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数学の中でも特に代数学は”悪魔の学問”とも呼ばれる。それはこれらの学問がのめり込むほどに、精神かつ肉体的にも健康を損なう危険性があるからだ。
今は食の環境も良くなり、医療レヴェルも向上したから、昔の数学者みたいに結核で早死するケースは殆ど皆無にはなってきてるが、それでも数学という学問は、脳及び心身とも大きな負担と苦痛を伴う学問でもある。
事実こうした、(サルでも解るような^^)簡単な数学の記事を書いてても、結構堪えるのだ。
ただ数学ブログを書いてて思う事は、数学は一度ハマると辞めようと思っても辞められない。風俗や外人パブなら簡単に脚を洗えるんですが・・・
”数学に憑かれる”とはこういう事を言うのだろうが、”数学に憑かれても疲れるな”とは、私の為にある。
”数学は高く付く”(12/28)では、「数をめぐる50のミステリー」(ジョージGスピロ著)の第8話”ヒルベルトの第16問題”を紹介しました。そして今回は、第6話の”奇妙なパズル”と第1話の”閏年のミステリー”について述べたいと思います。
危険な問題と奇妙なパズル
かつてリーマン予想は多くの数学者を悩ませた。リーマン予想を含む論文を理解するだけで30年程掛かり、リーマン予想以外のリーマンの主張を証明するのにも、それから10年ほど掛かった。
危険な問題という点では、今ではリーマン予想の右に出るものはないと思われてるが、過去には幾つもの危険な問題が存在した。
1932年、ドイツ人学生のロータル・コラッツは一見、単純な計算に過ぎないと思われる奇妙な問題に出くわす。
自然数xをとり、それが偶数なら2で割り(x/2)、奇数ならば、3を掛けて1を足し、2で割る((3x+1)/2)。次にこの結果を用い、最初から同じ事を繰り返す。
そこでコラッツは、どんな自然数から始めようとこの手続きを繰り返していけば、いつかは1になる事を観察した。
13を例に取れば、20→10→5→8→4→2→1となる。25では、39→19→29→44→22→11→17→26→13→20→10→5→8→4→2→1。
つまり、どんな数から出発しても1で終わるのだ。
若い学生は面食らった。
この数列は容易に無限に向かうか、終わりのない(1以外の)サイクルに向かう筈だった。少なくともそういう事は時折起きるべきだった。しかし事実は違った。
この数列はどんな時も1で終わったのだ。
若者は、整数論における新たな法則を発見したのでは?と思った。そして、その証明に取り掛かった。しかし彼の努力は泡と帰す。結局彼は、証明も反例も示す事が出来なかったのだ。
時は過ぎ、第二次世界大戦中のマンハッタン計画で、ポーランドの数学者スタニスラフ・ウラムは、暇潰しにこの問題に取り組んだが、勿論証明できずに、友人たちに紹介した。
それ以来、コラッツの予想は”ウラムの問題”と呼ばれる様になる。
数年後、ハンブルグ大の整数論の専門家ヘルムート・ハッセは、この奇怪なパズルに取り憑かれた。
”この数列は雲の中で上下して、必ず地上に落ちてしまう霰(あられ)のようだ”と言い、コラッツの予想した数列は「ヘイルストーン(霰粒)数列」と呼ばれる様になった。そして、それを計算する手続きはハッセ・プログラムと呼ばれた。
因みに日本では、角谷静夫氏がイェール大でこの問題について講義した為に、”角谷問題”として知られる。彼の講義は周囲の熱狂的な努力を引き起こしたが完全な無駄に終わる。故に、日本人が仕組んだ陰謀とまで噂される様になった。
リーマン予想を超えた?コラッツ予想
1980年、68歳になったコラッツは、自分こそがこの数列を発見した第一人者だと主張した。
同僚へ出した手紙には、”私がおよそ50年前に調べた数列に貴方が興味を持った事を有難く思う。私はハッセ教授に、この難問を「コラッツ予想」と名付けてほしかった”と付け加えた。
しかし、後に数値数学の分野における開拓者として名を挙げたロータル・コラッツは1990年、現在では「コラッツ予想」と呼ばれてる事を知らずに、80歳の生涯を閉じた。
因みに、スパコンの助けを借りて、27×10¹⁵までの全ての数に対し、コラッツ予想が正しい事が知られている。
この様な数値計算が証明にならない事は、勿論である。ただ歴史的な発見がない訳でもない。ジェフ・ラガリアスは、”(反例があるとすれば)少なくとも275000個の循環節を持つサイクルがなければならない”事を証明した。
故に、スパコンを持ってしても、コラッツ予想の反例すら発見できないのだ。
つまり、この予想はコンピュータによって決定できるものではない。何故なら、コラッツ予想を満たす数だけが、プログラムを停止させる事が出来るからだ。
もし反例が存在するとして、コラッツが予想した(霰粒)数列が無限に向かう傾向があるとか、非常に長いサイクルに入るとか、そういう事を見極めれる筈もなく、コンピュータは延々と数字を弾き出すだけだ。
1980年半ば、ラガリアスはこの問題について講義した。彼は答えにすら近づいていなかった。しかし、”非常に危険な問題である”と経験から悟っていたのだ。
これはリーマン予想も同じである。コラッツ予想は27000兆個までが正しい事をスパコンは弾き出したが、リーマン予想は10兆個までである。それにコラッツ予想のように反例の可能性すら示されてはいない。
レーマーの観察により、リーマン予想の反例が見つかりそうだとの噂もあるが、噂に過ぎない。それでも人間の(反例の)観察の方が、コンピュータの計算よりもアテになりそうな気がする。
そういう意味でも、コラッツ予想はリーマン予想を超えたと言えるかもしれない。
閏年のミステリー〜カレンダーの不可思議
閏(うるう)年と言えば、2月が28日ではなく29日となり、1年が365日ではなく366日と1日多くなる年で、4年に1度だけやってくる(とみなは思ってるだろう)。故に、昨年の2020年は閏年であった。
しかし、これは数学的に見ればだが、とてもいい加減なものである。
天文学者の観測では、ある年の春分の日から翌年の春分の日までの時間が365.242199日となる。近似値としてみれば、365.25日とみなせ、十分な精度であるから、紀元前一世紀の中頃ユリウス・カエサルは、自身の名前を被せた暦に1年=365日制を導入した。
つまり、1年が365日ある年が3度続いた後、366日の閏年が来る事になる。
しかし、16世紀を終わろうとする頃、カトリックの聖職者たちは、年ごとに11分14秒ずつずれるのを黙認できなくなっていた。数学にも精通してた彼らは、1000年以内にこの年間誤差が合計8日になる事を算出してたのだ。
故にこのままでは、12000年後にはクリスマスが秋に来て、復活祭は1月にしなければならなくなる。オウ・マイ・ガー!
そこで、グレゴリウス13世(1502-1585)は、25番目の閏年(閏月)を飛び越える事で、カエサルのカレンダーを調整した。
つまり、各世紀の最後の年(100で割り切れる年)は閏年であっても、平年と同じ365日という事だ。
故に、各世紀は76の平年と24の閏年となる。但し、25番目の暫定平年を”順閏年”と名付けます。お陰で、(76×365日+24×366日)/100年=365.24日と、めでたしめでたしである。
ここら辺までは、数字に強い人なら軽くクリアできるだろう。
しかし、これでも不十分なのだ。再び教皇たちは頭を悩ませた。
そこで、4番目の順閏年(100年に1度)ごとに閏日(2月の29日目)を再び挿入した。つまり、400年で一巡するので、400で割り切れる年を”巡順閏年”と名付ける。
これまた目出度く、西暦1600年が迫ってたから、その年が最初の”巡順閏年”と宣言された。故に、次の”巡順閏年”は2000年という事になる。
こうして1年の平均の長さは、(365.24日×3世紀+365.25日×1世紀=)365.2425日となった。あ〜あ、メデタシである。
しかし、本当の実測値は365.242199日である。つまり、少し長すぎるのだ。
カレンダーの未来予想図
それでも、教皇グレゴリウス13世は十分な仕事をした。というのも、1年に付き26秒の違い(365.242199日−365.2425日)は、3322年経っても僅か1日にしかならないのだから。
1600年以降のカレンダーの未来予想図は、こうして補正を積み重ね、創り上げられたが。カエサルが導入して以来、1500年間に蓄積された誤差はどう処理するのか?
そこでグレゴリウス13世は、ある魔法を取り出した。つまり、1582年に丸々10日間をカレンダーから削除したのだ。
お陰で、誰が真の主人であるか?を世界とその統治者たちに示す機会が出来たのだ。そして、教皇が威厳を示してくれた結果、大多数のカトリック教諸国において1582年10月4日(木)の翌日は10月15日(金)になった。
勿論、非カトリック諸国はこんな教皇のバカげた?布告に従う気など全くなかった。
イギリスとその植民地で、この補正がなされたのは1752年の事で、11日間をカレンダーから削除した。
ロシアは革命になって、カレンダーを13日も補正した。お陰で”10月革命”が1917年11月にずれ込んでしまった。全く笑えない話ではある。
しかし、数学は異常なまでにクソ真面目な学問である。これでカタが全てついた訳ではなかった。
教皇グレゴリウス13世の魔法は全て円滑にいってるように見えて、400年後には再び崩壊する恐れがある。
科学は今や大きな進歩を成し遂げ、原子時計は10⁻¹⁴の精度で時間を計る事が出来る。
つまり、その様な正確な測定器がある今、年間26秒の誤差(余り)は無視できない。
そこで、著者のスピロ氏は考えた。更にもう1つの追加補正をするのだ。即ち、8番目の”巡順閏年”ごとに再挿入された追加の閏日(2月29日)を削除するのだ。故に、3200年ごとに2月を28日に戻す。
この様な特別な年を”純巡順閏年”と名付けよう。計算すれば、1年=365.242188日になる筈だ。これで実測値(365.242199)との差は約1秒不足となる。
これまた骨の折れる計算をすれば、最初の”純巡順閏年”は4400年になるが、1年1秒余りの誤差が蓄積し、丸1日になるには86400年掛る事になる。
つまり、16世紀の聖職者グレゴリウスは紀元前の哲学者カエサルに挑み、年に11分14秒の誤差を僅か26秒に縮め、21世紀の数学ジャーナリストのスピロー氏が約1秒にまで縮めた(補足)。
どうだ、グレゴリウス13世!参ったか!
これは頭の逝かれた数学者や教皇でも、殆ど気にしないでいい不正確さである。
最後に〜数字的秘密生活
以上、「数をめぐる50のミステリー」から2篇(#1と#6)を紹介しました。
この著書の原題は”The Secret Life of Numbers”です。直訳すれば、”数の神秘”と言った所でしょうか。
因みに、中華版(写真)では”数字的秘密生活”とそのまんまです(笑)。
著者のスピロ氏は大の数学好きで、純粋数学者になるべくスイス連邦工科大学チューリヒ校で学びますが、訳あって数学研究の道を捨て、職を何度か変えた後、ジャーナリストの道を選びます。
新聞記者として鍛え上げられたスピロ氏の話しぶりは、数学をテーマにしても非常に判り易くかつユニークです。
一見頭を混乱させそうな”数の神秘”ですが、これからも少しずつ紹介していきたいと思います。
反例があれば、延々と作動し、終わりのない戦いをコラッツ予想に対して挑む。
この戦いでは、リーマンに相当するのがコラッツで、レーマーに相当するのがラガリアスって所でしょうか。
閏(うるう)年のミステリーでは、著者のスピロー氏がグレゴリウス13世に挑む所が面白い。
この競争では、カエサルがまず年に11分14秒の誤差に纏め、グレゴリウスが26秒に縮め、最後にスピローが1秒にまで縮めた。
時代を遡ると、数字のミステリーは益々深まっていく。そういう事を教えられた気がする。
閏年のミステリーでは、スピロ氏の執念を感じました。それに最後のコメント補足しときます。
いつもいありがとうです。