今日は素数のややこしい謎から少し横道に逸れ、番外編ぽくして、リーマンが眺めた素数定理について書きます。
1859年にリーマンがベルリンアカデミーに提出した、「与えられた数よりも小さな素数の個数について」という表題の僅か8ページの論文ですが。
この論文の冒頭には、”素数の密度に関する研究報告を速やかに表す事が最も適切であると私は信じます。ガウスやディリクレが長い間興味を持ってた様に、この主題はここでの報告に決して不適当ではないと思います(鈴木治郎訳)”とある様に、師匠のガウスやディリクレの研究の後をしっかりと引き継いでるのが伺えます。
そしてこの論文の中に、かの有名なリーマン予想が記されてました。この人類が生んだ最難題の予想もリーマンが生んだ素数定理に至る要素の一つに過ぎなかったんですね。
そこで今日は、リーマンの簡単な生い立ちから素数の謎を巡る旅です。
素数に憑かれた男たち
たまたま図書館から借りてきた「素数に憑かれた人たち」(J.Derbyshire著 松浦俊輔訳)の中にリーマンと素数定理の関係がとても解り易く書かれてあり、専門的知識がなくてもスイスイと読めます。小説風に書かれてあるのでこれを読むだけで”リーマンの謎”が一気に解けそうな?雰囲気です。
このジョン•ダービッシャー(英)という小説家は数学者でもなく、単に数学の教育を受けたという程度で、これだけの専門書が書けるんです。
こういうのを見ると、やはり日本人は先天的に高度な数学には全く向いてないのかなって、叩きのめされた気がする。
彼ら欧米人はバカ正直に勉強する頭脳というより、多種多彩に無限に広がる豊かな知能を携えてる。だから少し勉強しただけで、あらゆるアイデアを生み出す。それに、知というメスを入れる角度が切り口が全然違う。
リーマンやガロアといった人類の歴史を変える程の大数学者でも、学業は彼らの超越した知能ほどまでに優秀じゃなかったとされる。勿論、全く勉強しないでも東大の理Ⅲに入れる程の学力はあったとは思うが。
ガロアは実質3年程しか勉強してないとされ、リーマンに至っては神経が細く身体が弱く、小さい頃は勉強どこじゃなかった。
アーベルも結婚を後回しにし、病と闘いながら研究費用を捻出した。
しかし貧しさと飢えと渇きは、異常なまでの洞察力と直感を生み出す。その鋭い洞察と観察眼で数学の壁を次々と粉砕していくのだが。
因みに、オイラーもケプラーもリーマンも大学は神学部である。彼らが本格的に数学に取り組んだのは在学中または大学を卒業してからだ。彼らがもし、今の様な稚弱でマンネリ化しつつある受験戦争に巻き込まれてたら、オイラーの定理もケプラーの法則もリーマン予想も存在し得なかったろうか。
リーマンの貧しい生い立ちと家族愛と
ベルンハルト•リーマン(1826-1866)は、ハノーファー王国の東端のブレゼレンツという田舎村で生まれた。ここは元はスラブ人の地で、後にドイツ移民が殆どを占める様になった。この時代は多くの国家が独立し、紛争が絶えなかった。
父は牧師であり、母は2男4女をもうけたが、子供が成長する前に死んだ。
当時の中世ヨーロッパの貧しさは今の我々には想像に及ばないが、国内の混乱に加え紛争と貧困が重なていた。
6人の子の中でも普通に長生きしたのはリーマンの姉だけで、他は栄養不良の為、皆短命である。
リーマンの心は30歳になるまで、この貧しい片田舎の地にあった。この貧しい環境の中で、家族愛こそがリーマンの全てだった。
リーマンは決して超のつく優秀な生徒ではなかった。数学だけは熱心だが、完璧者過ぎて宿題の提出は何時も遅れた。
リーマンが正規の学校(ギムナジウム=10歳〜20歳までの義務教育学校)に通ったのは14歳の時だった。そこで、ルジャンドルの「数論の試み」を熟読し、大判四つ折り860頁を僅か1週間で十全に理解した。
ここにてリーマン少年は、素数の世界にのめり込む事になる。
リーマンの最も深淵で示唆に富む8ページの論文は、ルジャンドルの”経験的”素数公式を改良しようとする試みの中で生み出されたものであった。
クラスの担当教師の家に寄宿できたお陰で、成績は良くなり、ハノーファー唯一の大学ゲッティンゲンに、神学と言語学を学ぶ学生として入学する。
そして、そこで”数学の巨匠”カール•フリードリッヒ•ガウス(1777-1855)と運命の出会いを果たす。このゲッティンゲンこそがガウスの本拠だったのだ。この時リーマン青年の運命は決定した。
シュテルンの定積分論、ガウスの最小二乗法、ゴールドシュミットの地磁気論。リーマン青年は数学への躍動を抑える事ができなくなっていた。
”私は神学よりも数学に関心がある”と父親に告白する(多分)。
リーマンは内気で鬱だったと言われる。家族との繋がりこそが全てで、哲学の深い思考が数学の研究をより広い哲学の脈路で捉えた。リーマンは、悲しみやストレスを研究に没頭する事で発散した。
リーマンは大人になっても病弱だったが、彼の数学はナポレオンの進軍と同じで、大胆な前進とエネルギーに溢れてた。同僚や友人はそんな一見孤独な青年に対し、畏怖の念を抱いた。数学の炎は、彼の内面を熱く照らし出してたのだ。
リーマンは1年後、ゲッティンゲン大学からベルリン大学へ移った。当時のゲッティンゲンは時代遅れで、教育大学に近かった。より充実した研究を求め、ヤコビ、ディリクレ、シュタイナー、アイゼンシュタインらの大数学者らの教えを受けたお陰で、リーマンは数学者として完成した。
しかし、ここベルリンで一番影響を受けたのは、素数ではなくコーシーの複素関数の研究であった。若干二十歳の青年は”これこそが新しい数学だ”と興奮した。
当時のヨーロッパは、エリートを教育する大学と研究を目的とするアカデミーとに別れ、勿論、ベルリン大学も後者であった。
しかし、このアカデミーに提出した挨拶代わりの論文が、数学の歴史を大きく変える事になるとは・・・
リーマンの全盛と躍動と
1848年3月のパリの3月革命で、22歳のリーマンはプロシア軍の部隊の警護についた。2日間で28時間の超過任務だった。
1849年、再びゲッティンゲンに戻り、ディリクレから受け継いだフーリエ級数の研究に性を出すが、コーシーの複素関数の事が頭から離れなかった。
そして1851年の25歳の時、学士論文である「1複素変数関数の一般理論の基礎づけ」を書き、博士課程の学位を得る。
この論文では、コーシー•リーマンの微分方程式を複素関数の定義として、さらにリーマン面などを組み込む事で複素解析の基礎づけをした。
3年後には「幾何学の基礎にある仮説について」の教授資格論文(1854年)で私講師となる。”n次元の曲率をもった空間の幾何学”へと拡張したこの論文には、流石のガウスも感服するが。これこそがリーマン幾何学の起点となった。
この2つの論文は巨匠ガウスを大いに驚かせ、数学者としてのリーマンを支えた。ここにてリーマンは、複素解析の基礎づけとリーマン幾何学という2つの大きな支柱を確立した。しかし皮肉にもこの1854年の翌年、ガウスは心臓発作で急死する。
1857年(31歳)に助教授となり、初めて給与の出る地位に就いた。因みに私講師時代には給与はなく、出席した学生の寄付だけだった。
この1857年はリーマンが大ブレークした年である。この時に発表した論文は「アーベル関数の理論」であった。この論文で彼はヨーロッパ中に知られる事になる。
因みにアーベル関数とは、積分を逆転する事で得られる多価関数である。
これは後のリーマンの素数公式に使われ、素数個数関数π(x)はメビウスの反転により階段関数J(x)で書かれ、関数J(x)はフーリエ反転によりゼータ関数ζ(s)で書ける。
つまり、リーマン予想の素地がアーベル関数にあったんです。
そして1859年はリーマンの運命の年になる。師匠ディリクレの急死もあり、ゲッティンゲンの教授に昇進し、天文台にあったガウスの部屋を与えられ、結婚するだけの収入を得る様になる。
その3年後に結婚。相手は最愛の姉の友人であるエリーゼ•コッホで、娘を一人もうけた。しかし、ガウスの死からディリクレの死の僅か4年の間に、憧れの師2人と父と弟と2人の妹、それに愛し続けた故郷を失う。
しかし、このリーマンの度重なる不幸を嘲笑うかの様に、数学界での運気は上昇する。
この1859年の8月、33歳になる直前にベルリン•アカデミーの会員に選ばれる。1851年と57年の2つの論文が決め手となった。
ただこの登用に対し、挨拶代わりの論文を提出する必要があったのだが、これこそがリーマンをリーマンたらしめた、かの有名な「与えられた数よりも小さな素数の個数について」である。
つまり、数学はこの論文を期に大きく変わっていく。
素数定理と素数の個数関数
リーマンの生涯から再び素数のお話の舞い戻ります。
1000までの素数は、2,3,5,7,11,13,17,19,・・・,977,983,991,997と168個ある。
素数の並びを見れば、1から100の間には25個、401から500では17個、901から1000の間では14個。これをずっと続けると、100万まででは、最後の100個の中には素数は8個しかない。同じ様に1兆までは4個しかない。
つまり素数が大きくなるにつれ、まばらになっていく。これこそが素数の第一の謎だが、それ以上に大きくすると素数はなくなるんだろうかという疑問が単純に湧く。
しかしこの疑問は、2000年以上も前にギリシャのユークリッドが背理法で証明した様に、素数は無限個あるのだ(”2の2”Click)。ただオイラーが証明した様に、超ゆっくりと無限個になっていく(”2の5”、”2の6”Click)。
そこで素数の第三の謎だが、素数のまばらさに規則や法則はあるのか?という事。
事実、100までに素数は25個だが、このペースで素数が均等に分布すれば、1000までに10倍の250個になる筈だが、実際には168個の素数しかない。
”与えられた数より少ない素数が何個あるのか”を教えてくれる法則や公式はあるのか?
ここでややこしい観察を試してみる。
ある数をNとし、Nより小さい素数の個数を以下に示す(表1)。
N=1000の時、168個、
1,000,000の時、78,498個、
1,000,000,000の時、50,847,534個、
1,000,000,000,000の時、37,607,912,018個、
1,000,000,000,000,000の時、29,844,570,422,669個、
1,000,000,000,000,000,000の時、24,739,954,287,740,860個。
これを見て判る様に、1000の時のペース(168個)でも最後は168,000,000,000,000,000個程になる筈だが、実際はその1/7ほどだ。
関数は数学において数や集合に次ぐ、2番目か3番目に重要なものとされる。
数学者は特定の関数の感触を、それと長く親しく付き合う事で掴む。そうする事で、その特徴や特異性を観察する。
素数の個数関数はπ(N)で表され、Nまでの素数の個数と定義される。そこで、N/π(N)を計算してみる(以下、表2)。
N=1000⇒N/π(N)=1000/168=5.9524、
N=1,000,000⇒
N/π(N)=1,000,000/78,498=12.7392、
後は同様に、
1,000,000,000⇒N/π(N)=19.6666、
1,000,000,000,000⇒N/π(N)=26.5901、
1,000,000,000,000,000⇒N/π(N)=33.5069、
1,000,000,000,000,000,000⇒N/π(N)=40.4204。
以上より、N/π(N)の値の差が6.8〜7.0である事が解る。
ここで貴方は何に気付いただろうか?”指数関数”が閃いた貴方は数学向きですぞ。迷わず数学を職業にしましょう。
何も考えつかなかった人は数学は諦めましょう。勿論私めは何も気付かんかった(悲)。
素数定理と逆関数と指数対数関数
引数が1つ進む毎に(規則正しい)足し算で増え、関数の規則を当てはめた結果が次へ進む毎に(規則正しい)掛け算で増える様になってれば、そこにあるのは”指数関数”である。
つまり、引数が足し算で値が掛け算になってるという事。勿論規則正しいのが条件ですが。
例えば、N=1⇒5ⁿ=5、N=2⇒5ⁿ=25、N=3⇒5ⁿ=125、N=4⇒5ⁿ=625。
この様に引数は(規則正しい)足し算で増え、値は(規則正しい)掛け算で増える。今掛ける数を5としたが、761でも1.05でも何でも構わない。
しかし、数学の世界には”標準”というのがある。この指数関数の世界での標準は、e=2.718281828....である。誰もが知ってるネイビア数(超越数&無理数)ですね。
そこで、5の代わりにeを使う。すると、N=1⇒eⁿ=2.718281828...、
N=2⇒eⁿ=7.389056098...、
N=3⇒eⁿ=20.085536923...、
N=4⇒eⁿ=54.598150033...。
これも同様に、引数は1つずつ増え、値はe倍ずつになる。
そこでこの逆はどうなるのか?数学者は常に物事を逆にしたがる変り者なのだ。
例えば、微分は関数のどんな引数にても、その瞬間的な変化率(傾き)を与える関数に変える。その逆関数はもちろん積分だが、この積分の逆転の発想は前述した様に、リーマンの素数公式で中心的な話題となる。
そこでNとN²を例にとると、N=−3⇒N²=9、N=−2⇒N²=4、N=−1⇒N²=1、N=0⇒N²=0、N=1⇒N²=1、N=2⇒N²=4、N=3⇒N²=9。
今度は上の右左を逆にすると、逆関数が得られる。N=9⇒√N=−3、N=4⇒√N=−2、N=1⇒√N=−1、N=0⇒√N=0、N=1⇒√N=1、N=4⇒√N=2、N=9⇒√N=3。
ここで、1つの引数に2つの値が出るのが判る。これを多価関数と呼ばれるが、これはリーマンの最も得意とする所だ。でも素数定理ではマイナスの値が出てもらっては困るのだ。
しかし幸い、指数関数では逆転(逆関数)しても、掛け算で増えて行く引数をとれば、足し算で増えてく値が出る。
数学者は引数がe倍なる毎に値が1増える様な関数を好むが、この関数こそが”対数関数”なのだ。
そこで表1を見た時はチンプンカンプンだったが、表2を見て、勘の鋭い数学者は対数関数”y=eˣ⇒x=logy”を思い浮かべた。
つまり、どんなy(>0)に対しても、y=eˡᵒᵍʸが成立する。故に、指数関数”y=eˣ”の逆関数である対数関数”x=logy”に注目します。
そこで表2の引数Nを対数関数logNで表す(以下表3)。
因みに通常は、eを底とする自然対数をlogₑN=lnNで表すが、ここではlogₑN=logNとします。
N=1000⇒logN=6.9077、N/π(N)=5.9524、誤差=logN−N/π(N)=16.0490、
以下同様に、
1,000,000⇒13.8155、12.7392、8.4487、
1,000,000,000⇒20.7232、19.6666、5.3731、
1,000,000,000,000
⇒27.6310、26.5901、3.9146、
1,000,000,000,000,000
⇒34.5387、33.5069、3.0795、
1,000,000,000,000,000,000
⇒41.4465、40.4204、2.5386。
これは、Nが大きくなる程、N/π(N)はlogNに近い事を表してますね。
故に、N/π(N)~logN。つまり、N以下の素数の数が”π(N)~N/logN”という素数定理が得られます。
つまり、単なる数字の羅列を眺め、対数関数を思いつく事で素数定理が生まれたんです。ガウスの”経験的”素数定理というより”観察的”素数定理と呼ぶべきですね。
素数定理からの帰結と素数分布
この素数定理から言える事は、1つは、素数の密度が〜π(N)/N=1/logNであるより、Nが素数である確率は〜1/logNという事。
2つ目は、N番目の素数は〜NlogNである事。これは同じ様に荒っぽい論理でN番目の素数を推測すると、十分大きな数Kについて、1からKまでの範囲で考える。
この範囲での素数の個数がCなら、平均してK/Cの所で最初の素数が見つかり、2番目は2K/C、3番目は3K/Cの所で見つかり、N番目はNK/Cの所となる。
よって、この範囲の最後の素数であるC番目は、CK/C=Kの辺りにある。また素数定理より、素数の個数はC~K/logKであり、N番目の素数はNK/(K/logK)=NlogK辺りにある事が解る。
ここで十分大きな数KをNとすると、N番目の素数は〜NlogNである(Click”2の5”)。
また素数分布には2つの大きな特徴がある。1つは素数定理で述べた様に、だんだん希薄になる点である。それともう一つは無作為性(ランダム)という性質。つまり素数の群がり方と広がり方。
”関数π(N)はNまでの素数の個数を与える”とは、リーマンの1859年の論文の”挨拶”でもある。
しかし、素数分布の2つ目の特徴である素数の広がり方と群がり方は、π(N)の特性と緊密に繋がっており、それこそがリーマンの自明な素数定理である素数公式に繋がる。
以上、素数定理の奇怪な謎について、リーマンの生い立ちを踏まえ、超長々とおさらいをしました。
数学には勿論、定義や定理をパズルの様に組み立て、論理的に解析的にバカ正直に物事を進めていくというやり方もありますが。
一方で、小説を読む様にいや描く様に進めていくやり方もあると思います。本来の数学の姿とは、こういった数学的情景を思い浮かべながら、イメージと共に進めていくのも本道かなとも思います。
例えば、「6」を半分にすると「3」が二つできますが、これは「6」自体が均質(ユークリッド的)であるとの前提があるからであって、”自然”界(0<エントロピー<∞ の時)では均質は有り得なく、現実世界(非ユークリッド空間)では「6」を等価に二分する事は出来ないと思います。
赤方偏移のように、距離や重力によって密度(振動数)が変わることも考えると、「6Km]の半分の距離は「3Km]では無い事を示しています。
つまり、素数の定義(1 より大きい”自然”数で、正の約数が 1 と自分自身のみである数。)からすると、総ての自然界の数が「素数」であると言えます。(サラリーマン予想)
実を言うと、私は「非ユークリッド幾何学」を知って、数学が嫌いになりました。
そこまで深く考える必要はないです。実際に、ユークリッドの素数列(2の2参照です)を求めてみれば大まかには解るんです。2000年以上も前に理解されてた事です。これを自明な形にしたのが、後の偉大な数学者達、つまり「素数に憑かれた人たち」ですかね。
”2の5”でも書いてんですが、精密な素数定理π(x)〜∫(2,x)dt/logt=Li(x)で素数の挙動は明らかになってますね。この素数定理(素数分布)には多くの数学者が取り組み、様々な証明の仕方があります。
数学は難しく考えるとキリがないです。”数学バカ”ブログでも書いた様に、バカになるだけで何の利益もないです。
リーマン幾何学なんて理解しようとする事自体自殺行為ですもんね。
でも素数定理って意外にも単純な所から来てんですね。
コメント有難うです。
素数の逆数の和が超ゆっくりと発散する様に、素数も大きくなる程に超ゆっくりと出現する。ひょっとしたら、ベルヌイも其れに気付いてたかもです。
超長いブログですが、久し振りに頭悩ませずに読めました。リーマンって哲学者の素養があったんですね。少し驚きです。
でも挨拶代わりのインスタントな論文が人類史上最難の予想となるのも歴史の皮肉ですか。
それに、オイラーもガウスもリーマンもがガロアもアーベルも直感型ですが。特にリーマンは素数定理なんて証明するだけ無駄だろっって事で、素数公式を発表したんですかね。
それとリーマン予想の論文ですが、幾何学が1つも混じってない。これは凄い事だと思う。数論に幾何を混ぜたら大変な事になると直感で感づいてたんですね。
paulさんのコメは色んな事を思い出させてくれますね。お陰で頭が重くなりそうです。