結論に(笑)にょろはおまけにつきませんが(-_-;)
「チョコバット」大人買いjは宴会部長のヨモちゃんのアイディアでもあります。水ぐらいいつでも買えるかも、、と思ったがお迎えに行って現地をみて「多分少しは喜んでもらえるかも?」と確信、、何しろ車がレオパレスの前まで付かない(-_-;)宅急便や引っ越しやさんも階段を利用するのだそうです。
天気予報が最悪だったので町田紹介は止めて自宅でお喋りする事に、、こんな機会があれば博多時代の写真もスキャンしたりDVDもみなおしたりするってもんです。途中シンガポールのミート君ともラインのビデオ電話が出来て楽しかった。そもそもミート君のクラスの先生だったのです。「あっ思い出した」とかテレながら話しておりました。ありがとうLINE。
先生からはみんな大好き「博多とおりもん」とお気に入りの「布巾」を戴きました。玉川学園でも8丁目になると成瀬からかなり近く「昭和薬科大学」前の桜並木を堪能しながら走りました。
いやぁ再会に感謝。そして本物の博多弁、、堪能しました。ホントかわいっちゃけん!!ちなみにタレントの森口博子さんは先生と同じ高校の2年下で当時から人を集めて物まねをしていたようです。部活は「オセロ部」で一緒だったとか(笑)
息子さんをダシに何回でも来てほしいな、そして私も久しぶりに博多行きたい!!!