仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

微笑みは涙より悲しくてⅢ

2008年09月19日 13時24分30秒 | Weblog
車に乗ると密室の中でさらに臭いがきつくなった。ヒデオは表通りから一つ裏の通りに入って、銭湯を探した。特殊浴場ばかりが立ち並ぶその地区で半分諦めていたのだが、裏通りの一番端に長い煙突が見えた。ヒデオは番台で小さな石鹸とシャンプー、タオルを買った。服を脱いでいると、番台のオヤジがニヤニヤしながらヒデオのほうを見ているのに気づいた。ヒデオは睨んだ。オヤジは目をそらした。湯船に入る前にお湯をジャバジャバかけて、直に石鹸を身体につけて、タオルで擦りまくった。小さなシャンプーはすべて絞り出し、指を立ててかきむしった。周りに客が余りいなかったので湯船から直接、お湯を汲み、体を流した。ローションの独特な臭いが消えた。湯船に入り、余った石鹸でもう一度、身体を洗った。
 ヒデオはその日の現場が終わると必ず着替えた。靴も現場用の地下足袋からスニーカーに履き替えた。その日は監督にせかされて、着替えていなかった。新しいタートルネックのシャツに着替え、作業ズボンも履き替えた。汚れたシャツをガラ袋に入れようとして名刺が落ちた。お嬢の名前が書いてあった。
「にしなゆみこ」ひらがなが妙に生々しかった。慌てて拾い、新しいシャツのポケットに入れた。どうして勃起しなかったんだろう・・・・一番、不思議だったのはヒデオだった。特殊浴場は初めてだった。緊張していた。服を脱がされるところから、頭の中は性的な興奮状態にあった。それを悟られないように平静を装っていた。興奮は高まる一方だった。でも、勃起しなかった。
 ローションの臭いはすっかり取れていた。車に乗って走り出すと頭の中で「にしなゆみこ」の名刺がちらついた。それと同時に先ほどの行為がよみがえった。ぬるっとした感触の中のお嬢の肌の柔らかさやふくらみ、指先の微妙なタッチ、それが皮膚感としてよみがえってきた。ヒデオ自身が突然、勃起した。他のことを考えて鎮めようと思うのだが、自身は痛いほど勃起していた。さらに「にしなゆみこ」のさまざまな行為がやはり皮膚感としてヒデオを攻め立てた。運転どころではなかった。ヒデオは車を道路わきに止め、ズボンのジッパーを下げた。ヒデオ自身を握った。後にも先にもそんなことははじめてだった。
 マサミの臭いが記憶を呼び起こた。・・臭いがだめなのか・・・オレは・・
ヒデオがそう思ったのもつかの間、今度は、記憶が逆に作用した。記憶がヒデオ自身を勃起させた。ヒデオはマサミが二人と言った意味も理解した。隣に座っているマサミ、マサミの裸体が頭の中をよぎった。ヒデオは想像をかき消すように頭をブルブルっと振った。
「どうしたの。」
アキコが聞いた。
「なんでもない。」
マサミも一瞬、驚いた顔になった。それでも直ぐに優しい微笑みにも戻り、ヒデオを見た。ヒデオはドキッとした。
「仁は殴るのか。?」
ヒデオはマサミから視線をそらしながら、聞いた。再び、驚いた表情をしたマサミが答えた。
「ううん、殴らないわ。それに一緒に寝てくれるし、頭も撫でてくれるわ。」
「そうか。」
ヒデオは別れた両親のことを思い出していた。と言うよりも、一連の想像が仁と父親をダブらせた。マサミの返事がヒデオを安心させた。
 焼きうどんの皿がからになったときヒデオが立った。
「行くか。」
そういうと二人も肯き、席を立った。
 ヒデオの車にアキコとヒデオが乗ろうとしたとき、マサミが叫んだ。
「秀ちゃん!」
髪を金髪に染めたミニスカートの女が車をさけるように道路の反対側を通り過ぎようとしていた。女はビクンと首をすくめ、振り向いた。マサミは駆け寄り、何か話していた。しばらくして、女は笑顔で手を振り、ヒデオたちに会釈をして立ち去った。マサミはやはり微笑みながらヒデオたちのほうに戻ってきた。
「今度、三人で遊ぼって、約束しちゃった。」
ヒデオはアキコの顔を見た。アキコも苦しそうな笑顔をマサミに向けていた。二人は別れの挨拶をして車に乗った。マサミは車が角を曲がり、見えなくなるまで手を振っていた。