恥ずかしながら、日本人でありながら、靖国神社の真相を殆ど知らなかった。単に、17人の”A級戦犯”(7人が死刑、4人が終身刑)が合祀されてるから世界が反発してる。
そんな程度の認識しかなかった。以下、何とか丸く纏めたつもりですが、素人裸足ぽくて少し無理がありますが、ご勘弁をです。
靖国神社って?
”靖国”の起源と歴史ですが、戊辰戦争(1868-1869)の戦没者3,588柱を合祀鎮祭し、東京九段上に東京招魂社として創建。後に靖國神社に改称され、陸海軍が統括し、”国家に殉じた人々を祀る施設”に大きく変貌した。戦後、日本国政府の管理を離れ、宗教法人となる。意外に歴史は古いんですね。
一方に、耳にタコが出来るほど聞かされる”A級戦犯”ですが。
東京裁判でA級戦犯が問われた”平和に対する罪=戦争を指導した罪”は、当時これを犯罪とする”国際法”は存在せず、連合国が新たに加えた罪で、これは”国際法に違反する<事後法>である”とパール博士は主張した。
つまり、靖国に祀られた”A級戦犯”者が無罪というのではなく、”A級戦犯を<戦争を指導した罪>として裁く事自体が違法”だと主張したんです。
このラダ•ビノード•パール博士に関しては「パール博士の日本無罪論」も宜しくです。
この時期になると、決まって靖国神社に関する問題が浮上する。色んなサイトや本を調べたんですが、ややこしすぎて頓挫仕掛けた所、以下の様な本を見つけた。
以下、「靖国―知られざる占領下の攻防」(NHK出版 中村直文著)を、レビュー群を参考に一部を紹介です。
”軍の施設•靖国神社が、宗教法人として存続した謎に迫る”とのサブタイトルは、靖国問題の真相を見事に露見してると思う。
そもそも靖国は宗教なのか?
①靖国神社から、どうやって軍国主義と超国家主義を除くのか?
②そもそも靖国は宗教なのか?
③宗教であれば、米国が絶対に譲れない”信教の自由との整合”をどう図るのか?
④”国家神道”の視点で見た靖国神社とは?
この4つの疑問こそが、”歴史認識の違い”として簡単に片づけられないややこしい問題となり、今もなお悩ませ続けている。
終戦のかなり前から、米国の占領政策の大きな課題として、靖国神社問題が取り組まれていた。
しかも、軍国主義と超国家主義を除く為、戦後の靖国神社は陸海軍省、つまり国家の管轄から切り離された状態でである。その上、宗教法人となったから、余計に問題は複雑である。
一方で、戦死した200万人の軍人軍属を靖国神社に新たに祀らなければならない筈だが、名簿は未だできてはいない。
事実、GHQは日本の”国家神道の解体”を目的とする「神道指令」を出した。靖国神社は、国家主義や軍国主義を鼓吹する為であり、宗教ではなく愛国主義の表現形態であるから、”靖国を排除しても信教の自由には抵触しない”と。
これに対し、カトリック教会のビッテル神父は、”いかなる国家においても、国家の為に死んだ人々に対し、敬意を払う義務と権利がある”と強硬に反対した。
そもそも靖国神社•権宮司(総括補佐)は、靖国神社を”靖国廟宮”にする案を持ち、GHQもほぼ同意していた。つまり靖国神社側も、遺族を中心とする慰霊施設としての”廟宮”へと、その性質を変える事で何とか存続しようとしていた。
しかし、日本政府は”靖国神社”に拘った。靖国神社参拝で必ず蒸し返される”A級戦犯”を宮司(総括者)はなぜ合祀したのだろうか?
いずれにしても軍国主義•超国家主義と信教の自由の対立である。まさに”WarShrine”か?”Shrine”か?いや軍の施設?か宗教か?の様相でもある。
当時せめぎ合ったこの見解の相違は今も続いている。
結局この本が教えてくれたのは、8月15日の終戦記念日、全国戦没者追悼式が靖国神社ではなく、日本武道館で行われてるのは、GHQの意向であったという事である。
信仰の自由を逆手に取った致命的矛盾
靖国神社の戦後改革について、靖国「支持派」は、”GHQが日本の文化や歴史に無理解な無理な改革を押しつけた”と反発。
一方、靖国訴訟を起こす「進歩派」は、”政教分離という人類の理想に沿ったものだから、その改革を守らねば”と主張した。
戦後、GHQが日本に持ち込んだ”政教分離”と”信教の自由”とは?
前述した「神道指令」で打ち出された政教分離の原則により、靖国神社は神道的立場を保持する限りは、国家的性格を主張出来なくなった。
しかし、当時の(A級戦犯逃れの)靖国保護派が採った路線は、何とこの失われた失地の上に”信教の自由”を逆手に取り、この錦旗を強引に立てたのだ。
皮肉にも、この”信教の自由”という壁に直面したGHQは、改革の矛盾と詰めの甘さを思い知り、靖国神社問題に対処した。
占領終了後は、靖国神社法案の上提と廃案、A級戦犯合祀と外国からの非難、公式参拝運動とその挫折など、靖国神社は戦後社会の中で常に物議を醸す大きな”矛盾的存在”として生き延びてゆく。
それは結局、”天皇の宗教である神道が、日本人なら誰もが従うべき国家の儀礼であり、従わぬ者は非国民である”といった「信教の自由」と矛盾する思想だ。
しかし、この矛盾する思想を無傷で温存する手段として、”信教の自由”を利用したとするなら、靖国神社の戦後改革自体が(元々孕んでいた)大いなる矛盾の顕在化に過ぎない。
その必然的帰結として、”なんちゃって”ナショナリズムの威勢のいい主張ばかりが蔓延る大きな原因が、占領下の靖国神社の歴史についての正しい認識が国民に共有されていない事にあるのだろう。
事実、昭和天皇はA級戦犯合祀に触れ、非常に不快に感じていた。その昭和天皇が戦後、”国民さえ許せば退位したい”と語ったのは本音だったろう。
最後に〜A級戦犯逃れの温床
書いてて、解った様な解らん様なですが、そもそもアメリカが押し付けた曖昧な”政教分離”に無理がある。事実、”信仰の自由”アメリカでは、特定の宗教が政治に関わっても、政教分離違反にはならない。
神道と宗教と信仰の自由と政教分離と、それ以外にも色んな政治的•国家的な要素が絡み合いすぎて、国家の為に犠牲になった230万の軍人と軍属へ敬意と弔いが、完全に後回しになっている。
勿論、”政治的な立場とかは別にし、靖国を<静かに鎮魂と平和を祈念する場>としては”という言葉も理解できなくはないが、所詮綺麗事ではある。
つまり、(GHQと政治取引をするという)卑怯なやり方でA級戦犯を逃れた子孫が日本政府の大きな地盤になってる間は、靖国参拝は正当化され続ける。
前述した様に、かつては靖国神社側も遺族を中心とする慰霊施設としての”靖国廟宮”を考えたし、GHQも賛成だった。つまりこの時点で、国家の為に犠牲になった230万の軍人•軍属の名簿を早急に作る必要があった。
しかし、(A級戦犯逃れを基盤とする)日本政府の横やりが入り、迷宮入りしたと見るべきだろう。
今からでも遅くはない。”靖国廟宮”の創設を提案したいが、いかがなものだろうか?護国神社があるからなって声も聞こえそうだが。
追記〜靖国は象徴ではない
少し抽象的になったので、kouunhさんから寄せられたコメントをそのまま紹介します。
靖国は天皇制と不可分であり、故に近隣諸国からデリケートな反応を招く事となってしまう。
皇軍の殉死による御霊を合祀し、それを公式参拝すれば、戦争責任問題や憲法89条の政教分離などに抵触する云々の違憲問題に止まらない。靖国に詣でて玉ぐし料を私費であれ公費であれ支払い合掌する事は、天皇制護持を強く稀求する事であり、そうした国体を支持するかどうかの踏み絵でもある。
靖国に祀られた戦死者に負い目を感じている生き残り元軍人・軍属なら、より以上に複雑な心境で昨日を迎えたであろう。
或いは、戦争責任を問われ乍らも逃げ果せた岸信介の孫ならば、モリカケを誤魔化したのとは訳が違うレベルの負い目を抱き、靖国を上目遣いで覗き見している事だろう。
日本の近代的軍隊の生みの親でもある大村益次郎(村田蔵六)が参道で見下ろし出迎えているのが、何とも言えずこの靖国を象徴たらしめている。
欧米キリスト教徒達が自分達の無責任な帝国主義植民地侵略戦での殺戮を贖罪させるべく、イエスを神棚に祀り上げて安穏と生き永らえようとする営為が、日本では靖国を頂点として各護国神社に分祀された戦没者慰霊碑への鎮魂行為となって表明されている。
大本営も陸軍上層部ももっと早く降参しとけば、犠牲も惨劇も少なく、A級戦犯になる可能性も少なく、靖国問題もここまで大げさに騒ぎ立てられる事もなかったんでしょうか。
元々、戊辰戦争の戦没者を弔う為に創建され、日露戦争で大きくなり、軍が総括する様になると、国家レベルの規模に膨らみました。
そこに、GHQが国家神道を解体するために、靖国を排除しようとしたんですが。アメリカが唱える政教分離と信仰の自由は、日本人にはスンナリと受け入れてもらえなかった。
でもそれはいいとして、何故?日本政府が靖国神社に拘ったのか?A級戦犯を敢えて合祀したのか?
遺族からすれば、遺族の為の慰霊施設を作って欲しかったというのが本音でしょうに。転んだサン言うように、今からでも遅くはないので、国のために犠牲になった軍人名簿を作り、靖国廟宮を作ってほしいです。靖国参拝で揉めるのは、その後でいいです。
理解するのに、30分程掛かりました^_^;
自分のブログを読みながら、どうもピンときませんな(悲)。
ただ、岸信介の孫タレントに聴いてみたいです。”靖国問題について何か言え”とね。
アメリカも日本の一番弱い所を突いてくるし、所詮、靖国は政府の政府による政府の為の神社なんですかね。なんかよくわかんないですが。
確かに、戦死者を国家が英霊と祀り、国民を総動員し戦争遂行した事を見れば、当然でしょうが。靖国神社が、天皇や国家の為の死を至上の徳と教え込んだ、国家神道の中核施設であった点からも、肯けます。
憲法では、政教分離や信教の自由を定めてます。つまり、国家は特定の宗教と結びつく事はタブーです。天皇と国家神道を強引に結びつけようとする行為こそもタブーですが。天皇を政治問題に巻き込む事だけは避けて欲しいですね。
事実、昭和天皇はA級戦犯合祀に触れ、非常に不快に感じてたのも事実。その昭和天皇が戦後、国民さえ許せば退位したいと語ったのは、本音だったでしょう。その本音を私は尊重したいですね。天皇だって人間ですから。
富国強兵の時代の流れに乗り、天皇陛下は日本国の象徴となった訳ですが。戦後74年経つとその殆どが風化しつつある。メディアは皇族スキャンダルを盛んに報道しますが。私の世代となると殆どネタにすらならない。よほどの好きモノ以外、関心がない状態です。
それでも一昔前は皇族に詳しい人が少なからずいたが、今は殆ど死滅してる状況です。これも戦争の悲惨な実態が明らかにされ、”天皇陛下バンザイ”の綺麗事では済まされない事が判明したからではないでしょうか。
それを同じ、国の為に戦った英雄として一緒に靖国に合祀されてます。昭和メモを読んでも判るように、昭和天皇は明らかに責任者(A級戦犯)に対し、不快を顕にしてますよ。
戦争の悲惨の実態がメディアによって次々と暴かれてますね。そんな中、天皇陛下バンザイとか国の為にとかは、美談として風化しつつありますね。
やはり、責任者(A級戦犯)と被害者ははっきりと分祀すべきかな。戦争を正しく認識する為にもね。安易な形で世界に謝罪するよりも、こっちの方がずっと大切な事じゃないか。
確かにですが。戦争指揮者でも国の為に立派に戦い、兵士を指揮し鼓舞し、自ら責任を覚悟し、自決した人も多く。また生き残った指揮官でも、絶えず後悔や反省をした人も多い筈ですね。
一方で、牟田口みたいに”A級戦犯逃れ”の典型の真の犯罪者も多いです。こういうのこそしっかりと分祀すべきです。
今の日本がやるべき事は、戦争を指揮した人を精確に解析し、分析し、”真のA級戦犯”を確定する事だと思う。安倍みたいに安易に謝り、大枚をバラまく事は、これこそがA級戦犯的な行為ですね。
靖国参拝の問題はその後でいいと思う。