草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

佐保姫のアシストで浅草観光を敢行!

2017年12月30日 | お出かけ

お日柄が良かったのか、横浜インターコンチも満室で朝のブッフェは並ばなくてはいけなかったらしいが、何とかゆっくりしていただけたことを期待してお迎えに上がった。

  

今日は夜の会食は7時から、それ前は浅草寺近くの人力車観光を予約してみました。これなら少なくとも歩かなくていい!

大分以前に私の母や従姉妹夫妻に乗ってもらって好評でしたし。といっても浅草寺には入れなくて結局周辺を回るって感じなんですけど。

数社あるのですが「時代屋」さんにお願いしました。

英語ができるお兄さんを指名できるようなのでそこは抑えて、あとは観光客であふれる雷門近辺でどうやって車から降りて上手く人力車に乗ってもらえるか?

もちろん私は車を止めに行かなければなりません。

生憎本日からサウジアラビアに出張!!のキーちゃんなのであんころママちゃんは無理そうで、マニラで一緒に野球をしてDご夫妻にも面識もある佐保姫にお願いしました。

まず考えたのが「富士山見て欲しい」という静岡県人あるある(笑)

車に乗っているのは問題なさそうだから街中よりはいっそお庭の(笑)東名を走って足柄のSAか富士川パーキングで富士山をご覧いただきたいが、、問題は見えるかどうか(-_-;)

毎日富士山をウォッチングしている方のサイト(ふじとも天気)では今日のすっきり見える確率70%とのこと。

だけど、念のために足柄のSAに電話してみました(笑)「ちょっと雲がかかって見えないですね」とのこと、ここで富士山プランは断念。

横浜市内は好きな場所が多いが、外人さんから見たらそれほどインパクトがあるとも言えない(笑)

残念ながら大さん橋には大きな船も入っていないし、とりあえずみなとみらい地区をゆっくりドライブ、名物のJ・Q・Kのビルとか、横浜スタジアムの傍を通って、山手に向かい異人館通りや、外人墓地、港がみえる丘公園を回って都内に向かいます。

ベイブリッジを通る湾岸が私的にも大好きな景色なので自己満足、、Bはどこでもすぐに寝られるのが特技(笑)私が安全運転してるってことと解釈しました。

時代屋さんと佐保姫と連絡を取りながらなんとか無事に浅草到着、まずお手洗いを探します。

雷門の道路を渡った場所に「観光センター」があるのでそこを利用してもらうとしてあいさつもそこそこに雷門前で佐保姫にお願いして駐車場を探しました。

浅草寺病院近くにあったはず、、と思ったけど更に近く二天門付近のPに停められました。

急いで合流、それにしても凄い人です。仲見世を歩くというのは諦めたほうが良さそうです。

担当のお兄さんと相談して30分のコースで出発の雷門に戻らずに二天門近くの「花見川公園」そばの規定の場所という事でお願いしました。

    

やれやれ、とにかく第1段階はクリアーです。ヨモギ源氏もここから合流してくれると電話が入ったので一安心。

30分よりも随分サービスしてくださったようで40分以上経って戻ってこられました。お二人ともすごく喜んでくれたようでこのお兄さんの事誉めまくりでした。

    

まだ21才のお兄さん、英語は半年間イギリスで勉強して、今後はアメリカに行きたいという大志を持った若者!素晴らしいですね。

お昼はとっくに過ぎていたし暖かい場所でおしゃべりをしようとおあつらえ向きの「抹茶」のお店があったので入りました。

    

肉まん、わらび餅、ソフトクリームなどでお茶、「ミリエンダ」という懐かしい言葉が!!タガログ語で「おやつタイム」みたいなマニラ時代にはよく使った言葉です。

ここが二天門近くだったので仲見世を歩かずに浅草寺にお参りできそうです。階段だから無理?と思ったけど「←エレベーター」の表示を見つけました。

        

向かって左側の奥にちゃんとありましたエレベーター(*^^)v無事にお参りできました。

    

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念願叶った「屋形船」

2017年12月30日 | お出かけ

以前から隅田川などに浮かぶ「屋形船」に乗ってみたいと思っていました。

本当は今回の会食で貸し切りで利用出来たら、、最高!と思ったのですが、最低で10名がちょっと難しく、断念。

しかし色々調べたら乗り合いでも楽しそうな気がしてきました。

さなちゃんがいるのでできたらお座敷で、更にとにかくお手洗いがきれいで使いやすいってのが基準(笑)

もちろんお料理も大事ですが、「晴海屋」が良さそう!乗船場所も土地勘があったし、いつかテレビで紹介されていたような記憶も。乗船料は全部入って10,800円です。

後から気が付いたのですがいつも利用しているVELTRA経由の申し込みもあるようでした。ポイントが付いたりすることを考えたら次回はそれもありかも?

難点は専用駐車場が無いのと、待合室的な建物が無いことでした。道路に停めて歩道を公園まで渡るだけにこんなに気を遣ったのは久しぶりです。

公園の一部なのでちょうど公衆トイレもあって良かったですが、常夏のマニラから来たのに寒い場所で待たせるのは辛いですが、仕方ありません。

  

駐車場はちょっと手前を左に入った場所にあるようであんころママちゃんが停めに行ってくれました。勿論さなちゃん抱っこしてましたけど、、泣きっぱなしでした(-_-;)

私たち以外は会社の忘年会的なメンバーが多いようです。お隣のテーブルは気さくな感じのカップルでした。

どうやら最新の屋形船という事で本当にきれいで特にトイレも美しくてほっとしました。

    

お料理も種類も多いし、特に楽しにしていた天ぷらは揚げたてを各テーブルに置きに来てくれますので熱々を楽しめます。勿論飲み放題です。

    

お二人ともちゃんと大根おろしや生姜を天つゆに混ぜて美味しそうに召し上がったのでほっとしました。

    

掘りごたつだし、座敷なのでさなちゃんも大丈夫でした。途中でしばらく景色のいい場所で停船してくれるのが希望者はデッキに出て写真を撮ったりできます。

    

    

担当のお兄さんが丁度先月マニラに行ってきたそうで(笑)話も弾みました。スタッフさん全員最高のサービス精神です。

途中からこのスタッフでもありシンガーソングライターという方の歌謡ショーになり、おひねりまで飛び交う事態に(笑)さなちゃんもしっかりスマホのライトで声援!

          

最後にこのお兄さんがなんと獅子舞になって登場、全員の頭を噛んで記念の鈴を配ってくれました。役を払っていい年が迎えられそうです(*^^)v

              

このお兄さん「柳碧人」さんといってアルバムも出したり単独公演もしている方のようです。先着数名様ってことでアルバム戴いちゃいました。

後日シンデレラママちゃんに話したら「テレビでやってたよ」とのことでした。外人にも人気のコースには英語専門の方が付くようです。

  

完全に長すぎる一日になってしまいましたが深川経由で予約していたヨコハマインターコンチネンタルホテルに移動しました。

フロントも英語大丈夫そうだし、中々素敵なホテルでほっとしました。明日はどうなるか?プランB考えながら帰宅です。

    

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ありがとう Face book ILLAMから20年ぶりの再会

2017年12月30日 | お友達

我が家がマニラに住んでいたのは1993年9月~1998年3月まで。帰国してもう少しで20年になる。

マニラ時代は4人の子供たちのインターナショナルスクールと「ILLAM」というアメリカ式の少年野球チーム、「MJB」という日本人学校主体の少年野球チーム、「JFC」という日本人学校主体のサッカーチーム等に家族ぐるみで参加して過ごしていました。日本企業勤務で4人ISというのはかなりの暴挙で(笑)他にお金を使えなかったってのもあるけど、当時もマニラはまだまだ危ない地域で日常がとにかく狭い世界でしたので子供の学校やスポーツを通じて色々な方と知り合ったりできたというのが実態です。

ILLAMは"INTERNATIONAL LITTLE LEAGUE ASSOCIATION OF MANILA"の略で、主にインターナショナルスクールに通うアメリカ人を中心にした少年野球リーグです。

日本の少年野球とは違って、取締委員会の元、まずスポンサーが決まります。年間30,000ペソくらいでスポンサーになれる様です。このお金でユニフォームを作ったり、会場を確保したり、審判をお願いしたりするようです。毎年YearBookも編纂され配られます。シーズン後の表彰式なども楽しいイベントです。

試合は毎週土曜日にマニラ市内の会場で行われ当時は「ポロクラブ」と「シーフロント」という主にアメリカ人の会員施設が使われたので、ここで食べるハンバーガーはいかにもアメリカンなもので毎週の楽しみでした。チームごとにこの他に練習日を決めて週に一回くらい集まります。コーチはメンバーの親がボランティアで行い、日本でもコーチ見習いをしていたヨモギ源氏も参加しました。

どころか2年目から3年間はどう会社にお願いしたのか(笑)スポンサーになっておりました。

                

参加希望者はシーズン前に「トライアウト」をします。まぁ普通に投げたり打ったりして、監督やボードメンバーが採点してランキングを作るようです。

これをチームの力がなるべく均一になるように振り分けて、チームの監督からメンバーに決まった子供の家に連絡が行くという仕組みでした。

カテゴリーは当時は一番小さい子がT-ball、その上はマイナー、メジャーと別れていて女子のソフトボールもありました。シーズン後にはオールスターゲームや代表チームを作って5か国で持ちりでSEAYBST(South East Asia Youth Baseball Softball Tornament)に参加します。

最初マニラについて2週間も経ってないのに、「あなたの息子さんのチーム「Colgate (コルゲート)」の監督です」とアメリカ人から電話を受けたときの混乱は今でも覚えています。

えっ?野球のチームだよね?コルゲートって何?歯磨き粉の会社?いや、聞き違いでしょ(-_-;)何言ってんの?英語だし、、でも私の日本語よりもましとか言ってくれて親切そうな感じだけど、えーっ?ARMYって言った?アメリカ軍の人なの!!

D夫妻の一人息子さんが餅之助兄さんと同じ年齢で同じチームにはなったことが無かったけど、オールスターや遠征チームでは一緒で、ご両親も熱心で何度も顔を合わせているうちに仲良くしてもらうようになり、彼らはお二人ともフィリピンの方で英語をゆっくり喋ってくれるので(笑)もっと親しみやすかったって気もしていました。

子供関係なく最後の方は一緒にローカルのフェイシャルに行ったり、スキンクリニックを紹介してもらったり、バイバイランチではご一緒の写真も残っておりました。

この時のミスターが62才ってことですね。

  

ふと思ってググったらちゃんとWEBサイトが出来ていました。存続しているのも嬉しい。

半年早くマニラに行ったヨモギ源氏が色々調べていてくれて、ILLAMが面白そうだというので最初のトライアウトに間に合うように?引っ越しました。

まぁ冗談半分ですが、半分は本気、我が家の引っ越しのタイミングは運動会の後が鉄則。運動会こそが一番のイベントというアスリート系?非文化系家族のあるあるです。

餅之助兄さんは小学校2年から「星川タイガース」で野球をはじめて、博多時代小4-5年はお隣の大野城市の「御笠の森リトルベアーズ」に移籍、日本の少年野球で鍛えられていたので、マニラのILLAMやMJBではとんでもないレベルだったようで、未だに1年目の打率750というのは破られていないはず(笑)

マニラ滞在は5年弱で、98年に帰国し、お世話になった方たちとクリスマスカードやメールをしたりもしましたが、だんだん糸が細くなってきていました。

ところがここ数年FBを続けていると世界のあちこちに知った名前が現われてきました。

時々メッセージをしたり、それだけでも面白いけど、ひょっとして会えるかも?という期待も膨らんできました。マニラ時代でもちょっと年配だったDご夫妻、現在はLA在住ですが会社があるマニラには年に数回帰っているようで、奥様のRさんの元気な写真を見ることもあったし、お互いの記事に反応して楽しんでいました。

11月に浅草で天ぷらを食べていた記事に「いいね」をしてくれたので「ぜひ日本に来て天ぷら食べましょう」と書き込んだら「行くよ!お孫ちゃんにも会いたいし」という返信!

どうやら11月中旬からご夫妻でマニラに来てしばらく滞在するようです。LAからマニラの直行便は無いので必ずNARITA経由になるわけで途中で寄ってくださるってことみたいです。

という認識でいたらだんだん事情は変わってマニラに滞在中わざわざ2泊3日で日本に来てくださるってことになったようです。「どこに行きたい?何が食べたい?」と聞いても「皆さんに逢いに行くだけ」ってことで、、どうしたもんか?一応プランは練ってみました。餅之助兄さんの呼びかけに最近は殆どあっていない野球仲間もすぐに応じて再会できそうです。

取りあえず成田にお迎えに行きました。あんころママちゃんはD夫妻は殆ど記憶に無いらしいけど、我が家の外交官ですので頼りになります。

って実はあんころママちゃんのほくろを気にしてお友達の娘さんという皮膚科のクリニックを紹介してくださったのはD夫人、最新レーザー治療で綺麗になったんですぞ!それは覚えてるみたい。

さなちゃんの成田空港デビュー(笑)ベビー関係の場所のチェックは怠りません。

    

テレビ東京の「YOUは何しに日本へ」のロケハンと遭遇、まぁ本当にご苦労様です<(_ _)>

    

到着はBロビーってことでお待ちしていましたが、なかなか出てこない。逆に「草もち姫さーん」と空港スタッフが探しに来ました(-_-;)

なんでも入国審査で泊まるホテルが書けなくて足止め食らっているらしく「イミグレも融通利かなくて、、」とおっしゃってくれてるのはどなたでしょうか?

ホテルは一応連絡してあったけど、とにかく日本語が全くできないのだから更に困っておられるかも?

暫くして出てこられた!!「えーーーっなんで二人とも車いす!!」これは思ってもみなかったのでかなりの動揺(-_-;)でも嬉しい!!

    

  

駐車場までそのまま車いすを押してきてくださったのはJALのスタッフのようです。ありがとうございました。

さて、ここから都内に入って歌舞伎座辺りで降りてもらいどちらかが駐車場まで乗っていき、予約していた屋形船乗り場まで築地とか見ながら移動、、ってのは当然無理(-_-;)

歩けないわけではないけど、Bは杖を利用、Rも杖はあるけどトランクの中、、らしいです。あらためてお歳を聞いたら82才と76才、20年もたったんですからね。 

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