毎年この季節になると、江川卓や原辰徳選手を思い出す。”タツノリ”でピンときたが、”タツノ”?という日系の選手が、確かいた筈だ。
そこで、タツノという日系人投手の事を調べた。全盛期の江川の超えたかもしれない?左腕投手だ。事実、タツノ投手は”江川の価値を落とした”唯一の投手と称される。
広島出身の祖父を持つ日系3世のデレク•タツノ(1958〜)は僅か大学2年で、全米最高の左腕と評価された。当然、メジャー入り確実とされてたが、突然”日本でやってみたい”と発言し、日本のスカウト陣は驚愕した。この裏には勿論、契約金という大金が絡んでいた。
日系3世デレク•タツノの真相と
”文句ナシの即戦力、今すぐでも15勝は堅い。ヒザ元に食い込む速球は、日本の打者では手が出ない。江川に1億円と言ってるのがバカバカしい”と、絶賛の嵐だった。
結局、タツノ投手は日本のプリンスホテルを経由し、ドラ1で指名したブルワーズと契約した。メジャーが事前に提示してた契約額を上回る金額を西武側が提示し、プリンスホテルに籍を置いてたタツノだったが。
彼が最終的に選んだのは西武ライオンズではなく、やはりメジャーだった。
ただ、西武側が出した契約金は、税金が発生しない様に分割して支払った為、すぐには退社出来ず、タツノのメジャー入りは2年ほど遅れた。
これがタツノの野球人生を狂わせた間接的な原因になったのは言うまでもない。何でもそうだが、やり過ぎは失敗の元だ。策に溺れず、すんなりとメジャーに入ってたら、彼の人生も大きく変わってたろうか。
事実、メジャー入り後の彼は、自慢の速球も制球難が元でメジャーに上がる事なく僅か2年でクビになる。
大学時代、パドレス、ホワイトソックス、ブルワーズとメジャー3球団の指名を受けながら、西武が提示した契約金とを天秤にかけた。そのまますんなりパドレスに入ってたら、と思うと残念でならない。ここにても江川の負の宿命とダブる所があるのは偶然か?因みに、江川はタツノの3つ上だ。
江川とタツノとの違い
制球難でピンときたが。タツノだけでなく、大半の剛球派の投手はノーコンだ。しかし、”昭和の怪物”江川はコントロールが良かった記憶がある。
事実、江川自身、速球の速さよりも元々制球に自信があった事を、自身への対談で述べてる。以下、「江川卓はドジャースから誘われていた?」(AERAdot.)を参考です。
静岡県で生まれた江川少年は、石を投げる事が好きで、小5の頃には100mを投げてたという。”家に帰るまで暇だったから、下校途中に、毎日4、50個は投げてた”と。
ウソみたいなホントの話だが、この時点で”怪物江川”の原型は出来上がってたのだ。
その江川も”私みたいな(制球がよく速い)球を投げたければ、まずは石投げから始めないと”と語る。”スピンを効かせ、風にのせる感じ”だと。
その江川も元々野球少年ではなく、ソフトボールの選手だった。それも最初のポジションはレフトだった。しかし、小1ですぐにエースとなった。球が速かった訳でもないが、誰も打てなかったという。
中学の時に静岡から栃木へ転校し、そのチームでいきなりエースとなり、県大会で優勝した。
しかし、江川は”争い”がイヤだった。先輩を出し抜いて、エースに君臨するのがイヤだった。何時も申し訳ないという気持で投げていたという。つまり怪物江川は、真面目で勉強が良く出来た、欲のない青年だったのだ。
ここら辺はタツノとは全く正反対ですかね。目の前の大金に目が眩み、野球人生を履き違えた?タツノは、自身の制球難にもその傾向が強く現れてますかな。
怪物江川のもう一つ真実
江川はプロ入りが夢ではなく早慶戦に出るのが夢だった。栃木県随一の進学校•小山高校に行く予定だったが、運命の悪戯か、紆余曲折もあり、作新学園に決まった。
元々コントロールは良かったから、球は面白い様に速くなっていった。
勿論、1年でエースの江川は甲子園を目指すも、進学を諦めきれず、大学受験クラスに籍をおいた。スポーツ選手でこのクラスは、江川が初めてだった。
高校時代の公式戦44試合で30試合完投。その内、9試合が無安打ピッチング。無安打以外の試合も、その殆どが1安打か2安打のみ。
因みに、甲子園での通算成績は6戦4勝2敗、59回1/3で奪三振92(1試合15.3)、防御率0.46。まさに怪物ですな。
160kmを超えホップする豪速球と、縦に大きく割れるカーブはプロでも打てないとされた。
”(高校の時)相手は打てないから、よくバントをしようとしてきた。でも(よくて)ファウルにしかならない。私のカーブは落差が凄いから、打者はバットを縦にして構えてた”
ウソみたいだが本当の話である。
既に慶応進学を表明していた江川は、阪急の1位指名を断った。阪急サイドは門前払いされたと言ったが、それは全くのウソである。巨人が指名したとしても進学を選択したとは、本当である。
しかし慶応は江川を受け入れなかった。試験の点数は足りてたとは事実だが、真相は江川だけが知っている。実際に、合格確定の電話も貰ってはいた。
江川に嫉妬した奴が横槍を入れたと俺は今でも思っている。
私のもう一つの真実
これに関しては私も、江川と全く同じ様な経験をしてる。某教育大学に受験し、点数は足りてたのに落とされた。事実、45人の定員だが、丁度30人の所でカットされてたのだ。
昔のお袋の知り合いという爺が、”合否を確認してやるから受験番号を教えてくれ”と言ってきた。勿論、最初は断ったが、”教育委員会に知り合いがいる”という事でうっかり教えてしまった。
今から思うとアホ臭い程に怪しいのだが、私にとっては滑り止め程度の大学だったから、合格の確信は既にあった。遠くまで出掛け、合格発表を見る事もないと、私はタカを括ってたのだ。
余計な事をしたもんだと後悔した。事実、あのバカ親父が騒ぎを大きくしたお陰で、私の合格は闇に消えた。あの時”何もしなかったら”普通の人生が送れたのに、今でも口惜しい。
それにもう一つ。実は、私も慶応大学には縁があるのだ。高校2年の時、慶応大学の数学科の推薦枠が1つだけ舞い込んできた。数学と英語と物理は得意だったので、受験しても合格する自信はあったが、勉強に疲れてた頃だったから、迷いもなく推薦枠に真っ先に申し込んだ。
早いモン勝ちという事で、殆ど私に決まってたのだ。
しかし、これにも横ヤリが入り、推薦枠をまんまと奪われた。担任からは何の説明もなかった。30年以上後の同窓会で推薦枠を奪い取った奥さんが私に謝罪してきた。
”先生と旦那が私に顔を向け、堂々と謝罪するのが筋だろう”(怒)
江川は80歳になったら本当の事を話すと語ってる、私と同様に横ヤリが入ったのは明らかだ。経験者の私が言うんだから間違いない。
空白の一日とメジャーからの誘いと
江川と言えば、”昭和の怪物”以上に”空白の一日”の方が有名だ。
大学卒業時のドラフトで江川を指名したのは、何と私の地元福岡の超貧乏球団クラウンライターだった。往年の西鉄時代の面影は全く消え失せ、今や閑古鳥が鳴く、万年最下位で身売り寸前のオンボロ球団だった。
この時点で、江川の大学(法政)での4年間は、水の泡と消えた。事実、江川の野球人生はこの時点から狂い始める。
江川が拒絶するのも無理はなかった。クラウンは全く余計な事をした。読売巨人に指名権を与え、大金をガッポリ貰ってたらそれで済んでいた。追い詰められた人間は、天に運命を任せ、”何もしない”事が一番なのだ。
それでも心優しい江川は、”父の仕事の関係上、福岡へ行く訳には行かない”と丁重に言い訳をした。
仕方なく江川は、1年間アメリカへ留学した。実はその時、メジャーから誘いがあったのだ。それも名門ドジャース。
しかし、大学時代に”右肩を骨折”してた江川が、メジャーで冒険する事はなかった。
しかし、これが日本列島を震撼させた、あの”空白の一日”に繋がるとは、江川本人も予想だにしなかったろう。
この瞬間、昭和の怪物は”昭和の悪者”として日本中の晒し者になる。
そこで読売は、チームのエースである小林をエサにし、強引に江川を阪神から奪い去ったのだ。”争い”を好まない江川にしては、人生で最悪で最大の屈辱だったろう。
事実江川には、”金銭で巨人に移籍するから心配はいらない”と球団からは打電されいた。しかし蓋を開けると、江川と小林の1対1のトレードだったのだ。
小林は江川を見下し、”クン付け”で子供呼ばわりした。小林には大金が読売から振り込まれてたにも拘らずだ。以降、小林の人生は決まったかの様に狂ってしまう。
江川は不運な星の元に生まれたのか?それとも周囲が余計な事をし過ぎたのか?それとも江川自身がやらなくてもいい事をしたのか?
最後に
その江川も、二刀流の大谷に関しては、彼の人生観と同様にシビアな意見を持つ。
”彼は打者主体の二刀流だと見てます。投手はやはりキツい。このままだと確実に壊れる”
私も全くの同意見だ。大谷の二刀流は全くの余計な産物だと思う。打つ方に専念とはいっても、打者で成功する保証は何処にもない。それに、ポジションもDHのままという訳にはいかない。しかし、肘をヤッてるから1塁以外は務まりそうにもない。
”空白の一日”程でもないが、ベンチでニヤける程に大谷には余裕はない筈だ。
最初に二刀流ではなく、どちらかに絞ってれば、大谷のメジャーでの滑り出しは、もっとスムーズになってた筈。
事実、メジャー入り後の大谷は最初こそ華やかだったが、2年目意向は怪我に悩まされ続けている。
江川も私もそうだが、人生に1度でも躓くと、なかなか挽回できるもんじゃない。若いから才能があるからとか、甘いもんでもない。若さも才能も、所詮は消耗品なのだ。
”子どもの時に石を投げてた割には、現役時代(9年間)は短かったね?”(高木)
”お金にならないアマチュア時代に精一杯頑張りましたから。この対談みたいに、お金にならない仕事をまじめにやるタイプなんです”(江川)
江川は元々こういう人なのである。江川を知る度に私は江川を好きになる。
江川は現役を辞めてから、解説以外は何もやらない。余計な事は何もやらないと心に決めてるようでもある。
そういう私は、”何もやらない”人が余計な事をしない人が大好きだ。
高校時代なら、圧倒的に江川だけど、大学時代ならタツノかな。でもタツノは惜しかったな。日本での2年間で太ってしまったんだろうね。
でも江川もタツノも、基本的には真面目なごく普通の青年だった様に思う。やはり才能は磨かないと光らないのかな。
でも残念だったね^^;
才能ある人は嫉妬されやすいから
それにしても江川サンってイケメンよね。
こんなエエ男が160キロ投げてたんだ(^^♪
大谷よりもこっちがタイプかな。
才能があり過ぎて叩かれるのは解るんですが、才能がない奴の足を引っ張ってもネ。今思っても何だか釈然としません。
江川に関しては私のお袋が大ファンでした。首筋がイイと訳わからんこと言ってましたね(笑)。
日米野球でもメジャーは全盛期のホップする球は打てませんでした。
”何故打てないんだ”
”球が浮き上がるんです”
”そんな馬鹿な”
こんな会話がベンチ内で交されてたそうで
す(笑)。
大学時代に肩を骨折してなかったら、メジャー入りでしたでしょうか。
ただそんな江川の卓越した才能より、彼の平凡で真面目な性格が好きですね。正直過ぎるから簡単にトラブルに巻き込まれし、誤解も多いし、世渡りも下手です(笑)。
ある意味、不器用で孤高の唯一無二のレジスタントかもですね。
ただ、江川も高校時代に肩を酷使し過ぎたんですかね。才能は無限ではなく、勿体無いことです。
その強い想いがコチラまで伝わってきました。
卓越した才能が無に終わる時、何もやらない仕出かさない事の本質を理解するのでしょうか。
でも福岡のクラウンがすんなり引き下がってれば、どうなったんでしょうか。やはり空白の一日で大騒ぎするんでしょうか。
何だか色々と考えますね。