私の隣家に棲みつくツル禿爺の週末の日課は、朝の雑草刈りである。それも旧式(2サイクル)の草刈り機だから、やけに煩い。
全く、疲れを知らない”ゼンマイ仕掛け”の老人みたいに、決まった日に決まった時間に動く。それも朝から昼過ぎ、いや夕方まで延々と続く事もある。
更にこの老人は、その煩い2サイクルの草刈り機を、年に2回の隣組のお宮掃除にまで持ち込んでいた時期もあった。
高齢化社会もここまで来ると、深刻な騒音被害でもある。が勿論、本人は自己満足と健康維持の為のルーティン・ワークなのかもしれないが、本人は煩いとは思わんのだろうか?
実は私も若い頃、エンジン式の草刈り機を使った記憶がある。昔は今と違い、コンパクトで軽量な電動草刈り機ってもんは存在しなかった。使った事がある人ならお判りだろうが、とにかく重くて熱くて煩い。石は跳ぶし、硬い障害物に当たれば、回転刃が逆方向に跳ね返り、大怪我や失明の危険性がある。
それに、高齢者ほど経験則に頼り、腕に自信を持ってるせいか、余計に怪我しやすい。
当時は、三面記事などでも草刈機による大怪我がしばし報道されたものだが、事故が起きてからでは遅い。ナイロン刃の静かで軽い電動式があるのにと、素人は思うのだが・・・
正直、”草刈りに巻き込まれて・・”って思う事もなくはない。
スーパー老人にゴロ寝はいない?
何故、私の田舎にイヤな老人ばかりが集結するのだろうか?煩いボケ老人は、アメリカ大統領選挙のトランプを見ればウンザリだが、今や老害は世界レベルでの”そこにある迷惑”なのかもしれない。
一方で、老害というのは強運の持ち主でもあり、頭を狙った筈の弾丸さえ簡単によけてしまう。”九死に一生を得た”との見方もあるが、老害はいつの世も不死身なのだろう。
そんな事を思いながら、冗談半分で”ゼンマイ仕掛けの老人”で検索したら、「うちの母はスーパー老人」というエッセイと出会う。
ま、これはこれで”笑える老人”とも言えるが、”体幹を無意識に鍛える事で長生きできる”との論説はなる程だと思った。
確かに、例のツル禿爺も体幹がしっかりしてる様に思う。でなければ、立ったまま何時間も重くて煩い草刈り機を使う事は不可能な筈だ。
とにかく、この老人はよく動く。疲れを知らないかと思える程に忙しく動く。運動量と知能が反比例するのは、このツル禿爺を見れば明白である。
因みに、「うちの母はスーパー老人」の主人公である93歳の老母は、ゴロ寝とは無縁で、背もたれの椅子にすら座らない。
更に、結構な働き者で、すぐ立てる様に常に(背もたれ無しの)スツールに座っている。TVを見ながら台所に立ち、ゴミを捨て、新聞を束ねたりと、娘が”妖怪”と揶揄する程に老母は忙しく動く。
ま、私から言わせれば、働いてると言うより単に動いてるだけだが、老女にとってはこれこそが最高のエクセサイズであり、老化防止になってるのだ。
つまり、元気で長生きの人はゴロンとしない。まめにちょこちょこ動くから、ウォーキングも必要ないし、スツールに座ってるだけで知らずうちに体幹が鍛えられる。本人は無意識でやってる事だが、偶然もここまで来ると頭が下がる。
一方で、半端な高齢者の中には、ウォーキングやジョギング、それに今流行の会費制のジム通いに性を出す連中も多い。
私からすれば、わざわざカネを払ってまで運動する輩の常識を疑うが、健康はお金で買える時代になったのだろうか。ここでも、知能と運動が反比例するのが理解できそうだ。
しかし、先述のスーパー老母の違う所は、健康を意識しないてやってる事だ。逆を言えば、健康を意識した運動は(皮肉にも)不健康に繋がるし、老化を加速する。
つまり、スツールに座るだけで体幹が無意識の内に鍛えられ、健康に直結するのであれば、これほど効率のいいエクセサイズもない。
最後に
スーパー老人が、自ら生み出す老害を克服するとなれば、これも高齢化社会とその時代が生んだ新たな救世主とも言える。
それに、ボケや痴呆症という観点からしても、体幹を無意識に鍛える事は老害を克服する必要不可欠な要素とも言える。
老害の先に何があるのか?その老害に対し、一番警戒してるのも老人である。
だが、来週末もあの草刈り機の音を聞かねばと思うと・・・忙しく動き続けるゼンマイ仕掛けの様な老人がいいのか?すぐにボケて寝たきりになる老人がいいのか?
この歳になると、異常なまでに元気なスーパー老人よりも、将来を憂う”橋の麓にいる老人”の方が生身の人間らしく、地球に優しく思えてくる。
そう思うのは私だけだろうか・・・
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