フェルマーの最終定理については、以前「フェルマーの定理に挑戦」でも少し紹介したんですが。”ガロア群”(ガロア表現)との繋がりという視点から眺めてみたいと思います。
簡単に紹介する予定だったんですが、長くなるので、前半と後半の2回に分けます。
1984年、ゲルハルト・フライ(独)は”「谷山=志村予想(命題)」を証明する事がフェルマーの最終定理の証明に繋がる”と主張します。
今日では「モジュラリティー定理」と呼ばれる「谷山=志村予想」とは一言で言えば、”楕円曲線はモジュラー関数で表現(一意化)できる”というもので、フェルマーの最終定理を解決する大きな起点となる。
故に、もし全ての楕円曲線がモジュラー形式なら、(判別式が2n乗数な=重根を持たない)フライの楕円曲線はモジュラーにはなりえない。故に、フライの楕円曲線が存在しなければ、フェルマーの方程式(xⁿ+yⁿ=zⁿ,n≥3)を満たす自然数解の組(x,y,z)は存在しない。
故に、フェルマーの最終定理が成り立つ。
つまりフライは、”フライ曲線はモジュラーには絶対になり得ない”と予想した。
その2年後、ケン・リベット(米)がその「フライ=セールのε予想」を証明し、背理法により次の様に結論付けた。
”フェルマー予想が成り立たないと仮定すると、谷山=志村の予想も成り立たない。逆に、谷山=志村の予想が成り立つ事が証明出来れば、フェルマー予想が成り立たないという仮定に矛盾。故に、フェルマー予想が成り立つ”
リベットの”ε予想”の証明では、フライ曲線に対応するガロア表現を作り、その写像(群)の次数をnから2にまで下げ、その結果、次数2のモジュラ形式は(0以外には)存在しない事から、矛盾を導きます。つまり、フライ曲線は存在しない。
以上より、(フライ曲線に関する)谷山=志村予想が証明出来ればフェルマー予想が成立する所にまで漕ぎつけます。
故に、フェルマーの最終定理を証明するには、2人の日本人の谷山=志村予想(命題)が大きな鍵を握っていたとも言えます。
リベットの証明を聞いた23歳のワイルズは、フライの楕円曲線の解の仕組みをガロア群(ガロア表現)を考察する事で、"半安定な楕円曲線がモジュラーである"事を証明します。
フライの楕円曲線は半安定でモジュラ形式より、(フライ曲線では)谷山=志村予想が正しい事が証明され、フライ曲線の判別式が2n乗数である特殊性を使え、重さ2で位数(階数)2の点を持つ事が証明できる(リベット)。しかし、この様なフライ曲線は存在しない(リベット)事に帰着させ、フェルマーの最終決着に繋げまます。
厳密には、”半安定”な性質を持つ楕円曲線をガロア表現(群)を使って考察し、ガロア表現が(既約かつ)モジュラなら、それにより変換された楕円曲線もモジュラである事をワイルズは証明した。つまり、"半安定(モジュラ)なんだけど(フライ曲線は)楕円曲線ではない"という所が要注意ですね。これをワイルズの「半安定のモジュラリティ定理」と呼びます。
以下、simanezumi1989さんの「谷山=志村予想の流れ」を一部参考にして紹介します。
フライ曲線とフェルマーの最終定理
フライ曲線とは、フェルマーの最終定理が成立しないと仮定し、フェルマーの方程式(xⁿ+yⁿ=zⁿ,n≥3)を満たす自然数解(a,b,c)が存在したとして、”特殊(半安定)”な性質をもつ、y²=x(x−aⁿ)(x+bⁿ)を満たす楕円曲線の事で、実際には存在しない。
但し、a,bは自然数より、x(x−aⁿ)(x+bⁿ)=0の3つの解x=0,aⁿ,−bⁿは重根を持たない。
事実、もしフライ曲線が楕円曲線であるならば、x(x−aⁿ)(x+bⁿ)=0の判別式D={(α−β)(β−γ)(γ−α)}²={aⁿbⁿ(aⁿ+bⁿ)}²=(abc)²ⁿ≠0となり、重根を持たない事は簡単に示せる。
もしフェルマーの最終定理が成立しない(フェルマー方程式が成立する)と仮定すれば、上のフライ曲線は楕円曲線となる。
因みに楕円曲線とは、x,yを未知数とする方程式y²=x³+ax²+bx+c(a,b,c有理数)の形で与えられる(特異点を持たない)滑らかな平面3次曲線の事で、(xの多項式としての)右辺=0が重根を持たない(判別式≠0)ものをいう。
しかし、この楕円曲線は群構造を持ち、演算可能という事が大きな特徴である。
故に、ワイルズはフライの楕円曲線をガロア群に置き換る事で、フェルマーの方程式を楕円曲線の解の構造の問題に還元し、フェルマーの最終定理を導きます。
楕円曲線はこうした群構造を用いて、暗号(楕円曲線暗号)や素因数分解にも利用されてます。
元々、楕円曲線の理論は複素関数論における楕円積分の研究に端を発し、ガウスは楕円積分(∫dx/√(αx⁴+βx³+γx²+δx+ε))の逆関数が2重周期をもつトーラス上の関数になる事を発見。この複素平面上の2重周期関数を楕円関数と呼ぶが、19世紀の前半にはアーベルがこの事実を初めて発表します。
この楕円曲線という名称ですが、かつてこの形の方程式が楕円の周や惑星軌道の長さなどを測定する為に使われた事から名付けられ、「フェルマーの最終定理」では、楕円方程式と紹介されてる。故に、高校で学ぶ2次曲線の楕円や一般的に言う曲線とは大きく異なります。
そこで、フェルマの最終定理が成立しないと仮定すると、フェルマーの方程式”xⁿ+yⁿ=zⁿ,n≥3”ー①には、自然数解の組(a,b,c)が存在し、しかも2つずつ互いに素なものが存在する(事が知られている)。
この証明は、仮にa,b,cが互いに素でない(1以外の共通に割れる数pを持つ)とすると、a=m₁p,b=m₂p,c=m₃pと出来、①に当てはめるとm₁ⁿ+m₂ⁿ=m₃ⁿ,n≥3となり、a,b,cは互いに素なm₁,m₂,m₃に置き換える事が出来る。
故に、互いに素なa,bでは①が成立し、フェルマーの最終定理は成立しない。これは、仮にa,bが素でなければ、a,b,cは共通に割れる数を持ち(互いに素である事に)矛盾するからだ。
同様の理由で、a,b,cはどの組み合わせも互いに素となる。故に、a,b,cが互いに素なら(=2つずつが互いに素)、フェルマーの最終定理は成立しない。
つまり、aとbが互いに素なら、上述したフライ曲線の解(0,aⁿ,bⁿ)は明らかに重根を持ち得ない。故に、フライ曲線は楕円曲線になる。
一方で、フライ曲線が楕円曲線になり得ないなら、フェルマーの最終定理が成り立つ。
こうしてフライは、フェルマー方程式を楕円曲線に対応させ、フライの楕円方程式が特異な性質(半安定&判別式が2n乗数)を持つ事を指摘します。
よって、フェルマーの最終決着には、こうした”互いに素”という初等的な整数論が横たわってたんです。こうしてみると、リベットの証明も流石ですが、フライの仮説も凄く重要ですね。
ワイルズの不可能の証明
ワイルズはこの様にして、1995年に”半安定”と呼ぶ特異な性質をもつフライの楕円曲線について、フェルマーの最終定理の証明の起点となる”谷山=志村予想”を証明します。
一方で、フライの楕円曲線の全ての解(の個数)を見つけ出す事で、楕円曲線における谷山=志村予想を証明する事も出来ますが、流石に困難です。
そこで素数pに対し、楕円関数(標準形)をy²=x³+ax+b(mod p)と剰余類(mod)の形にすれば、解を見つけ易くなる。
簡単なy²=x³−x(mod p)の例で解(x,y)を求めると、0≤x<1,0≤y<1より、p=2の時は0と1を調べるだけでよく(x,y)=(0,0)(1,0)。p=3の時は0と1と2だけで(x,y)=(0,0)(1,0)(2,0)。p=5の時は(x,y)=(0,0)(1,0)(2,1)(3,2)(3,3)(4,0)。
結果、p=2,3,5,7,11,・・・,89,97,・・・に対応する解の個数は、2,3,7,7,11,・・・,79,79,・・・となるらしい。
しかし、フェルマの最終定理を証明するには、この谷山=志村予想(命題)の一部(半安定楕円曲線のモジュラー性)を証明するだけでよかった。
一方で、フェルマーの最終定理が成り立たない時は、aとbが互いに素な組が存在し、どんな素数pを法としても、x(x−aⁿ)(x+bⁿ)=0(mod p)の解は2重根までで、解の構造から判別すれば、フライの楕円曲線は”半安定”となる。以下でも述べますが、3次の楕円関数は”安定”と”半安定”と”不安定”に分けられます。そのうちワイルズが証明したのは、(”安定”のモジュラ性は明らかですが)”半安定”のモジュラ性だけでした。
故に、ワイルズの「半安定のモジュラリティ」の証明から、フライの楕円曲線は半安定(モジュラ)だが、その特異な性質(判別式が2n乗数で位数2の点を持つ)により、その様なフライの楕円曲線は存在しない。故にフェルマーの方程式は成り立たない。こうして、フェルマーの最終定理は完全に証明された。
因みに、保型形式とは極めて多くの対称性を持つ特殊な関数で、モジュラー形式も保型形式の一部です。
「谷山=志村予想」が成り立つ事の証明は当時は不可能だと考えられてましたが、上述した様にワイルズは、フライの楕円曲線をガロア表現(写像)に置き換え、その写像により半安定なフライ曲線をモジュラ(保型)形式に対応させる事で、「半安定楕円曲線の谷山=志村予想」の証明に漕ぎ着けました。
1993年の時点では、この半安定曲線の谷山=志村予想の証明を、ある種の”セルマー群”の元の個数を数える事に帰着する所までは成功していました。
しかしワイルズは、セルマー群の大きさを評価するにオイラー系の利用を考えてましたが、その方法による証明に大きな欠陥が見つかった。
次に、”ヘッケ環”を利用する方法で再挑戦し、かつて自分の学生であったリチャード・テイラーと共に証明を完成させた。
セルマー群とヘッケ環については、後に紹介する予定です(多分)。
ワイルズは帰納法を使い、この予想を証明したとされる。それに、ワイルズの谷山=志村予想の証明の副産物(半安定曲線のモジュラリティ定理)として、フェルマの最終定理を証明したとされますが。
楕円曲線は(その右辺のxの多項式が)重根を持たない事が条件です。
それに3次の楕円曲線は、”安定”(pを法として重根を持たない)と”半安定”(同、重根はもつが3重根は持たない)と”不安定”(同、3重根を持つ)の3種に分けられます。
これを証明する為に、ワイルズは上で述べた様に、ガロア表現(写像)を用いて楕円曲線の解の構造を深く考察します。
そこでワイルズは、(フェルマーの最終定理が成立しない⇒フェルマーの方程式が成立するなら)フライの半安定な楕円曲線のa,bの組の解が互いに素である事に着目し、半安定な楕円曲線がモジュラである事を証明し、”モジュラ(半安定)なフライ曲線の判別式が2n乗数になる様な楕円曲線は存在し得ない”事を証明して、フェルマーに最終決着を付けた。
結局、「谷山=志村の命題」の半安定な部分だけを証明すればよかった事になる。
何度もしつこい様ですが^^;、フェルマーの方程式をガロア表現(写像)により(フライの)楕円曲線に置き換え、即ち、整数論をイデアル(理想数)や類体論、更にガロア群を通じ楕円関数論に置き換える事で解の仕組みを解き明かし、フェルマーの最終決着に漕ぎ着けたんです。
彼が<驚くべき証明を持ってるんだが>と書き遺したのは、こうしたエピソードから来てるのでしょう。
多分志村は、このラマヌジャン予想から導かれるモジュラ形式F(q)=qΠₙ[1,∞](1−q⁴ⁿ)²(1−q⁸ⁿ)²を展開し、qⁿの係数を調べたんだと思う。
そこで、aₚ=qᵖの係数と定義し、p,Nₚ,aₚを順番に書き出した。Nₚはmodp上の楕円曲線の整数解の個数だったよね。
すると、Nₚ+aₚ=pという関係式が出来上がる。
つまり、このような対応が全ての楕円曲線に存在するというのがモジュラ形式における谷村志村予想だということか。
simanezumiサンも、かなり苦心してたみたいだけど、このモジュラ形式のラマヌジャン(ピーターソン)予想の証明には、ヘッケ作用素(1937年)が起点になったのは確かだろうね。
勿論整数論だけで解ける代物ではないんですが、素人が見たらそれだけで解けるような錯覚に陥るんですよ。
勿論私もその1人ですが、既に後悔の域に達してます(悲)。
フェルマーの定理のオイラー系とラマヌジャンが結びつく瞬間でしょうか。
今、セルマー群とヘッケ環について調べてんですが、類数や類対論が大きく横たわってます。
お陰でどうも私には無理っぽで、正直自信ないです。軽い気持ちで調子漕いて世紀の大難題をブログにした事を今になって後悔しています。
でもワイルズも一度は挫折したんですよね。それから偉大な先輩や友人たちの力を借りて、最終決着に漕ぎ着けた。
詳しく調べてくださって感謝します。何とか期待に応えたいですが・・・
N=3はオイラーですね。
以降、ジェルマンの定理がきっかけとなり
ルジャンドルとディリクレはN=5の時を
ガブリエル・ラメはN=7の時を証明してます。
更にクンマーはイデアルの理論を導入し
37,59,67を除く100以下の全ての素数についてフェルマーの定理が正しいことを証明します。
間違ってたらごめんなさい
オイラーは全ての整数が素数の積で表せる事から、フェルマーの定理はNを全ての素数で考えればいい事を突き止め、
その後、ソフィー・ジェルマンという女性数学者が、2p+1が素数である様な奇素数p(ジェルマン素数)に対し、xyzがpで割り切れれば、フェルマーの定理が成立する事を証明します。これは後にN=5と7の証明に結びつき、フェルマーの解法に向け大きく前進します。
でもソフィーは数学者としては認められず、逆に物理学者として大きな功績を残します。ソフィーとガウスの物語も実に切ないですね。
その後、フェルマーの定理の件での手紙でのやり取りが続き、当時のガウスは数論から離れ殆ど興味を示しませんが、彼女の事は高く評価してました。
失意の中でジェルマン嬢は物理学に転向し、弾性理論で大きな成果をあげます。
当時は女性に数学は出来ないとの風潮が根強かったから、素晴らしい業績を上げても評価されなかったんですが、ガウスやコーシーらの称賛のお陰で死後ようやく再評価されるようになります。
彼女を知れば知るほど、辛くなってきますね。
しかし1738年、ルジャンドルがn=5の場合の証明を解説した論文でジェルマンの定理について触れてます。
ガウスはある手紙で”証明も反証も出来ない命題(定理)は幾つでも書き出せる”として相手にしなかった。ある意味当を得た言葉です。
色々と調べてくださって有難うです。
N=4までと書いてしまいました。正しくはN=4の時でした。
そこで少し補足させて頂きます。
フェルマーの最終定理(Fermat's Last Theorem)ですが、N次のフェルマーの定理をFLT(N)とすると、
FLT(4)=フェルマー(1630年代)
FLT(3)=オイラー(1770年)
FLT(p)=ジェルマン(1823年)、但しpはジェルマン素数
FLT(5)=ルジャンドル、ディリクレ(1825年)
FLT(7)=ラメ(1839年)
と研究の系譜は移り変わります。
そして、ラメはP次円文体(有理数と1の原始P乗根を含む四則ができる数の集合)を用いて、全ての奇素数Pに対し、FLT(P)が成立すると主張します。同時期にコーシーも同じことを主張した。
これが有名なラメ=コーシー論争です。
しかし、P=23の時の反例をクンマーが示した。
クンマーはP次円文体の整数では素因数分解の一意性が成り立たない事を指摘します。
そこで、一意性が成り立つように理想数(イデアル)を導入し、大方のP(正則素数)に対し、FLT(P)が成立する事を証明します。因みに、23の後は37、59、67・・・と続きます。
十分に大きな素数を素イデアルに分解する分野を「類体論」と呼ぶが、ある特定の拡大を考える時、類数(イデアルの倍数)がどのように増えるのかを調べる「岩崎理論」とともに、FLTを解く上では重要な理論になっていきますね。
お陰様で、FLTと類体論とイデアルのつながりが大まかではありますが、理解できました。
継承が独創を有無の典型ですよね。
色々と有り難うです。