昨日、”超天才ベルンハルト”にアクセ頂いた方どうも有難うです。私の上位の記事ランクが固定しつつあるので、こういったアクセスは嬉しい限りです。
さてと前回の”ファンタジーランド、その1”では、狂信的なカルト集団としてのアメリカ。そして、ひらすら自分に都合のいいフェイク(神)を信じ、そしてフェイク(神)を作り上げできた”おとぎの大国”のアメリカを紹介しました。
日本では絶対的な存在である神様も、アメリカでは単に都合のいい存在に過ぎず、その常軌を逸したカルト集団が、互いの利害の為に”狂ったアメリカ”となったら、それこそ分断するファンタジーランドとなる。
そして、その”幻想の国から狂気の国へ”と繋がるアメリカの自死について述べました。
そこで今日は、クレージーランドという”知性の欠如したアメリカ”について書きたいと思います。
アメリカはなぜ、”知性に重きを置かない国”になったのか?
以下、”「ファンタジーランド」を読む(後編)”から抜粋&編集です。
狂信的な反知性主義のアメリカ
アン•ハッチンソンという女性が、17世紀初頭のアメリカにいた。今では偉大なヒロインとして称えられてるが、彼女は独自の宗教活動を行い、それを糾弾されたが、屈する事なく最後まで戦った。その部分においてだが、現代では強く賞賛されてはいる。
しかし、それこそがアメリカの問題なのだ。実は、彼女の特質は女性の解放にあったのではないと「ファンタジーランド」の著者は言う
彼女は、常に”神に話しかけられてた”らしく、それを強く信じ、熱狂的に周りにも教えていった。彼女の言う事を信じない者にとっては、ただの魔術的な存在に過ぎなかったが。
しかし、どれだけ論理と理知で攻められ、否定されようと、彼女は自分の言う事を曲げなかったし、自分の信念を貫き通した。
こんな彼女をどう評価するのかは立場によって違う。
裁く側(当時の社会を堅持した者たち)から見れば、”人の言う事を全く聞き入れない独善的な存在”でしかない。
早い話が”頭のイカれたバカ”であり、悪魔に取り憑かれた女となる。マサチューセッツの裁判所ではそういう判断をなされた。
しかし後、彼女はアメリカ的存在として顕彰される。”狂信的な反知性主義”というアメリカ社会の特徴の、彼女はその原型だったのだ。
確かに今のトランプを見ると、よ〜く理解できますな。
”私は私を信じる”の一言で、その”私”に対して何の説明もする事なく、その信念を押し通した所がアメリカ人に愛されたのだ。
つまり多くのアメリカ人は、彼女の様に知性ではなく、”信念に生きたい”と願っているという事だ。
そのハッチンソン裁判から半世紀後、1692年にマサチューセッツのセイラムで大がかりな魔女裁判が開かれた。
少女たちが奇妙な行動に出始め、それは村内にいる魔女の仕業だとされ、20名以上が”魔女”として死刑になった。神権政治が真剣に執り行われてた頃のアメリカの悲劇である。
つまりアメリカは、”神の言葉を信じる者たち”の国だったのだ。早い話が”やばい国”だった。17世紀から既にそうだったのだ。
ショービジネス化するキリスト教
18世紀に入ると、宗教の熱狂度が増し、そしてショービジネス化していく。
この”ビジネスショー化していくキリスト教”というのが、アメリカの1つの骨格を形成していくのだ。
ジョナサン•エドワーズやジョージ•ホウイットフィールドという優れた説教師が出現し、それを真似た人たちによりキリスト教は熱狂的ショーになっていく。
彼らが街を訪れ、説教を始めると、街中の人が集まり、熱狂する大いなる娯楽になった。それは20世紀のロックコンサートの興奮と全く同じ類ものだ。
18世紀のアメリカでは、色んな場所で”キリスト教の熱狂的野外コンサート”が開かれ続けた。そこでも説教師は熱狂させるパフォーマーだったのだ。
自分が信じたいものを信じる人達にとって、熱狂させてくれる説教師こそが人生の指導者である。彼らの誘導により、実際に神の言葉が聞こえると錯覚した人が続出する。
客観的に言えば、”みな素敵にイカれてた”のだ。偉大なる聖職者エドワーズについて、かのマーク•トウェーンは、”輝くばかりの知性がイカれてる”と記している。
壮大なショーとは一種の詐欺でもある。それは今でも同じで、実体を見れば普通の人間でしかない存在を、この世のものでない崇高な存在に見せるのがショーである。
19世紀に出現したバッファロー•ビルやP•T•バーナムにより、現実と見世物の境目が取り除かれていく。
ビルは、西部開拓時代にインディアン掃討などで活躍した後、自分の半生をショー化して成功した。バーナムは、映画「グレイテスト•ショーマン」で紹介される様に、サーカスをショーとして始めた。
彼らは成功し、有名になり、”ショー”そのものがアメリカ精神の支柱を築いていく。その流れは20世紀になると、より強化された。
映画やラジオの台頭により、歴史も真実も皆フィクションがらみで紹介される様になる。
1920年代には進化論を学校で教えた教師が、反知性主義(熱心に聖書を信じる人達)から訴えら、有罪となった。
この様にアメリカは、”19世紀の偉大なる知性”から全力で逃げ出そうとしているかの様でもあったのだ。
ファンタジーに生きる?
やがてウォルト•ディズニーが現れ、世界を”おとぎの国”に見える様に仕掛けた。
彼が創ったディズニーランドという仮想空間を、現実のアメリカ社会が真似をし始めた。みんな現実ではなく、ファンタジーに生きようとした。
そして1960年代のヒッピー文化が、改めて理性をきれいに流し去っていく。
社会を支えていた筈の合理的な考え方は、若者とヒッピーによって馬鹿にされ、それに影響された大人達にも相手にされなくなり、決定的なダメージを受ける。
ここにて、”理知的に物事を考える”という事をアメリカは諦めたのだ。
20世紀の後半になると、人は自分の信じる様にしか物事を信じなくなる。
1970年以降、”霊との交流”をした人達や”宇宙人”の存在を信じる人達が一挙に増えた。
学問世界でも、”科学は単なる信仰の一形態でしかない”とみなされ、”誰もが信じ得る客観的事実”がアメリカから消えていく。
みんな自分の信じたいものだけを信じていった。そして、それが時に大きな流れを形作る様になる。
一方で神秘的な体験をする人が増え、天国や地獄の存在を信じ、”自分は特別な人間だ”と思い込む人(バカ)がとめどなく増える。
つまり、アメリカはそういう”おバカ”な国に成り下がっていくのだ。
故にアメリカ人は皆、個々に神からのメッセージを受け取る権利を有する”選ばれた民”だと思う様になった。
”20世紀のアメリカ人は、もはやあらゆる信者がイエスの使徒と同じ預言者であると錯覚してる”と、著者のアンダーセンは説明する。
トランプを輩出したファンタジーランド
1980年には、かつてのハリウッドスターが大統領になり、彼もまた世界の見方を”1950年代の元気だったアメリカ映画風”に変えていった。
”アメリカには最初からある決定的な特徴がある。それは前例がない程に詐欺師が繁殖する土壌があるという事。
アメリカ人は詐欺師になりやすい。故に、アメリカ人はどの国民よりも不正な手段であれ公正な手段であれ、自分の野心を追求するチャンスを大いに楽しんできた”(著者談)
そしてドナルド•トランプが登場した。彼こそがまさに変わりゆく”バカなアメリカ”の象徴である。
彼は自分で信じたい様にしか世界を捉えてない。知性に重きを置かない。つまり、17世紀のハッチソンと全く同じだ。
彼らにとって大事なのは”直観”だ。どこかの国がアメリカを陥れる陰謀を企んでいると直感的に気づいたら、その陰謀は実在する。
他国の指導者がアメリカに悪意を持っていると感じれば、すぐに”あの国は悪だ”とヘイトする。どんな国家だって陰謀じみた事はやってるから、後から実例はいくらでも挙げられる。もはやフェイクかどうかは、殆ど問題にされなくなった。
トランプの様に、”自分の事だけを信じて生きてみたい”と思わせれば、彼の政治は成功なのだ。
それは、”自分の信じたい様に信じればいい”という、メイフラワー号の昔から続くアメリカの”狂気の原理”を思い出させる。
勿論、秩序はなくなるが元気は出る(笑)。
「ファンタジーランド」はアメリカ社会の精神史を記し、アメリカ史上の数多くの”イカれた人達”を紹介してくれる。
読んでるうち、”イカれた人達でも何とかなったんだったら、それでいいじゃないか”という気分になる。故にトランプの出現は、歴史が望んだ必然だった様にも思えてくる。
この本は、トランプが大統領になるとは誰も考えてない2016年頃に書かれ始めた。故に、トランプのアメリカを分析した筈もないが、結果的に”なぜトランプが大統領になったのか?”を明示した本となった。
知性の限界
ネットとSNSの情報だけで構成された世界に住んでると、何がフェイクで何が真実かは、その場ではまず見抜けない。
そんな曖昧な世界を生きてく限り、自分の限界を踏まえ、トランプの様な”開き直った世界観”を持てば、とても楽ではある。
自分が信じられるものだけを信じ、自分に都合悪そうな情報は、全てフェイクとしてシャットアウトすればいい。
誰に何と言われようと自分が正しいと思って生きる。それがトランプの教えだ。
一瞬、あ!それもいいかも!と思ってしまう所がとても危いが、それが悪魔的で魔術的だとは誰も指摘しない。
情報過多の社会では、とにかく”自分を信じる”という手法が有効なのは確かではある。
「ファンタジーランド〜狂気と幻想のアメリカ500年史」は恐らく、反トランプ的な知性の世界を取り戻したいという強い意志で書かれたのだと思うが、逆に”知性の限界”を露呈している様に見えた。
トランプが再選に向けて動き出しても、誰も不思議に思わないし、多分再選は堅いだろう。つまり我々は、トランプ存在をごく自然に受け入れてしまった。
彼が再選しようがしまいが、世界はもはや”トランプが出現した以降の世界”に突入してしまったのだ。このトランプの出現は、思ったより重大な出来事なのかもしれないのに。
知性を信じて書かれたこの本を読み通すと、もはや”反知性”に対して知性で戦っても無意味だろうと思うばかりである。
そしてそれは、もはやアメリカだけの問題ではなく、我々の問題なのかもしれない。
以上、gendai.ismedia.jpからでした。
最後に
全2話に渡り、”狂気とファンタジーの国アメリカ”について書いてきましたが、この2つのフレーズがそっくりそのまま、トランプ大統領に当てはまるというのも皮肉ですね。
彼の大統領演説はまさに、”狂気と幻想”そのものでした。そして、その原稿を破り捨てたペロシ議長の行為も、異常なまでに”狂信的”に映りました。
しかしトランプは、SNSを構築する2大要素のフェイク(神)とヘイト(排他)を上手く扱ってる様にも思えます。
果たしてこれから、”おとぎの国”のアメリカは何処へ向かうのか?ひょっとしたらアメリカの行く先は、最初から存在しないのかもしれない。
”自死”という終着駅があるとすれば、それはヨーロッパではなくアメリカの為にあるのかもしれない。
ピューリタンの飽くなき欲望の果てに、現在のシャブ中大国が成り立っている。中毒(禁断)症状が出る度、戦争という麻薬を使い続けなければならない。
そうした中、幻覚症状を絶えず発現し、狂気の文化を世界に押し付ける。ディズニーワールドこそが米帝による文化帝国主義の典型であり、我々はそれをファンタジーとかグレーティストショーなどと持て囃す。
そうしてアメリカは、ますます狂っていく。
アメリカの楽観的合理主義とは、超利己主義であり排他主義の賜物ですから、ビコさん言う様にこれからもっと腐っていくかもです。
ハサミは使いようがありますが、トランプは使い道がありませんね(^^♪
新天地で一儲けを目論んだピューリタンが、先住民インディオを虐殺し
北米大陸を侵略した事に、
その起源を発す。
ピューリタンの飽くなき欲望の果てに
現在の薬中大国が成り立っている。
中毒(禁断)症状が出る度、戦争という
麻薬を使い続けなければならない。
そうした中、幻覚症状を絶えず発現し
狂気の文化を世界に押し付ける。
ディズニー・ワールドが米帝による
文化帝国主義の典型であり、
我々はそれをファンタジーとか
グレーティスト・ショーなどと
持て囃すのだ。
何と愚かな事よ…と言い乍ら
ピーターパン・シンドロームに
胡坐をかいている。
ピューリタンの飽くなき欲望とディズニー幻想ワールドとシャブ中による狂気の文化の詰合せセット。
これこそが腐ったアメリカ帝国主義の哀れな実態ですね。
コメントとても参考になります。