一時は、期待して見てた「真犯人フラグ」も、(年明けからの)11話以降の”真相編”には、どうも見る気が失せた。
14話を少しだけ見て、やはり見る気が失せた。その後は、チャンネルを回す気すら起こらない。正直ショックでもあったが、期待した私がバカだった。
しかしだ。
玉砕覚悟で、19話の最後のシーンだけを見た。”ひょっとしたら”って期待させる何かがあった。いや、そう思いたかったのかもしれない。
という事で、「真犯人フラグ」にはどうも辛口になりますが、今日はウクライナ情勢から少し離れて、平和ボンボンなテーマです。
(複雑多岐にはらんだ)犯人探しに”興味津々”という好意的な声は圧倒的に多い。
が、どうも私には、詰め込みすぎた中途な凡作に思えてならない。
というのも、10話までの反省が生きてない(様に思える)からだ。一部で指摘されてた事だが、”多すぎる登場人物と詰め込みすぎたフラグ”のお陰で、見てて”頭が窒息”しそうになる。
確かに、バルザックやゾラの小説にも登場人物は多い(いや、多すぎる)。
多様的で濃密な展開を支える(個性豊かな)彼ら彼女らだが、優雅な時の流れと共に、一人一人が読者の頭の中で穏やかに融合し、ゆっくりと着実に消化されていく。
特にゾラの長編では、絶妙に配置された時間軸と地域軸を駆使し、読み終える頃には多様的に散りばめられたフラグや登場人物の全てが、脳内でキレイに消化される。いや”もっと食べさせてくれ”と思える程でもある。
しかし「真犯人フラグ」では、無作為に(これでもかと)登場するキャストのお陰で、散らばり過ぎたフラグがスムーズに消化出来ていない。まるで(時の流れが停まり)淀み濁りきった池の水を、延々と見つめてる気分で鬱になりそうだ。
果たして、「真犯人フラグ」は期待作か?それとも単に期待させただけの凡作か?
だったら、何がつまらないの?
つまらない理由の一番手とされるのが”伏線貼りすぎ”で、とにかくフラグが重なり過ぎた。
秋元康のミステリーは「あなたの番です」もそうだったらしいが、伏線の量が尋常ではない(らしい)。
「真犯人」でも第1話から意味ありげなカットやセリフがこれでもかと登場し、”見てて疲れる”なんて声も。しかも「あな番」では、結局回収されなかった伏線も多かった為、うんざりした人もいたとか。
つまらない理由の2つ目は”展開が予想できる”事。
企画の秋元康を始め、「真犯人」は「あな番」のスタッフが制作してる。その為、演出やストーリー展開に今更感(デジャブ)を感じる人が多いと。しかも、「あな番」の犯人は元乃木坂46の西野七瀬(私、知りません^^;)。
「真犯人」でも乃木坂46の生駒里奈(私、初耳でした^^;)が出演してる事から”生駒が犯人でしょ?”の声が。
つまらない理由の3つ目は”本当に解決するの?”である。
最終回になっても”謎や伏線が放置されてしまうのでは?”と不安視する人も多い。この理由も「あな番」の印象が原因のようで、「あな番」も最後まで”どういう事よ?”と、疑問が残る終わり方だった(らしい)。
結局、謎は残っても構わんが、伏線だけはきちんと回収して欲しいもんである。
以上、”真犯人フラグ感想がつまらない3つの理由とは?”から一部抜粋でした。
伏線で膨らましたドラマ
「真犯人フラグ」がどうも詰まらないと思ってる少数の人は(私もそうだが)、「あな番」の致命的欠陥がそのまま引き継がれてる事にあると思ってるようだ。
私は「あな番」を見た事もないし、秋元康がドラマを企画してる事すら知らなかった。ただ、彼の名を聞いただけで嫌な予感はしてたが、その予感が当り前の如く的中してしまう。
ドラマは殆ど見ない私だが、西島秀俊が主役だから見ようと思った。
しかし、ありきたりで平凡な課長の役を忠実に演じ続けようとした彼には、ここに来て奇妙なウンザリ感を覚えてしまう。
「お決まりの推理」でも書いたが、芳根京子さんの大健闘が目立ち、彼女の瞳に魅せられる様に見入ってしまった。彼女のファンになった中年オヤジも多いんではないだろうか(多分)。
でも今から思うと、たったそれだけだった様も思える。
一方で、西島秀俊の”イイ俳優さん”っていうイメージに、限界を覚えたのも事実である。
男は危うく脆い何かを孕んでないと、人間としての魅力は半減する。特に、サスペンスやミステリーものはそうである。好きな俳優さんだっただけに、少し残念だ。
とにかく登場人物が多すぎて、撒きすぎた伏線(フラグ)を纏めたくても纏まらない。多分(KPOPアイドルと同じで)、消化不良のまま終わるのだろうか。
それでも少しは、サスペンスやミステリーの王道を行く様な、気概くらいは魅せて欲しいもんだ。
でないと、キャストやスタッフが可哀想すぎるし、応援してきた私も辛い。
最後に〜真犯人はこいつだ
「あな番」同様に「真犯人」も伏線で膨らましただけの凡作で終わろうとしている。
最初は、(視聴者のコメントや反響を参考にして)展開を調整しながら、更新してくのかと思いきや、「複雑にしたらアカン」で指摘した様に、私が最も危惧した方向に突入してしまった感がある。
もうこうなったら、最後の最後で秋元康を登場させ、彼を「真犯人フラグ」を凡作に仕立て上げた犯人にすればいい。
フラグとは、特定の展開・状況を引き出す事柄を指す専門用語で”伏線”と同義だが、比較的単純で定型化された”お決まりのパターン”の含意がある。
結局、秋元自らが仕掛けた策(フラグ)に秋元自身が溺れ、”どっかで見た”様なお決まりの展開に陥る。
そう考えると、このドラマの真犯人は秋元以外には考えられない。
そう思うのは私だけだろうか(多分)。
一方で、19話の最後のシーンは、そのままエンディングにしてもいい程の素晴らしい出来だった。
人生と数学には答えがない様に、推理ドラマも犯人はできるだけ確定しない方がいい。つまり、答えがないから(いや終わりがないから)ミステリーとも言える。
答え(結末)を無理矢理に求めようとすれば、(純粋数学の如く難題という迷路に迷い込み)バラバラに破綻したフラグを拾い集め、再利用したかの様で、キャストら必死の演技も空回りする(多分)。
複雑にバラ撒きすぎたフラグを回収するどころか、1話から丁重に練り上げられた筈のシナリオが、突然音をも立てずに崩落する。
残り1回でこのドラマは終わるが、(秋元康が犯人なら別だが^^)犯人を特定せず、微妙な含みを持たせつつ幕を閉じるのも(「あな番」と同じになるかもだが)アリかなとも思う。
しかし正直、途中打ち切りも?とも思った。
アメリカでは、傑作ドラマが(ある都合により)途中で打ち切られるケースはよくある事だ。秋元中心のスタッフを総入れ替えし、企画や脚本を練り直し、再編する事も不可能ではない(と思う)。コンセプトは非常に良かっただけに、勿体ない気がする。
プーチンのウクライナ侵攻ではないが、
”これじゃダメだ”
と決心する勇気も、時には必要である。
でないと、ダメなものはもっとダメになり、キャストもスタッフも大きな犠牲を払う。
追記
最後に、私が考えた最終回の最後のシナリオです。
犯人はとうとう見つからず、阿久津刑事と部下の落合は、ベンチに腰を下ろし、深いため息をつく。
”結局、何も解決できませんでしたね”
”ああ、ここまで複雑に拗れちゃうと全ては迷宮入りよ”
”これも現実なんですかね”
”いや、現実はもっと奇怪なもんさ”
”これがドラマだったら、最後の最後で真犯人が現れ、全てのフラグが回収され、万々歳ってとこだけど”
”いや、これも悪くないさね”
”どういう事です?”
”真犯人てのは、捕まらないから真犯人なのよ”
”真相を探るのは難しいって事ですか?”
”真実は何とか暴けるけど、真相は隠されたら暴けない”
”真犯人を囲ってる奴がいる?”
”いや、判ってて逮捕できないんだ”
”二・二六事件と同じ?”
”まあ、そんなもんかな”
現実は(小説の様に)人為的な奇怪さも無機質な複雑さもない。しかし、無限にランダムに錯綜する現実は(ドラマ以上に)濃密で贅沢でもある。
ここんとこずっとウクライナでブルーになってますから
最後だけはシンプルにスカッといきたいもんです。
それと、メジャーは開幕延期になりましたね。
今回は選手会が引くしか解決策はないように思えますが。
転んだサンはどうお考えですか
ミスリードのための「思わせぶり」もやり過ぎ。
「後出し情報」が多いので、視聴者が犯人を確定するのはほとんど無理=つまり犯人当てミステリーとしてはアンフェア。
緻密に構成されたミステリー作品と比べると、雑な作品ですよね。
とは言え、おっしゃるとおり、これを不可解な現実を描いた作品ととらえると違って見えてきますよね。
つまり「現実は不可解。さまざまな人物の思いが錯綜し、偶然も絡み合って、破綻なくすべてを説明するのは無理」
このことを描いた作品だとすると、評価があがる気がします。
たとえば「ゾディアック」のような。
現実は、ドラマの様には終わらないんですよ。
でも今は、どんなサスペンスやミステリーなどの娯楽も心底は楽しめないですよね。
でも、19話のエンディングはとても良かっただけに
言われる通り、最後だけは期待したいです。
MLBの労使交渉の件ですが
お金の問題でここまで拗れると、お互いに引かないだろうから・・・
選手会は、ボーナスプールを97億から92億に引き下げただけで、オーナー側の34億と開きは大きい。それに最低年俸と総年俸額は譲歩しない。
客離れも深刻だし、コロナ渦やインフレなどでオーナー側の懐も苦しいだろうし・・・
見通しはずっと暗いですね。
これこそが模範解答ですね。
流石だと思います。
言われる通り、”後出し”でフラグを拾ったが為に、バラバラに散りました。
しかし、”不可解な現実”を描いたドラマと見れば、これはこれで傑作にもなりうるかもです。
特に、(何度も言いますが)19話の最後がとても良かっただけに、何とか上手く繋いでほしいです。
何でもそうですが、終わりよければ何とかなるんですよね。
アッパレのコメント、とても勉強になります。
年末で終わると思っていたドラマが年明けからも続いていました(^_^;)
構成というんですかね?幼稚過ぎますよね。
“お前誰やねん…”というようなのが突然出て来すぎ。
味の協調性のない混ぜご飯のようです。犯人なんてもうどうでもよくなりました(というか年明けから初めて見る人のことなんて全く考えていないドラマですよね笑)
面白いなぁと思うのは、毎回TVの画面に殆んど出てこない宮沢りえが主役になってしまっていることですかね(笑)
主役なのに仕事が少くていいですよね(笑)
冒頭のナレーションも阿久津刑事で(笑)
なんで??…って感じ。
少し控えめに書いたんですが、秋元康はアカンですね。
AKBやKPOPと同様に、人数集めれば何とかなると勘違いしてる。幼稚な観念しか持ち得ないデブ爺。
言われる通り、”アンタ誰?”ってのが多すぎますね。こんな状況で犯人が判っても、それは推理でもミステリーでもなく、単なる駄作。
正直、年末で打ち切りにしてもよかった。でも19話まで来たので、最後だけは見ようと思います(多分)。
これがアメリカだったら、3、4話で打ち切りだったでしょうね。
無難といえば無難
でもそれはないだろって声も聞こえてきそう。
結局バラバラにまかれラフラグは何の意味もなかったのかな。それに最終回でまとめて拾われてもね・・・
凌介の妻である真帆が死んでたことだけが意外でサスペンス。
いくら憧れの女といっても、既に峠を過ぎたオバさんを殺したいほどまでに好きであり続けるのでしょうか。どうも変・・・
転んださん!どう思われます?
うっかり寝過ごしてました。
いつものパターンです(悲)。
慌ててサイトをググたんですが、真犯人は編集長だったんですね。
「週刊追求」というタイトルがとても気に入ってたので、それに河村(田中哲司)さんも好きな俳優なので、少し複雑です。
真帆(宮沢りえ)は殺されてたんですね。
ミステリーと言えばたったそれだけ・・・
結果論ですが、無駄に散りばめられたフラグを拾う為には、河村を犯人にするしか他に方法がなかったんでしょうか。
村上春樹の長編を読んだ後みたいで、”そんなんありかな”って気にもなりますが、見てないので何とも言えないですね。
答えになってなくてスミマセン。