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この短編は『バルザック芸術/狂気小説選集1〜絵画と狂気篇』の中に収められてる作品だが。他にも既にブログで紹介した”毬打つ猫の店””財布””知られざる傑作”に加え、”ピエール・グラスー””石榴屋敷”が収録されてる豪華版だ。
バルザックの人気は未だ健在で、この様に復刻版というか、新たに傑作群を選り分け、若い世代でも楽しめる様に豪華ラインアップを用意されてるのは、バルザックファンでなくとも嬉しい限りである。
さて、本題に入ります。
ある異常で奇怪な事件を扱った僅か40ページ足らずの超短編ですが。狂気というより、振り返る程に強烈な印象を読者に与える作品です。”海辺の悲劇”というより、”海辺の死刑執行”と言うべきですかな。
まるで、〈家の中の死刑執行=マテオ•ファルコネ〉のプロスペル•メリメ(仏 1803〜1870)の傑作短編を彷彿させると解説にありますが。異なるのは、父親が息子殺しを犯すに至る場面だけではなく、悔悟する父親の描写が含まれてる事です。
”その鬼気迫る筆致からは、日常を超える心情の権化(化身)が浮かび上がってくる。父親は、裁判という日常原理を超えた絶対的次元で悔いながら、神の如き高さに達してる”と。
全く、訳者の私市氏の解説には頭下がりっぱなしですな。
ルイとして登場する物語の語り手は『ルイ・ランベール』(バルザック哲学的探求)の主人公であり、恋人のポーリーヌと一緒にブリュターニュ地方を旅し、巡り合った事件を伯父に当てて書いた手紙という形を取る所は、実にユニークです。
事実、このルイ・ランベールでは、彼は最後に自分の世界に引き籠り、語るのは独白のみという自閉に陥り、最期を迎えるのですが。
その予兆の様に、この作品では陰惨な息子殺しの経緯を耳にし、人間の領域を捨て、絶対的な悔悟に閉じこもる老人(父親)の最後の姿を目撃するのですが。
この事件が彼の心に深く入り込み、脳病の発作の予感をルイは伯父に漏らしています。これこそがまさに”知られざる感情”の共有ですね。
物語の前半は甘美な幸せに包まれ、舞台となるル・クロワジックはバルザックの愛人ベルニー夫人とよく遊んだ所です。この冒険の心地よい描写は、その時の思い出が込められてると私市氏。
しかし、2人がバッツの街に向かう途中、舞台は暗転する。目の前には花崗岩にうずくまる老人が。この”岩の中に存在し、絶対的な悔悟に埋没する”一人の老人。この奇怪な老人こそが物語の主役なのだ。
そして、2人はその経緯を知る。ルイの心は暗い闇の中に閉ざされ、帰りは"痛ましくも陰鬱な自然"つまり、"苦悩し、病に冒されたかのような自然"の只中を歩んでゆく。2人を取り巻く全てが、この老人の悔悟の情念に犯されたかに見える。
最期に私市氏は、この作品は"人の容貌が内面に相応し、建造物が住民に相応してる様を意識的に描いた、バルザック特有の相応の原理が、自然と情念にまで及ぶ稀有の例"だと語ってる。全くですな。
このカンブルメルという老人には、かつて溺愛した一人息子のジャックがいた(全く名前からして怪しいですね)。
しかし、常軌を逸した愛情故に、”サメみたいに”血も涙もない放蕩息子に成り果て、やがて一家の面汚しとなると、父親はある決断をする。
この狂人息子に平手打ちを食らわし、高を括ってたジャックは半年程寝込み、かつては”ブルアン家の美女”と呼ばれた気立ての優しい母親も、息子と同様に悲しみで死にそうになる。
しかし、狂人ジャックはこの母親の優しさに付け込んだ。何と母親を切りつけ、金貨を盗みだし、酒盛りをする。
流石に、親父はブチ切れた。息子に銃を突き付け、”お前は両親を冒涜した。告解しろ懺悔しろ、さもなくばお前を裁いてやる”
しかし、悪党ジャックは父親の弱みを知ってた。告解する気はさらさらなかったのだ。
親父は最後の決断を下した。”オシマイだ、告解なしで始末してやる”と、安心して眠りについたジャックを羽交い締めにし、舟に縛り付け、岩場の高台から息子を突き落とす。
”お前は裁かれたのだ”とカンブルメルは息巻き、”息子にお慈悲を”と母親は叫んだ。そして、呻き声を上げ、死にかけた身体は1週間ともたなかった。
それ以降、 カンブルメルは気がおかしくなり、この岩場と一緒に暮らす様になったのです。しかし、この奇怪で不幸な老人にも唯一の生き甲斐があった。偶に会いに来る、弟の娘ペロットの存在だ。
この地に住む、二人の案内を兼ねた漁師のこの一連の告白は、非常に重厚に崇高に聞こえる。悔悟に満ち、岩と同化したカンブルメルは、周囲からは”誓いの人”と呼ばれた。
父親が息子を裁き、そして、殺すというバルザックお得意の、しかし、夏目先生が毛嫌いしそうな”善意のないオチ”だが。その父親も深い懺悔と絶対の悔悟にひれ伏し、岩と同化し、化石のように成り果てる。全く外見と中身が比例する様を描く悲惨な物語。
でも、その中に崇高さと尊厳、父親としての威厳と母親が縋る慈悲。様々なものがこのブリュターニュの地に溶け込んでる。
この悲惨な一家の運命を、結核に犯された塩田に例える辺りは、さすがバルザックの凶暴性は半端ない。
とにかく、この老人は重厚で罪深く、崇高で潔い。これこそがこの作品のテーマでもある。
バルザックの小説の世界には、あらゆる所であらゆる人物が、複雑に入り込み登場します。本当に憎い事やりますね。これこそが益々冴えわたるバルザックの筆マジックというべきかというべきか。
全く、これこそがバルザックの大きな魅力であり、特徴なんでね。数多くの登場人物を実に巧みに使い回す。読む側は、とても懐かしいし、登場人物が連携し繋がり合ってるから、一つ一つの作品がシンプルな展開でも、全体としてみれば、脳内に巡る神経回路網の様に、複雑多岐に入り組む展開に痺れ放しです。
まさに、バルザックお得意の自由奔放な、放蕩的にも見える芸当なんですね。小説の域を超えてると。羨ましい限りです。
もし、バルザックやゾラが思い思いにブログを書いたら、どんなものになるのか見てみたいものです。