物心ついてからよく遊んだのは隣り近所の子供たち。同級生だと「傘屋の健ちゃん・薬屋の和江ちゃん・表具屋の三根子ちゃん」です。幼稚園以降は行動範囲が広がって行き、小学校に入ると天竜川にかかる橋を越えた「鹿島地区」の友達もできました。彼らはバスに乗って小学校に通って来てたのです。「定期券」を入れたパスケースを掛けていたり、ランドセルに括りつけていたのがちょっと羨ましかった。
松姫はそんな中の一人で「鹿島5人組」なんて呼ばれていた(笑)八百屋のスミちゃん・ハンコ屋のマコちゃん・色白で有名なモーちゃん・矢崎のおじょ~様(工場長の娘さんでこう呼ばれてました)・と彼女。彼女たちのイケてたのは当時珍しかった「ガールスカウト」に入っていたこと。指導員の先生が同じ地区にお住まいだったことが大きかったと思うが、英語の歌なんか歌ったりして「凄い!カッコイイ!」と思った記憶がある。
彼女のお隣の同級生がこれまた学年一の暴れん坊(笑)の力(りき)ちゃん(*^_^*)勉強は苦手だけど頭がよく運動神経がずば抜けていて、モンキー顔は最高!確かプロゴルファー目指したんでは?力ちゃんの妹はしーちゃん。「静ちゃん」で「ちっとも静かじゃない」といつも言われていた。
松姫とは小学校の5-6年に多分同じクラスになったんだと思うけど、当時は本好き仲間で特に「15少年漂流記」と「三銃士」にハマった。67年組「ウイーン少年合唱団」も人気があって実際に見に行くことなど夢のまた夢だったが、雑誌の記事などを見て「ヨハン」が良いとか「キリアン」が素敵!とか騒いだ(笑)
家庭科で初めて料理実習をしたのはキャベツとピーマンの炒め物と目玉焼き。彼女はとてもきれいに作った。なぜかこんな事が思い出される。
彼女の父上は当時国鉄にお勤めで、そのほかにも国鉄組が「官舎」という場所に住んでいて、「生協」みたいな組合員の購買場所があったというのも不思議に思ったことでした。
テレビっ子でドラマや映画の洋物にはまり、「逃亡者」とか「名犬ラッシー」とか「コンバット」「サンセット77」とかの名前が思い出される。「ジェリコ」とか土曜日午後4時半からの「爆撃命令」とが好きでギャラガー中佐を差し置いて「コマンスキー大佐」ってのが一押しだった。便利になった今日ググってみたら出てきた!声優さんは野沢那智さんだったんだ。
「みじかくも美しく燃え」という映画のピア・デゲルマルクという女優さんが最高!だと意気投合したけど本当に見に行った記憶は無い。
プロ野球は私は「阪神タイガース」の村山・藤田選手贔屓、彼女は「大洋ホエールズ」の平松投手のファンだった。お互いにオタクぶりを磨き、球団の歴史やデータまで暗記したり、球団旗まで描いていた気がする。いずれにしても今思えば彼女は面食いだな。
私は小学校時代は水泳だのポートボールだの運動もしていたけど、おとなしめのおさげがトレードマークだった彼女は小柄だったしいつも病弱な弟さんの面倒を見ていたりして、ちょっと体が弱いのかな?と思っていた。ずーっと一緒、何まで同じ、っていう友達じゃなくて多分「ミーハー傾向」が似ていたんだと思う。彼女の観察眼は鋭かった。記憶力も抜群だった。私は浮ついたミーハー、彼女のミーハーは芯がある本物だったかも。
中学時代もこんな感じでクラブ活動もクラスも違ったが、多分近く遠くあったんだと思う。高校時代にもクラスも違ったけどなんと1年くらいは「交換日記」ってのをしていた。私の憧れ「TOMBOWちゃん」彼女の大好きな「MIDORIちゃん」の妄想恋愛話からミーハー情報、一番感動したのはある年の紅白歌合戦出演歌手全部の衣装の感想だった。幸か不幸か現物の日記は残っていなくてほっとするけどあったら面白かったかも(笑)
大学時代夏休みに彼女の実家に私が行ったらしいけど、覚えてない(-_-;)それ以降はずーっと音信不通になってしまい、私は札幌を皮切りに実家を離れ、25歳で結婚して子育てに追われていたし、一人っ子の彼女は地元に就職して結婚は30歳と当時にしては意外に遅かったらしい。家族を持って滋賀県の大津に住むようになったが夏休みは実家にも子供さんと帰ったりしていたようだ。
大学時代に「鉄道研究会」に入っていたとかで、当然「青春18切符」には詳しく、子供連れで実家に帰る時にもよく使ったとか、、私は最近鉄子だけどやはり昔から「鉄子」だったのね。
父親をともに肺がん+糖尿で亡くしたのも偶然同じようだ。草食系の息子、おもろい!娘も同じようにいて、、笑える、共感する話題も沢山ありそうだ。
2000年以降中学高校の同窓会の話があって私も参加するようになったけど彼女は不参加、歳取って会いたいリストのいつもトップだったが、なかなか行動に移せなかった。
年賀状にも書かれていたが、昨年あたりから義理のご両親の面倒を見ることになって、孫は出来て可愛いけどそちらも大変だし、なかなか忙しそうだった。美しい手書きの年賀状は変わらない筆跡で、これはパソコン族じゃないな?と予測していた。ちょうど午後からのパートの日だから11時に待ち合わせてお茶でも飲みましょうということになっていた。
携帯の電話も交換していなかったが、膳所の駅に着いて駅前できょろきょろしていた。なるほと京阪の膳所駅からだと、この辺りの名所と呼ばれる場所に行きやすそうだった。石山寺、唐橋、三井寺、そして大津は県庁所在地だが、実際警察やパスポートセンターや、SEIBUやパルコやコンサートホールがあるのは膳所周辺でとても住みやすそうだな、、などど思っていたが11時過ぎても現れないので一応電話してみた。
なんと、、朝から義母さまが「病院に連れてって」と騒いだので大忙しだったようです。(子供みたいになんか予感がするのかな?)家に戻ってすぐに私が電話したようでやっと再会することができました。
駅前のカフェで長いブランクを埋める、、にはちょっと短い時間だったけど、面白かったのは未だに二人は同じ傾向のミーハーだったこと(@_@;)テレビは主にBSとCS派。WOWOWでテニスとサッカーと映画を見るのが好き、外国ドラマが好き、もちろんNCIS!!!
違っていたのはやはり字が上手な人がありがちに彼女はNON-PC族だった。そして色々なストレス発散はテレビショッピング現金派らしい。私からの夕方の電話はてっきり配送の電話だと思ったらしい(笑)ミステリー中心の本はご主人に頼んでamazonで取り寄せているそうだ。安東氏についてはデビューのころから知っていて、中日新聞や静岡新聞の連載も読んでいたそうです。30までは地元にいたのでその頃の地元情報は詳しい、最近10年くらいは私の方が詳しいかな?
「多分普通の主婦は私の趣味についてこられない」と言いきった(笑)11年くらい前に乳がんもやったそうです。「癌体質だから、またなるかもしれないけど、もう孫も居るし、いつ死んでもいいわ」と身についた関西と名古屋の間くらいのイントネーションで言う始末。「田舎のお母さんより前はだめだよ」と釘だけ刺してきた。
我家の末っ子と同じ名前、、というより私がきっと同じ名前をつけたかったんだと思う。「みんな変わったから会っても分からへんと言われるんやわぁ」とぼやいていたけど、ちっとも変ってないよそのミーハーとマイペース。私も「松姫」にもう一回会わないと死んでも死にきれなかった。と本音を言ってきた。お互いに生き延びて再会できたことが本当に嬉しい。
お土産に安東氏の最近の作品を持って行ったが最初から読みたいとの事「死が舞い降りた」を読みたいけど手に入らないと言っていたので早速送る約束をした。
さて、次回はどんなふうに会えるのか?楽しみだ。こうなると他に会いたい人もでてくるなぁ、、暇人に押しかけられる方はたまらないだろうけど(-_-;)
先日会えた従兄のお嫁さんから達筆のお手紙いただいた中にあった「これからは1年とても短く感じられるようになるかも知れませんよ」って。