昨年11月以来の真夜中の訪問客ですが、よく夢を見る私も”初夢”は殆ど経験した事がない。
しかし、今年は珍しく初夢を見た。ここ2ヶ月近く夢らしい夢は見てなかったから、初夢に第2代中国国家主席の鄧小平(1904-1997)が登場した時は、感激のあまり心が震えた。
鄧小平といえば、中華人民共和国を建国した毛沢東の死後、中華民国の最高指導者となり、近代的な改革開放を推し進め、現代中国の基盤を築いた、日本では毛沢東と並ぶ有名な中国の政治家である。
私は今の共産党員は全く好きになれないが、毛沢東や周恩来や鄧小平の3人は、私にとってはアイドルであり、英雄でもあった。
中学の時の文化祭では、教室にこの3人の自画像を貼り付け、好奇心で集まってくる子供たちに、中国人政治家の偉大さを自慢したもんだ。
でもまさか、この3人のうちの1人である鄧小平が夢に出てくるとは、思いもよらなかった。
レーガン批判と米中の覇権批判
鄧小平は夢の中で、レーガンを口酸っぱく罵っていた。一見冷静沈着に見える鄧小平だが、この時は全く違った。
私もレーガンには悪い印象しかない。”アメリカが終わりを告げた夏”でも書いたが、レーガンの経済政策のヘマさえなかったら、”正義の国”アメリカは健全な大国になってたであろうか。
しかし史実で振り返れば、鄧小平とレーガンは友好関係を築き、旧ソ連と決別し、米中の軍事協力などを推し進めた。
しかし何故、今になって鄧小平はレーガンを罵ったのだろうか?
多分、鄧小平は今の覇権主義に走りすぎたアメリカと中国を批判してるのかもしれない。そして、腐敗したアメリカのきっかけを作ったレーガンを批判したかったのかもしれない。
事実、鄧小平が一番嫌ったのが、この”覇権主義”である。
1978年の日中友好条約の際には、”中国は将来巨大になっても第三世界に属し、覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民と共に中国に反対すべきであり、近代化を実現した時には、社会主義を維持するか否かの問題が確実に出てこようが。他国を侵略・圧迫・搾取などすれば、それは中国の変質であり、社会主義ではない”とまで述べた。
こう考えると、鄧小平が今のアメリカや中国のあり方を危惧し、夢に出てきたのかなとも思える。
一方で鄧小平は、日本陸軍の南京大虐殺や靖国参拝を非難しながらも、日本の戦争責任については興味深い事を述べている。
”毛沢東は常々<過去の事は水に流そう>と言われた。しかも実際は日本が中国を助けた。日本が蔣介石(国民党)を重慶まで追いやったから、我々(共産党)は僅か3年で蔣介石軍を撃破できた。だから日本だけを責めるのは不公平だ”
日中二千年の歴史
また、”日中二千年の歴史に比べれば、両国間の不幸な時期など瞼の一瞬きにすぎない”とも述べ、”日本からは多くの事を学ぶべきだ。中国と日本が手を組めば、何でも出来る”とも漏らした。事実、中国での日中共同の兵器工場を建設する計画を、当時の鈴木首相に密かに提案したとされる。
1984年には、”一国二制度”構想の元、香港返還に関する合意文書に、英国首相のサッチャーと共に調印した。
しかし、中国に返還される事で香港社会が中国に弾圧される事が危惧されたが、鄧小平は”香港の黒社会にも多くの愛国者はいる”と黒社会を暗に認めさせた。ただ、この黒社会が香港の民主化デモを弾圧し、暴動にまで発展した事を考えると、複雑な気持ちになったであろうか。
こう考えると、様々な憶測は尽きないが、鄧小平が夢に出てきたのは、ある意味必然的でもある様にも思える。
レーガン批判が終わった後、鄧小平がトランプを批判しようとした所で、夢から覚めた。
初夢にしては、充実し過ぎる程のものだったが、日中の歴史を簡単に振り返る上でも、とても勉強になる。”百聞は一見にに如かず”というのを改めて痛感した。
あるサークルでの悪夢
正月が明けた翌晩にも夢を見た。
今度は鄧小平国家主席ではなく、大学時代の私が夢の中に登場した。
あるサークルの新歓コンパに招かれ、私は自己紹介をしていた。
”浪人したので、皆さんよりかは少し老けてると思いますが、どうぞ宜しくです”
私は精一杯のユーモアで固めた挨拶をしたと思った。いやそのつもりだった。しかし、周りの雰囲気はそうじゃなかった。
サークルのリーダーは、いきなり怪訝そうな表情を浮かべた。その瞬間、私は孤立した。そして、背筋が凍り付いた様に感じた。
そう、最初から私は”お呼びじゃなかった”のだ。
ハーフっぽい女が、私を意地悪な視線で眺めていた。横にいた男の耳元に何か話しかけてるようだった。男は、侮蔑に満ちた視線を私に投げかけてるように思えた。
私は逃げ出したかった。今すぐその場を離れたかった。しかし身体が全く言う事を聞かない。
”どうしたらいい?”
悪夢とはこの事を言うのだろうか?今までいろんな悪夢を見てきたが、これ程までに残酷な悪夢はなかった。
そうこうするうちに、その女が私に近づいてきた。そして耳元で囁いた。
”アンタはね、もう終わってるのよ”
再び、私は凍り付いた。そして夢から覚めた。
”A Happy New Year”で、私は3度自分を見失ったと書いた。その2度目が、この悪夢と非常によく似ていた。
入学式の挨拶で少しヘマをした。そして、それが現実に悪夢となった。その後の私は大きくフェイドアウトしてしまう事になるが、昨日見た夢は、それを見事なまでに忠実に再現してたのだ。
最後に〜いい年と悪い年
過去の嫌な時の夢を見る事はしばしある事だが、ここまで忠実に再現されると、末恐ろしくなる。
初夢が鄧小平であっただけに、今年はいい事がありそうかなと勢い込んでただけに、かなりのショックと衝撃を覚えた。
かの鄧小平が今、私の横にいたなら何と呟くだろうか?
”日中二千年の歴史に比べれば、アンタの悪夢など瞼の一瞬きにすぎないさ”とでも言うのだろうか。
何だか、今年も嫌な事といい事が複雑に奇妙に混じり合う年になりそうだ。
私にとって、真の意味での”明けましておめでとう”と言える年が果たしてやってくるのだろうか?
つまり、最悪のシナリオを予想する事で最悪の結果を回避する。
これは後にブログ立てたいと思いますが、ある研究では楽観主義者よりも精度の高いパフォーマンスを発揮できるとされてます。
それでも、私の人生は得る物よりも失う物の方がどうも多い様な気がしますが・・・
もしその女がもう一人の転んださんだとしたら
悪夢が現実になる時、人はその現実から逃げるようにフェードアウトするのだろうか。
♫人生ってぇ〜不思議なものですねぇ♫
でも、その悪夢に立ち向かい、その女を引っ叩き犯してたら、逆の展開になってたでしょうか?
今度からは悪夢に敢えて逆らってみようかな・・・
♪人生って逆らってみるもんですかね〜♪
でも夢が時をさかのぼり悪夢になるって恐ろしいことよね
悪夢のリッチフローじゃないけど
複雑に入り組んだ人生が時を逆行させることで悪夢に収束するとしたら
でも初夢が鄧小平って、それこそ出来過ぎじゃない??それに日中同盟を策謀してたなんて、素敵なオジサマじゃあーりませんか👅
全く人生を逆行させたような悪夢だったです。しかし鄧小平だけが救いでしたね。本当に嬉しかったです。
では(^_^)/~