歴史書や戦争ものは、生理的にあまり受け付けませんが。村上春樹の「辺境・近境」を読んでたら、急に”ノモンハン事件”を知りたくなった。村上氏は歴史物やドキュメントになると、目のつけ所が実にいいですね。
”はじめて翻訳紹介される1939年ノモンハン事件のシーシキン(大佐)文書。モンゴルと満州国の両境紛争が、なぜ日本関東軍とソ連赤軍の双方2万の死傷者を出す、4カ月の本格的戦争に至ったのか。ロシア人作家シーモノフによる従軍記を加え、謎の戦争の真実を明らかにする”
訳者である田中克彦氏のこの解説に、妙な親近感を感じた。
この「ノモンハンの戦い」(岩波現代文庫)ですが。日本以上に、ソビエト側はこの隠蔽された”戦争”をどう感じ、どう捉えたのか。そして、どの様なポジションで、どんな重さに感じたか。
隠蔽された”ハルハ河の戦い”
殆どの日本の知識人には、この”ノモンハン事件”を日ソ間の偶発的国境紛争と捉え、日本陸軍がソ連の重戦車隊に蹂躙されたという程度の認識しかなかった。
天皇の許可なく、関東軍が非公式に行った事から、”事件”と呼び、隠蔽したとされる。しかし、4ヶ月で双方4万4千を超える戦死傷者を出した、第二次大戦の縮図と運命を決定づけた悲惨な戦争と言える。
それ以上に、この戦争の結果如何では、日中戦争も南下政策も太平洋戦争も、そして原爆投下も無条件降伏も避けられたのではないかと思うと、日本は勿論ソ連にとっても、非常に大きな意味を持つ戦争だった。
そう思いながら、この戦争を振り返ると、とても複雑な感傷に浸りますね。
因みに、戦死傷者の数は日ソ双方で結構な食い違いがあるが。ソ連崩壊後、様々な資料から推測すると、日本17364人(戦死者7696人)、ソ連26645人(戦死者9703人)。つまり、死傷者数だけで言えば、日本が勝ってもおかしくない戦争でした。
この頃の大日本帝国は、事変とか事件とかいう小規模な小競合をむやみに引き起こしてたから、隠蔽された謎の紛争とはいっても、誤解も嫌味もなく読み進めた。
お陰で、我が隠れた戦闘魂に火が付いたかの如く、感傷に浸りながらも、一気に読み干せた。
勿論、"二個師団がむざむざ絶滅の包囲の中に投げ込まれ"、2万人近い犠牲者が出た事は忍ぶに耐えない事で、上層部の無能さには憤りすら覚えてしまう。
これには日本人でなくとも、敵国のソ連でも呆れる程の愚かさに映ったろう。しかし、それらを含めて戦争なのだ。戦争とは所詮、無能さと愚かさの集合体に過ぎない。
日ソの捕虜の扱いの違い
ま、それは差し置いて、ソ連の作家シーモノフの回想にあるように、日本とソ連では、まず第一に、”捕虜に対する扱い”が全く異なった。
この紳士協定は、”民間人を戦争に巻き込まない”と同様に、非常に重要な約束事だと思う。
戦争が国家同士の戦いで終わるのか、単なる大量無差別殺戮に成り下がるのか。この2つが守られるかに掛かってると思う。
第二次世界大戦では、日本は敵味方関係なく、負傷者には粗雑に扱った。まるで"将軍様に見せる顔がない的な国家の恥"みたいに自軍の兵士を見下した。
この封建的弱い者イジメの傾向は、今でもしっかりと引き継がれてはいるが。何とも悲しい事か。
それに対し、ソ連側は”捕虜に対しては完全に整えて引き渡す"という、紳士的な規則が当然の如く守られていた。あの”鉄のカーテンの国”ソビエトがである。
ソ連軍は、敵味方関係なく負傷兵には"国家の英雄"的な扱いを施した。傷口を消毒・治療し、清潔な下着をつけさせ、新品の軍服(ソ連製)着せた。更にソ連のバッジを外し、日の丸の紋章を縫い付けた。その上、新品の外套を用意した。
勿論、ソ連の負傷兵や捕虜に対しては、手早く食事やチョコレート、牛乳等を与えた。
一方で日本側は、ソ連の負傷兵に対し、かなり粗雑に扱った。負傷した傷口は放ったらかしにし、酷く化膿させた。軍服も下着も汚くなった物をそのまま着せた。まるで、死体を扱うかの如く・・
自軍の負傷兵に対しても、それ以上に粗末に扱った。手足を縛り付け、目を覆い隠し、死体を放り投げる様に、トラックに詰め込んだ。
このあまりに酷い扱いに、ソ連の将校が叫んだ。”彼らは国家の英雄じゃないか。何故そんな酷い扱いをするんだ”
これに対し日本の将校は答えた。”彼らは英雄なんかじゃない、捕虜という名の国家の恥。これじゃ天皇に顔向け出来ません。だから目を覆うんです”と。
この事実には、持てる国と持たざる国の違いを差し引いても、日本人である事に耐え難い屈辱を感じてしまった。いや、それ以上に呆れてしまった。
自虐的ナショナリズム
日本軍の捕虜や負傷兵に対する扱いの酷さは、ある程度は知ってはいたが。ここまで酷いとは。それに対し、ソ連の医療レヴェルの高さは知ってはいたが、これ程充実してたとは。
結局、これこそが皇軍の崇高さと誇りを持つ筈の大日本帝国軍の真の哀れな姿だったのか。
原爆投下や無差別爆撃で犠牲になった民間人も悲しいが。国の為に戦い、傷付いた兵士も哀れだ。
負傷者に対しては封建的な扱いを、戦死者に対しては崇高な扱いを見せる日本人の、自虐的ナショナリズムの何と愚かな事か、そして如何に醜く残酷な事か。
"日ソ間の突発的国境紛争と捉え、日本陸軍がソ連の戦車隊に蹂躙された"という程度の認識しかなかったノモンハン事件。
当然の如く、ソ連側の視点から見つめられてはいるが。冷静に日本という国と日本人とを分析してはいる。
ノモンハンの全て
"人間は殺戮機械を演じ通す事はできず、必ずや何処かで飽和点や限界に達するのだ。ソ連も停戦を急ぐ客観的理由があった。彼らも殺戮と屍体を増やす事に嫌気が刺してたのだ。そう、ノモンハンは終るべくして終わった戦争だったのだ"
そうこの言葉が、ノモンハンの全てを物語っている。
実際に戦況がどうだったとか、犠牲者の正確な数はとか、モンゴルも満州も、所詮は傀儡国家だとかの言い訳は、この本の主題ではない。
双方含めて4万人もの犠牲者を出す必要があったのか。ソ連側が言うように、関東軍は7月作戦の大失敗の時に停戦を申込むべきじゃなかったか。
日本陸軍の上層部に冷静な判断があれば、この無駄な犠牲は避けられた筈だ。ソ連側が関東軍の指導部をアホ呼ばわりするのも当然だろう。
ハルハ河の水光るこの美しい草原に、この戦争は似合う筈もない。日ソ双方で犠牲になられた戦没者に、深くご冥福をお祈りいたします。
世界一の精鋭部隊”関東軍”
最後に、戦争で亡くなられた関東軍兵士の名誉を称える為、その優秀さを物語るトリビアを一つ。
関東軍は当初、ソ連軍の装甲車や戦車を破壊する為、小型の砲兵隊で挑んだが、射程は短く威力も精度も乏しく、ソ連の正確無比な長距離砲に呆気なく撃沈された。そこで、戦車の下に潜り込み、火炎瓶を燃料タンクに投げ、自らも自爆した。しかし兵士の損耗も激しく、すぐに中止された。
関東軍兵士は考えた。戦車のキャタピラを小型軽量&静音のチェコ銃で狙った。キャタピラを破壊するんではなく、外しさえすれば、キャタピラを元に戻すのに最低でも数時間は掛かる。その間に総攻撃を仕掛けるのだ。
事実、この攻撃で想定外の多数のソ連兵士が死んだ。一方で、戦車などの重兵器が、殆ど損耗を受けなかったのはこの為である。関東軍のこの見事な戦法を学んだジューコフ将軍は、スターリングラードでこの教訓を活かし、西部戦線での勝利に結びつけた。
私の田舎には関東軍が多いので、こうした話をよく聞いた。キャタピラを外され、戦車の中に閉じ込められたソ連軍兵士は、関東軍が来る前に逃げ去ったという。”関東軍が来るとソ連軍も中国軍も逃げ回った”という逸話は、ここから来てるのだ。
スターリンは、このソ連兵士のあまりの逃げ腰に痺れを切らし、戦車に兵士を閉じ込め、南京鍵を掛けた。”関東軍を見習え、彼等は死ぬまで戦い続ける。それが真の戦士というものだ”と、関東軍を褒め称えた。
ノモンハンだけが全てではないでしょうが。とても重要なターニングポイントとなる戦いでしたね。ソ連と蒙古の国境では、何十回も日ソ間で小競り合いが起きてましたから。
でも、全ては終わったことですかね。嗚呼、夢の国の満州国、訪れてみたかったなあ。
日本が大平洋戦争に至ったのは、満州事変での関東軍の暴走かと思ってましたが。このノモンハンの敗北こそが、南下政策に繋がり、大平洋戦争へと突き進んでいくんですね。
でもどう考えても、ソ連を日独で両側から挟み撃ちにした方が、大義名分も立つし、ずっと効率がよかったのではと思います。
転んださんの無念がここまで伝わって来そうです。
元々、関東軍の満州での暴走も日本政府の全くの策のなさが引き起こしたんですよね。
何だかやりきれないですね。
知って後悔する事もあるし、知る事が全てではないんですが。捕虜に対する扱いの実態は、流石に知りたくはなかったです。
旧ソ連は”悪の帝国”であって欲しかったし、大日本帝国は”皇軍”であって欲しかった。
ソ連はノモンハンで日本を知り尽くし、日本は世界を知らな過ぎた。その結果が無条件降伏でしょうか。
でも、日中戦争や南下政策やビルマ戦線に比べれば、ノモンハンは意義のある戦争だったかと思います。
片足を失った重役さんは、元関東軍兵士だったんですかね。将校以上だったら、シベリア抑留でキャリアの殆どは潰されてたでしょうから。
でも、知れば知るで色んな事考えます。知らぬが仏ですかね。
満州国は天国みたいだったらしいです。東京から来た令嬢が、敗戦後も離れたくないと嘆いてたそうです。
やっぱり、戦争は負けちゃ駄目ですかね。引き分けにでも持ち込んでたら、福岡県人の半分位は満州国に移住したでしょうか。でもないか。
この記事凄いです。転んださんのベストオブベストかなも。
ノモンハンの事は教科書で耳にした程ですが。日本の運命を大きく分けた戦争だったんですね。
日ソの捕虜の扱いに関しては、グッと来るものがあります。もうこの時点で敗けですよ。でも関東軍も敗けちゃいない、実に凄いです。まるでグリーンベレーの模範みたいな存在だったんでしょうか。
そう言えば、転んださんは福岡でしたね。関東軍は福岡に多かったんですか。日本がノモンハンで勝利してたら、今頃は満州国でヌクヌクですかね。