「大阪下」というバス停が見えてきた、、ってことは坂か(-_-;)まぁ知らずに歩いちゃった(笑)中山峠に比べたら大したことないか、、緩やかに上ってはいますが、、
この辺りで目的地までどのくらいかかるかチェック、、1時間20分、、ってことは2時間は過ぎますけど、、もう一つはちょっと風が強くなってきて夕方の雨の予報がどのくらい?とにかく急ぎます。そのうちに「大阪台」になって来た、次は「大阪」→「大阪上」のはず。そこを過ぎると松並木が多く、道路が2車線分かれている車で走った記憶のある景色です。
「クラシックコミュニティーそよ風」という建物の前のバス停そばに「お輕勘平同行碑」があります。歌舞伎でも出てきますが、戸塚の山中なんってあったっけ?と思ったらどうやら色んなバージョンがあって鎌倉から逃げる途中の戸塚の山中での美しい所作のある舞踊バージョンがあるんだそうです。
私の知っているのは山崎街道ぐらいかな?いやぁ気になる「仮名手本忠臣蔵」
東海道的には「原宿一里塚」がありますが書いてあるように何も残っていなく、階段の上の方の藤の綺麗な普通のお宅のお庭に何かある?
「浅間神社」→「諏訪神社」の間にあったこの黄色い建物は「崎陽軒」とあります。崎陽軒でも「イルサッジオ」というお洒落なレストランのようです。さすが崎陽軒南イタリア風?複雑
バス停の「鉄砲宿」周辺には、「戸塚宿」の解説版も登場していました。大体ポイントは抑えてみてきたかな?この「鉄砲宿」という名前も気になりますが、ちょっとかわいそうな由来です。そしてビックリなのは本当に藤沢までの大邸宅は「森」さんが多かった事(@_@;)他には「小宮」さんも多かった。
遊行寺近くの、森というお金持ちの家で、大きな蛇が飼われていました。
「おはん」と呼ばれ、かわいがられていましたが、あまりの大食いのため、たまりかねた家人が近くの池に捨ててしまいました。
お腹をすかせた蛇は、池の水に映る旅人の姿を捕らえては、その影を飲み込んで飢えをしのぐようになりました。
すると次第に、池のそばを通ると大蛇に影を飲まれ、数日もたたずに死んでしまうといううわさが広まるようになり、困りはてた村人たちは、鉄砲の名人に頼んで退治することにしました。
ところが賢い蛇は用心してなかなか姿を現しません。そこで名人は、飼われていたころの呼び名を聞き、「おはんさん」と声をかけてみました。
森家から迎えが来たと思い喜んで姿を現した大蛇は、名人に撃ち殺されてしまいました。
それ以来、大蛇が住んでいた池を影取池、撃ち殺された辺りを鉄砲宿と呼ぶようになったということ、、悲しいお話です。
「藤沢宿一里塚」の新しい立て札もありましたが、つまりは何も残っていないってことらしい。
ちょっと雨が心配されてジャケットを着たころに見えてきたのが「遊行寺」の文字。おーーーー!箱根駅伝でお馴染みの「遊行寺の坂」です。下りで良かった(笑)
寄っている時間も体力もないのでパスします。大きな交差点にはやはり浮世絵が!!遊行寺の裏辺りが「私立藤嶺学園藤沢中学高校」のようでした。どうやら「藤沢宿交流館」がオープン間近らしく職人さん達が最後の仕上げをしていました(4/29オープンらしい)
「藤沢橋」の一本手前に赤い欄干の橋がありました。「藤沢橋」周辺の景色も広重様が描いているので有名なんですね!
マンホールのデザインも藤の花だし、「藤沢」の良い季節に巡り合ったかな?先日JUNY姫のお宅に行くときに通った街道でした。
最後に「妙善寺」にも立ち寄って「藤沢本町」に向かいました。
あまり馴染みのない「小田急線」ですが「藤沢本町」からは「中央林間」で田園都市線に乗り換えると安いし、早いし、楽ちん。青春切符はJRに限られるので長津田乗換が多くかなり飽きていたのでここからしばらくは小田急利用して行けそうです。