夜来の雨も上がり青空になりました
「十年如一日」中国の成語ですが、出典は曖昧です。意味としては
長い間一貫してやりとげるとか十年一日の如く変わらないの意。
十年変わらぬことが、よいのか、或は?人により違うと思います。
私は若い時といまではこの成語の意味の捉え方が違ってきた。
今は変らぬことのありがたさを感じています。
亡夫から母語以外に何か趣味としてやってみてはといわれ
ドイツ語始めました(先生は夫)半年もしないうちに挫折しました。
その後縁あって中国語始めました(1985年ころ?)初めて買った辞書↓
愛知大学出版の権威ある辞書のです
表紙も裏表紙もボロボロ、ガムテープで補修して使いました。
その後は何冊かの辞書を経て最後は電子辞書購入、
このオンボロ辞書はお役御免になりましたが
やはり愛知大のこの辞書は役立った。優れています。
長年中国語に関わってきて、得たものは「好朋友」よき友です
今でも何人かと交流しています。これらの「好朋友」がいなければ
昔の友人たちは他界したり、外出不能だったりなので。
肝心の中国語は殆ど忘れましたが・・・・
その後はスマホでも可能になりました。
中国語仲間は今でも続けている人もいます、私はこれまた
夫の他界を契機に止めてしまいましたが、当時のお友達との交流は
続いていて宝物になっています。
新しいことが頭に入る年齢ではないこと痛感する昨今です。↓ 追加
「変らぬことのありがたさ」を思われるのも自然の流れでしょうか。
穏やかに暮らしたいですものね。
それにしても大きな辞書ですね。
ガムテープでの補修。広辞苑のサイズより大きいのですか?
そう言えば、昔々は書き写していたのでしたね。
中国語の会のあり方などときっと相性が良かったのでしょうね。
幼い頃には中国においでだったことも、興味を持つ大きな要因だったでしょうか。
長く続けられるにはそれなりに何かある気がします。
そして何よりもお友達を得たことが素晴らしいことです。
英語を使う必要性がない。そう思うだけで私は関心も薄れてしまいます。
語学はものになりませんでした。
今時の受験生や大学生に見せてやりたいです。
これだけ使い込めば、辞書も喜んでいること
でしょう。
中国語の馴染みはありませんが、漢字表記で
看板や道路表示は少し理解できます。
外国語は難しいですね。
石の上にも3年とか言いますが3年では何もわからず身にも付きませんやはり10年は必要かと。
習い始めると止める事が出来ない私ですがいろんな事情で離れて行ったものも多いです。
最近は楽しめるものに変わってきました努力することはもう疲れますから(#^^#)
語学は全く苦手です( ;∀;)
今では変わらぬ日々に感謝しています。
辞書と広辞苑、写真追加しましたのでごらんになってください。
縦横のサイズは広辞苑の方が大きいです。
厚さはほぼ同じくらいですが、中日辞典の方は
使い方が乱暴なのか「膨らんで」います。
英語のエピソードですが、弟夫婦と私3人で中国へ行きました(弟は南京生まれ)
香港へ立ち寄ったとき、私の出番と張り切りましたが
海外勤務の長い弟の英語の方がよく通じました。
国際都市(当時)ですし、香港は広東語が幅を利かせています。
本土では私の出番もありました。
昔話になって失礼しました。
調べ方も賢いです。
私は辞書を引くとすぐ赤ボールペンで下線引くのですが
何回も何回も同じ単語を引く始末でした。
昔の逸話に
「辞書を引いて覚えたその頁を食べてしまう」
と言うのがありましたが
まさかですよね。
今は簡体字が主流ですから、なじみのない方には
読めない単語もありますが
台湾は昔通り繁体字を使っていますから
日本人も大丈夫と思います。
丁寧に扱わなかったからと思います。
また発行当時の紙事情もあるかもしれません。
私のできない分野でいろいろなさっていて
うらやましいことです。
何十年先でもできることを一つ二つ残された
いいと思いますけど?
ご友人がおられるとか〜素晴らしい
ですね!
息子2人は英語が必要な仕事につき
習わせておけばよかったね。と言いましたら「いや、英語は音楽と一緒だからピアノ
をやっててよかったよ」と言われました。
そういえば英語は流れで覚えますものね〜。さて、中国語もそんなところはありますか?
勿論まだこの世の人であっても電話交流が
細々とと言う状況です。
英語のことはわかりませんが、中国語は発音一つで
意味が変わったりで、むつかしいと思います
どの外国語も難しいのは同じと思います。
長年勉強して何も得られなかったでは哀しいですが、
お友達が得られたことで幸いにおもいます。
お恥ずかしいことですが、十年一日の如ごとしは、
十年が一日のように短いことだと誤った解釈をしていました。
長い間一貫してやりとげるとか、十年一日の如く変わらないの意だったのですね。
後者の意味ですが、私の英語学習のようなものです。
生涯学習のつもりで、20数年学んできましたが頓挫。
オーヘンリーなどの短編小説などは読めるようになったものの、
会話はほとんどダメでした。
教材はまだたくさんありますが、断捨離がなかなかできません。
やめてから10年たち、現在交流があるのはたった一人だけです。
今日は卓球のお仲間とランチに行ってきましたが、歴史上や有名な芸能人の
名前がぱっと思い浮かばず、つくづく脳の老化を感じました。
皆さんのコメントをよませていただきましたが、
私はふくちゃんさんと同じように、最近は努力よりも楽しめることが一番と
思うようになりました。
英文の小説を原書でお読みになるなんで
素晴らしい!!!
そのことはきっと今に活きているとおもいます。
hiroさんはまだまだ私の年齢まで長くあります。
健康第一に有効にお使いください。
その点卓球などいいですね。
「老いては楽しめ」とどなたかの本にありました。
なので私は食べたいものだけ食べ、
やりたくないことはしないと決めました。
許される年齢と勝手に思っています。