仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

瞳の奥を覗かれたⅤ

2008年06月23日 13時49分15秒 | Weblog
時間が長く感じられた。「ベース」に向かうタクシーの中で、異常な男臭さを感じた。しかし、ヒロムはそれが自分から発しているとは思わなかった。運転手は怪訝そうな顔でヒロムを見た。
ヒロムの頭の中では
「アラッ、アラッ、アラッ、アラッ、・・・・・・」
「もうお帰りですか。もうお帰りですか。もうお帰りですか。もうお帰りですか。・・・・・・・」
「ハハハッ、ハハハッ、ハハハッ、ハハハッ、・・・・・・」
この三重奏が鳴り響いていた。青山墓地の端で車を降りた。腹の辺が冷たかった。左手を心臓の下に当てた。視線を向けた。青いシャツに白い模様がついていた。どうしようもない屈辱感がヒロムを襲った。引きちぎるようにシャツを脱ぎ捨てた。ヒロムは上半身裸の状態で「ベース」のドアを開けた。
 ミサキは電車賃を探した。ポケットの中にはジャリ銭が少ししかなかった。数えながら自分がしていることが滑稽に感じられた。金は足りた。電車の車窓から、緑燃える駒場の森が目に入った。ずいぶん長い時間が過ぎたような気がした。大学に入学してから今までのことが頭の中で渦を巻いていた。明大前で乗り換えるとき、京王線のホームのベンチに座り、フーと息をついた。
 何故ここにいるのだろう。
 何をしに東京に来たのだろう。
 ジョン・アルビンにあこがれていたのではないか。
 原書で読みたかったから、研究者のいるR大にし進学したのではないか。
 今、自分がいる場所はどこなのだろう。
 ヒカルに合いたい。
 目の前を何本も電車が通り過ぎた。焦点はどこにも合わなかった。ドンッと横に初老の女性が腰掛けた。ミサキは、ハッとして行き先を告げる案内板の横の時計を見た。立ち上がり、近づいてもう一度確かめた。慌てて次の電車に乗り込んだ。
 
 その週の土曜日、ヒカルはいつものように出かけるつもりでいた。ミサキはシャワーを浴びて出てきたヒカルにバスタオルを被せた。
「ここにいよう。今日は、二人きりでここにいよう。」
頭にバスタオルを被せられたヒカルにはミサキの表情は見えなかった。
「どうしたの。」
裸のヒカルにしがみ付くミサキの腕の力が増した。
「私は堕落した女なんです。あなたに助けてもらったのに。あなたを好きになったのは私なのに・・・・あなたは私を受け入れたくれたのに。」
グッと強まった力が抜けて、ミサキはヒカルの前に座り込んだ。ヒカルがバスタオルを取ると、そこには涙目のミサキがいた。二人で逃げ出した時と同じような顔がそこにあった。