アーベルの後は、ベルヌーイそして、オイラーを経由し、素数定理と素数の謎と進みたかったんですが。ベルヌーイ数でかなり頓挫してますので、ここで”リーマンの夢”である”ゼータ関数の謎”を追いかけてみます。悪しからずです。
この本のタイトルにある様に、”ゼータ関数の探求”こそが、『リーマンの夢』(黒川重信著 現代数学社)だったんです。
多分、”素数の謎”とかは、最初はリーマンの頭にはなかったのかもです。リーマンはオイラーと異なり、とても不遇な人生を送ったみたいですが。
まさに、”息を呑む”様なゼータ関数に包まれて過ごした時間は、彼にとって甘美でとても貴重なものだったのでは。
リーマンのこの零点の研究の全貌は未だ闇の中で、リーマン家の家政婦が燃やしてしまったと言われる”黒革の手帳”に、その詳細が隠されてたとされますが。
全く、マリリン・モンローの赤い手帳と同じで、謎が謎を呼ぶとはこの事ですね。
さて、リーマンの夢はそのままオイラーの夢でもあり、結局、夢のまま終わるのでしょうか。それとも、オイラーが追いかけ、リーマンが掴みかけた夢ですかな。
そのリーマンも、快活な性格のオイラーとは異なり、引っ込み思案で孤独な性格の人だったそうです。ゲッチンゲン大学の”私講師”の時代が長く、大学からの給与はなく、講義の受講者からの受講料のみが収入でした。
それも、関数論の講義を再開しても、僅か数回で受講者が全くいなくなるという閑散なもので、閉講になる度に父へ手紙を出してたと。
今であれば、純金や宝石みたいなリーマンの講義だったはずですが、真実と真理とは、今も昔も盆人には理解されないものですね。黒川氏も私も深く同情します。
全く、一人でもいいから、このリーマンのゼータ関数に興味を覚えるというか、理解を示す学生がいたら、リーマンもゼータ関数も、そして現代数学の歴史も時代も変わってたかなと。超優秀な送り手がいても、受け手がいなければ、宝をドブに捨てる様なもんですものね。
そのリーマンもこの麗しく美しき”精神世界”と冷酷で無情な”物質世界”の相互干渉に悩んでたらしく。その二つの統一像を模索してたようです。
ウン、私めと同じですな(笑)。
リーマンにすれば、”ゼータ関数”は精神世界の描像で、”リーマン多様体”は物質世界の描像に過ぎなかったと。実に妙を得た表現です。
何にでも引っ付き、何にでも結びつくゼータ関数。これこそが、リーマンにとって夢の実現であったんです。いや、ゾラが奏でたユートピアの世界がゼータ関数にはあったと、私は思いたいですね。
ところで、リーマンの1859年の素数に関する、僅か6ページの手書きの論文は、数学史史上最高の予想として有名ですが。
この論文で、素数分布をゼータ関数の”零点と極”とによって理解するという”リーマンの素数公式”を書いてます。
これは誤差項なしの明示公式ですが、原理的には全ての素数の公式となってると。因みに、誤差項とは期待値(平均値じゃないですよ)に対する誤差というか。全く説明になってませんが(悲)。
このリーマンの”素数公式”ですが。素数の個数関数π(x)をゼータ関数の非自明な零点(虚零点)を用いて表示する公式で、手書きの論文では不完全でしたが、フォン・マンゴルドによって1895年に厳密に証明されたと。
求め方は非常にややこしいので、ここでは飛ばします(悲)。一応、ややこしい公式だけは、イラストで載せときますが。この公式の中に小さく埋め込まれてるρ(ロー)こそが、リーマンゼータ関数の虚零点で、リーマン予想の正体だったんです(5/30補足)。
このゼータ関数の研究にて、リーマンは上で述べた”第一積分表示”ζ(s)=1/Γ(s)∫ ₀᪲ tˢ⁻¹/(eᵗ−1)*dt、から出発し、複素関数として解析接続を行います。
その後、”オイラーの対称型関数等式”ζ(1−s)=ζ(s)2(2π)⁻ˢΓ(s)cos(πs/2)、を証明し、更に上述した”素数公式”を発見。これはリーマン以前には、誰も予想すら出来なかった定理だと言われてます。
しかし、リーマンの後に、素数公式はより漸近的な素数公式や誤差項付きの素数分布評価が主流になってる事は、歴史の皮肉だと著者の黒川博士も悔やんでますな。
全く誤差項、誤差項ってしつこいですな(笑)。気が変になりそうなので、珍しく短いですが、GWという事で今日はここまでです。
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