久しぶりに、スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)を読んだ。
正直言うと、彼の長編はあまり好きではない。名前(Francis Scott Key Fitzgerald)と同様にクドすぎるのだ。しかし、短編に至ってはとてもユーモラスで奇抜で爽快で、そして愉快で楽しすぎる。
どうしてフィッツジェラルドの長編モノは”悲しい”のか?
それは、彼の純朴過ぎる生き様と深厚すぎる情熱にある。大学を中退し、陸軍へと入隊した彼だが、陸軍訓練学校での戦争(第一次大戦)に対する不安が、彼の小説意欲を大きく掻き立てた。
そんな中、ゼルダ・マイヤーという絶景の美女に出逢い、すぐさま恋に落ち、婚約する。
陸軍を除隊したスコットはNYで広告代理店に勤務したが、彼の生活力に疑問を抱いたゼルダは、何と婚約を解消してしまう。
フィッツジェラルドの悲しすぎた生涯
失意のスコットは代理店を退職し、セントポールの両親の家に引き籠り、陸軍訓練校時代に書き溜めてた小説を再敲し、初の長編小説「楽園のこちら側」(1920)として書き上げ、ベストセラー入りする。
お陰で再び縁を取り戻し、ゼルダと結婚した彼は、めでたく娘をもうけ、時代の寵児となる。
この1920年代は、フィッツジェラルドの最も輝いた時期とされ、「美しく呪われし者」(1922)「グレート・ギャツビー」(1925)と2つの長編傑作を世に送り出し、20世紀アメリカ文学を代表する作家の仲間入りを果たす。
しかし、専門家受けした筈の作品はその重厚で深鬱なストーリーが故に、若い読者にはあまり歓迎されない。その上、期待した程の売上にはならず、彼は大きく落ち込んだ。
因みに、”20世紀最高の小説の1つ”と評される「グレートギャツビー」は1930年代に絶版になった事もあり、名作として不動の評価を受ける様になったのは、彼の死後10年以上経ってからである。
そんなスコットも必死で小説を書き続けたが、ゼルダとの奔放な生活を満たす収入には届かなかった。そこで、週刊誌や雑誌に短編を書きまくり、小説の映画化権を売って生活費を稼いだが、彼は生涯に渡り、金銭的なトラブルに悩まされる事になる。
1930年代は、暗い時代が影を落とした。
4つ目の長編に取りくむも、生活費を稼ぐ為に収入の良い短編を書かざるを得ず、執筆は難航する。
1929年の世界恐慌、更に翌30年にはパリでゼルダが統合失調症の発作を起こし、スイスの精神病院で療養。31年には父エドワードが死去し、妻を残して帰国する。
32年にゼルダはボルチモアに転院し、スコットは一人で家を借り、再び長編小説に取り組み始めた。
不安定な妻に翻弄され転落していく主人公を美しい文章で描いた「夜はやさし」(1934)だが、恐慌下のアメリカでの彼は既に”過去の人”となり、売り上げも伸びず、絶望から次第にアルコールに溺れていく。
30年代後半のフィッツジェラルドは、借金返済と娘の学費を稼ぐ為に”雇われ脚本家”としてハリウッドに居住した。
次第にゼルダとは疎遠になり、スコットは愛人のシーラ・グレアムと生活する様になる。
名家育ちのゼルダとは対照的に、彼女は美貌と才能を武器にし、無一文から成り上った売れっ子のゴシップコラマーである。
晩年は、かつてはアメリカの頂点にいたベストセラー作家だが、物書きとしては最底辺であるコラムニストのシーラに経済的に養われるという情けない状況でもあった。
度重なる心臓麻痺で44歳の短い生涯を閉じたフィッツジェラルドだが、その悲しすぎる生き様に、詩人のドロシー・パーカーは「グレートギャツビー」のセリフ”The poor son of a bitch”(かわいそうな奴だ)を泣きながら呟いていたという。
妻のゼルダもその8年後に、療養施設の火事により焼け死ぬという、これまた”かわいそうな”生涯でもあった。
以上、ウィキから一部抜粋でした。
”ラッグス”マーティン・ジョーンズ
そこで、フィッツジェラルドの悲しい生涯を忘れさせてくれるかの様な、愉快な短編を1つだけ紹介する。
「若者はみな悲しい」(光文社・小川高義訳)の中にある「ラッグス=マーティン・ジョーンズとイギリスの皇太子」という長たらしいタイトルの一編だが、中身は実に爽快でスリムな仕上がりである。
何処かの島国の愚かで哀れなプリンセスとは異なり、こんな颯爽とした詐欺師がいたなら、どんな冷徹な美女も堕ちてしまうだろうと思わせてくれる。
主人公の若き美女は、その囚人みたいなボサボサ短髪のお陰で、”おんぼろ”(ラッグス)とあだ名されるマーティン・ジョーンズ嬢。
タイタニックの沈没で両親を失い、ジョーンズ家の財産を僅か10歳で受け継いだ娘は、この5年間をヨーロッパの各都市で過ごし、生まれ故郷のNYにやってきたのだ。
勿論、迎えに来る家族はいなかったが、娘がNYにいた頃の幼馴染だろうか、ジョン・M・チェスナットという貧相な男だけが迎えにきていた。
ツンと済ました冷酷にも思える麗女だが、しつこすぎる幼馴染に愛想を尽かしてか、両手で男を突き飛ばし、ハドソン川に放り込む。
”4時過ぎに迎えに来て頂戴な”
5匹の犬と3人のメイドとフランスの孤児というお嬢様を警護する一団が、リッツホテルのスィートに落ち着いた。
”アメリカ男もNYもつまらないわね。明日パリに帰るわ”
川に突き落とされた惨めな男は食い下がる。
”迎えに来てくれと言ったのはそっちの方だぜ。それに無視する事はないだろう”
若い女は長旅で苛ついていた。
”私はね、騎士みたいな立派な人に迎えに来てほしいの”
男は必死だった。
”5年前に君がいなくなって、一瞬たりとも忘れた事はない。10日もあれば僕の事を解ってもらえる筈さ”
若い女は一気に白けきった。
”アメリカ人は想像力に欠けるのよ。パリみたいに文明に開花した女性が呼吸できる都会とは言えないわ”
”もう僕なんかどうでもいいって事?”
”そこまでは言わないけど、船に乗った男たちを見たらアメリカ人とは結婚できないと思ったの。それにあなたの事も嫌いになりそうだわ”
男は黙って女の話を聞いていた。
”私って常に恋をしていたい女なのよ。インドの王様にプロポーズされたの、大英帝国でも3番目のお金持ちだってよ・・・アナタお金はあるの?”
”ないよ、君ほどにはね”
”だったら何があるの?”
”俺には愛がある”
”愛?何よそれ?
言っときますけどね。私にとって人生とはきらびやかなバザールみたいなもの。
私はお財布をパンパンに膨らまし、とびきり上等の店に出かけるの。<今日は何があるの?>って聞くと、<とびきり上等の愛があります>って言うのよね。
私は呆れ顔で店を出る。それだけがせめてもの仕返しよ”
華麗なるトリック
ジョン・チェスナットは儚い表情で窓辺へ向かう。
”身投げしちゃダメよ”
”しないさ”
”アナタが面白くも何もない人だとはいえ、口で言うよりは大事に思ってるのよ。でも、NYでの生活なんて何処行っても何もない気がするの”
”それは違う。
今日だって近くでは人殺しがあり、メイン州では自殺に手を貸す殺人があった。国会では神を疑う奴はみな死刑にするという法案が出て・・・”
”ふざけた話には興味ないの。
そんなのより、昔ながらのロマンスや波乱含みなのがいいわ。
つい先月には、2人の男爵がコインを投げてある王国を取り合ったし、パリで知りあった公爵は戦争の仕掛け人だったって・・・”
それでも男は引き下がらない。
”じゃ、今晩だけは俺と付き合ってくれないか”
”行く所なんてあるの?
まさかナイトクラブにでも行って、バカ騒ぎするのかしら?私はね、きらびやかな夢を見ていたいのよ”
”だったら、NYでも2つとないハラハラドキドキの所へ連れて行こうじゃないか”
・・・
これ以上書くと、もろネタバレになるので、ここら辺でやめとくが、この後の”ドッキリ”の展開が実にアッケラカンで、そして爽快である。
まんまと騙された”ラッグス”嬢は、片眼鏡を外し、英国の皇太子に扮したエレベーター・ボーイの”してやったり”の笑顔に自慢の美貌が崩れた。
”ありがとう。人生で二番目にドキドキさせてもらったわ”
ジョンは、ユダヤ系の商売人の様に揉み手をして、目の前の美女を誘う。
”どうぞ当店へ!とびきりの一番店でございます”
”今日は何があるの?”
”ええ、本日はとっても素晴らしい愛がございます”
”じゃ、包んでちょうだい”
マーティン・ジョーンズ嬢の瞳には純粋な愛が映し出されていた。
”いい買い物になりそう”
最後に〜詐欺師はみな悲しい?
先日の真子様の結婚記者会見にも、こんなウィットとユーモアの効いた”あっけらかん”の会話が欲しかった。
しかし現実は、肥溜めに蓋をする様な(糞尿の匂いがする)会見だった。
詐欺師は華麗だからサギとして成立する。騙される方も潔くまんまと騙されるから、我ら大衆は華麗なる詐欺師に対し羨望を抱く。
「華麗なるギャツビー」ではないが、出来すぎた話には常に耳を疑う噂と危険な人脈が纏わりつく。
しかしそれは、男の憧れであり女の理想でもある。
ジョン・チェスナットが仕掛けたドッキリに比べれば、日本の皇室の芸のなさ過ぎは無能そのものに映った。
若者だけでなく、詐欺師だって夢を追う。しかし、夢を追い損なう事が殆どだろう。
そういう意味では、やはり詐欺師はみな悲しい人種のだろうか?
あの詐欺師は高飛びしようとしていますね。
眞子さんは本当に騙されているのか、騙されたふりをしているのか。
正確には「イギ○スの皇○子」ですが、今回の真子さんの結婚騒動と比較して読むと、とても興味深く面白いですよ。
夢を捨て現実に舞い戻るということで
ただそれだけで残酷なことなんだろうけど
「若者は悲し」というよりも
大人になり現実を受け入れるということこそが悲しいものだということをこの短編集は教えてくれる。
「常識」が一番面白かったんですが。
「イギリスの皇太子」の方がハリウッドっぽくて爽快で悲しくもなかったので、記事にしました。
”夢を捨てて大人になれ”って、言う以上に難しく残酷ですよね。
軽っぽくて安っぽく見えるディカプリオよりも
華麗という点ではレッドフォードのほうがギャツビー役にはピタリだと思う。
シナリオも前作のほうがシンプルで
評価も高かったから・・・
フィッツジェラルドが生きてたら、怒り心頭だったかもですが、2度も映画化されたという事は小説家冥利に尽きますかね。
「冬の夢」で他の短編集にも収録される程の傑作ですね。
2度に渡り美女(ジュディ)に捨てられた主人公のデクスターですが、裕福な資本家に成り上がり、3度目に出会った時は彼女はただの子持ちのオバサンに成り下がってました。
ここでもデクスターは泣き崩れ、昔に戻れないことを悟リます。
結局、彼は女ではなく自らが描いた幻想に恋い焦がれてただけかもしれません。
”冬の夢”というタイトルは、男がかつて描いた幻想そのものを指すんでしょうか。
フィッツジェラルドがゼルダを愛したというより、ゼルダの瞳の中に幻想を見続けた。それに気づいたのは愛人のシーラと同棲するようになってからかもしれませんね。
今回この短編集を読んで、「冬の夢」を思い出しました。
当初は”夢に破れた男の悲劇”という視座で見てましたが、今は”幻想に潰された男の悲運”とも言えますね。
シーラグレアムと出会い、ゼルダに注いだ愛が自ら勝手に作り上げた幻想である事に気付いた事が、フィッツジェラルドの悲運の始まりだったかもです。
そう思うと、何だか大人の恋愛物語を見てる様で、シンミリと来ちゃいますね。
訳者の足立さんは”若者は全て悲しい”と言い切ったの
そうすることでフィッツジェラルドに対する想いが読者にも強く伝わってくるのよね
転んだサンのオキニの「常識」も原題は”The Sensible Thing”
つまりカッコ付きのガチの常識にこだわった男を上手に描いてるのよね
夢や妄想ばかり追いかけずに、現実を見て生きようというフィッツジェラルドのもう一つの強い後悔の念があったかもです。
我ら現代人も何でもかんでも自由や好きな事を追いかけるではなく、現実という下を向いて歩くのも大人の生き方かなと偉そうに思ったりもします。
Hoo様もまだ若いのに随分とマセた事いいますね。歓心感心です。