いい天気に恵まれて、大型連休 黄金週間 は、行動しがいがあります。
海外へ生方や、高速道路もかなりな渋滞の様子、経済効果があって何より、
という私は、毎日近所から少し遠出まで、都内を出歩いている。
インフルエンザの脅威は大丈夫なのでしょうか。意外と平静だともう。
騒いでいるのはマスコミのみ。
青山スパイラルの
spiral independent Creators Festival SICF
http://www.spiral.co.jp/sicf/10thSICF-aboutus.html
に行きました。
たまたま、行きつけのカフェにチラシが置いてあり
これは、行かねばならない。と思うも、
会期はGWの4日間でA会期B会期に分かれている.
ピンポイントで行かねばならない、それも二回も。
入場料は1回700円。高いと思います。
二回の会期共行ったら1400円。うーん、美術展覧会と比べれば妥当な入場料なのだろうか。
フェスティバル(お祭り)だから、仕方ないか。
会場は、ブースに細かく分かれていて、各アーティスとに割り当てられ
アーティストは自由にブースを使いパフォーマンスを行う。
来場者の投票と、審査員の審査で、グランプリ、その他賞が決まる仕組み。
A会期のブースを見てまず思ったこと
着眼点や発想が面白いものはあったが、どうも掘り下げ方が浅い気がしてしまう。
もっと深く掘り下げないと、論破できないでしょ。
そのコンセプトや手法はもう誰かがやってるよ、と感じるものも。
また、アーティストがブースに常駐して、来場者とコミュニケーションをするのだが、
もっと積極的にアピールしないのは、何故?と感じてしまった。
どうも、話しかけれるのを待っている、自己の世界に閉じこもっている感じを受けてしまう。
そんな印象を持ってしまうのも、私がいい歳の大人というか、中年だからだろうか。
ただ、これから生まれるクリエイターの息吹は感じたし、何人かとは名刺交換をして、
興味の惹かれる情報や、仕事につながりそうな芽はつかんだから、成果はあったと思う。
つくづく感じるのだが、好きなことを仕事にする、一人で活動をする
ということは、プライベートが浸食されるんだな、と。
会社というオフィシャルな場があって、ルーティンを含む業務を仕事としている時は、
会社から離れれば、プライベートに戻れることが出来た(いや、実はあまり出来なかったけど)
今は、興味の湧くこと、行くところ、見たもの、感じること、新聞を読んでも雑誌を読んでも、
すべて仕事につながってしまう。というか、自分でつなげてしまう。
今日のような、休日に自分の好きなところを訪れようと考えても
、何か仕事につながる要素があるところを、優先的に選んでしまう。今日のSICFはその典型だ。
会社員であったら、完全に趣味の範疇だあら、好きか嫌いかだけでアーティストを眺めて気楽にお祭りに参加し、
これからのクリエーターの姿が分ればそれで満足、楽しかった、でよかった。
今日の私は、好き嫌いはもとい、仕事の種を見つけよう、という視点が先に立つ。
仕事なのかプライベートなのか、よくわからない。
こういう状況が続き、疲れて行くのだろうか。
それとも、心地よく没頭して行くのだろうか。
自分の「好き」を仕事にしてしまった今、新たな「趣味」を見つける必要を
少し感じる。頭の同じ部分をいつも使っていると、感性も知性も疲れると思うから。
それで、やっぱり数学か?と思っている。
仕事は、全くの文科(文化)系だから。
脳の違う部分、なら理数系。
そんなわけで「高校への数学」5月号をAmazonで買った。
もの作りからは慣れる時間を確保しなければ。
また、無意識に脳がそれを(数学を?)要求しているようにも思う。
数式を(中学生レベレだけど)解いていると、脳のいつもと違う部分を使ってる快感すら感じる。
数学時間の確保だな。
海外へ生方や、高速道路もかなりな渋滞の様子、経済効果があって何より、
という私は、毎日近所から少し遠出まで、都内を出歩いている。
インフルエンザの脅威は大丈夫なのでしょうか。意外と平静だともう。
騒いでいるのはマスコミのみ。
青山スパイラルの
spiral independent Creators Festival SICF
http://www.spiral.co.jp/sicf/10thSICF-aboutus.html
に行きました。
たまたま、行きつけのカフェにチラシが置いてあり
これは、行かねばならない。と思うも、
会期はGWの4日間でA会期B会期に分かれている.
ピンポイントで行かねばならない、それも二回も。
入場料は1回700円。高いと思います。
二回の会期共行ったら1400円。うーん、美術展覧会と比べれば妥当な入場料なのだろうか。
フェスティバル(お祭り)だから、仕方ないか。
会場は、ブースに細かく分かれていて、各アーティスとに割り当てられ
アーティストは自由にブースを使いパフォーマンスを行う。
来場者の投票と、審査員の審査で、グランプリ、その他賞が決まる仕組み。
A会期のブースを見てまず思ったこと
着眼点や発想が面白いものはあったが、どうも掘り下げ方が浅い気がしてしまう。
もっと深く掘り下げないと、論破できないでしょ。
そのコンセプトや手法はもう誰かがやってるよ、と感じるものも。
また、アーティストがブースに常駐して、来場者とコミュニケーションをするのだが、
もっと積極的にアピールしないのは、何故?と感じてしまった。
どうも、話しかけれるのを待っている、自己の世界に閉じこもっている感じを受けてしまう。
そんな印象を持ってしまうのも、私がいい歳の大人というか、中年だからだろうか。
ただ、これから生まれるクリエイターの息吹は感じたし、何人かとは名刺交換をして、
興味の惹かれる情報や、仕事につながりそうな芽はつかんだから、成果はあったと思う。
つくづく感じるのだが、好きなことを仕事にする、一人で活動をする
ということは、プライベートが浸食されるんだな、と。
会社というオフィシャルな場があって、ルーティンを含む業務を仕事としている時は、
会社から離れれば、プライベートに戻れることが出来た(いや、実はあまり出来なかったけど)
今は、興味の湧くこと、行くところ、見たもの、感じること、新聞を読んでも雑誌を読んでも、
すべて仕事につながってしまう。というか、自分でつなげてしまう。
今日のような、休日に自分の好きなところを訪れようと考えても
、何か仕事につながる要素があるところを、優先的に選んでしまう。今日のSICFはその典型だ。
会社員であったら、完全に趣味の範疇だあら、好きか嫌いかだけでアーティストを眺めて気楽にお祭りに参加し、
これからのクリエーターの姿が分ればそれで満足、楽しかった、でよかった。
今日の私は、好き嫌いはもとい、仕事の種を見つけよう、という視点が先に立つ。
仕事なのかプライベートなのか、よくわからない。
こういう状況が続き、疲れて行くのだろうか。
それとも、心地よく没頭して行くのだろうか。
自分の「好き」を仕事にしてしまった今、新たな「趣味」を見つける必要を
少し感じる。頭の同じ部分をいつも使っていると、感性も知性も疲れると思うから。
それで、やっぱり数学か?と思っている。
仕事は、全くの文科(文化)系だから。
脳の違う部分、なら理数系。
そんなわけで「高校への数学」5月号をAmazonで買った。
もの作りからは慣れる時間を確保しなければ。
また、無意識に脳がそれを(数学を?)要求しているようにも思う。
数式を(中学生レベレだけど)解いていると、脳のいつもと違う部分を使ってる快感すら感じる。
数学時間の確保だな。